職場の会議で、「私は月末までにこういう業務を新たにします」と伝達したら、 間髪入れずに1人のメンバーから「勤務時間内にするんですか?」と質問された。 勤務時間に仕事をするのは当たり前なのでは???と、 しばらく何が言いたいのかわからなかった。 よくよく話を聞いて行くと、 「お前が仕事量増えるからって、こっちに仕事ふんなよ。 その日の業務全部終わらせてから、余った時間で新しい業務こなせ。 今までの上司もそうして来たんやからな?わかってんな?」 という牽制だということがわ
ひとつ意見を言うと、色んな意見が返って来る。 同じ目標に向かって、意見を言ってくれる人とは、意見交換していて楽しい。 そうではなくて、 🔵自分が責任取らないため 🔵マウンティングするため 🔵現状維持するため の意見も多いなーと、最近感じています。 これらの原因を探れば、承認欲求や自己肯定感の低さに辿り着く。 しかし、他人の原因を自分がどうにかすることはできない。 「無責任」も「マウンティング」も「現状維持にしがみつく」も、 その人の正義。 それを貫き通さなきゃ
もう8年ちょっと前の話。 離婚前の話。 夫が子どもたちとの関りを避け、仕事以外は二階の部屋に閉じこもり、 私を存在しないものとして無視していた時のこと。 どうしてそんなことをするのかの説明もなく、 私が何か聞いたら、黙って布団に潜り込んで、ひたすら無視だった。 子どもたちの誕生日も、参観日も、私の手術も、無視だった。 はっきりとは思い出せないけれど、 ある日夫が蒸発するまで、約8か月間は続いた。 その時の気持ちを思い出すと、 「あー、私は無価値だなー」という気持ちになる
よしながふみ先生の名作、 『きのう何食べた?』のドラマを見ていたら、 ぐっと胸に来るセリフがあった。 「間違いを許せるようになるために、別れるの」 自分のために囲っておくのは、単なるエゴ。 執着に愛はない。 「あなたのためを思って」 なんて言葉で隠そうとしても、 それが愛であるか、エゴであるかなんて、 勝手に伝わってしまうし、感じ取ってしまう。 過去の自分の経験が、ひとつ、意味を持ったように感じた。 相手にどう受け取られているのか?は、関係ない。 自分がどうあるか。だ
最近色々と相談を受ける内容だったり、 身近で起こるトラブルだったりを、 よくよく原因を分析すると、ひとつの種に辿り着く。 それは、【原因他人論】。 こいつが厄介。 あの人にこんなことをされた、られた。 あの人がこう言ったからやったのに。 あの人のせいで。 それが何を産み出すのか。 妬みや恨み、やっかみ…など、 余計なものしか産み出さない。 なんと生産性のない時間でしょう…。 絶対解決しないやつ。 深層心理で、解決したくないと思ってるから、こっちを選んじゃってるのかもしれ
許すことと甘やかすことの、違いを見定めることが難しい。 いいよいいよと許していたら、甘やかして相手をダメにしてしまう。 しかし、できないことがあることは、許されないことではない。 許すも許さないも、人は全員もれなく未熟なんだから。 しかし、子育てのように、相手を思えば思うほど、「許してはいけない」に傾いてしまう。 これを許したら、いい大人になれないと思い、否定をぶつけてしまう。 許されないという環境で、心が健全に育つのは難しいのに。 結局は、これという正解がわからない。
自分の感情を、表に出さずにはいられない時は、 一体心に何が起こっているんだろう? 周りに人がいるのに、感情のコントロールができず、 表に出さずにはいられない場合もあるけど、 周りの人にわかって欲しくて、 誰かにどうにかして欲しくて、 相手に甘えたくて、 相手に望んだ返答をして欲しくて、 何かが欲しくて、欲しくて、欲しくて…出している場合も多い。 そういう時はいつでも、自分本位。 自分最優先で、相手のことは二の次。 自己中心的に、相手を振り回して、コントロールしようとする
難病のこと 私の持つ病気のひとつ。 難病の「特発性両大腿骨骨頭壊死症」。 私はステロイド性で発症しました。 ステージはCー2。簡単に言うと一番悪いステージ。 もともと生まれつき骨の低形成もあるので、 ひとより小さくもろい足の骨の根元が、壊死して少し潰れている状態。 すぐにでも人工関節にしないと歩けなくなりそうだったのはもう11年ほど前のこと。 そこから色んな出会いがあり、京大病院の主治医もびっくりの奇跡が起こって、 今も自分の骨で走り回っているのであります。 病気だと言
長野県の南の端に住んでいたことがある。 一年のほとんどをスタットレスタイヤで過ごす地域。 寒さが苦手で、関西から離れたことのなかった私が、 誰かに頼ってでしか生きられなかった私が、 今までの人生全部手放す勢いで飛び出した、小さな村。 どこまでも澄んだ水。 甘くてみずみずしくて、同じ食べ物と思えなかったお野菜や果物。 深い甘みと香ばしさのあるお味噌。 そして、私と出会い、応援してくれた、温かい人たち。 住んでいた時には、毎日当たり前にそばにあって、 ありがたさが薄れてしまっ
夕暮れが僕のドアをノックする頃に ふと見上げた夕焼け空が美しくて。 今この瞬間の、永遠の中でこの一瞬しか見ることのできない、夕焼け空。 人の手では作ることのできない、奇跡のコントラスト。 あぁ、幸せだと感じた。 目が見えること、光が私に届くこと、今この瞬間を生きていること。 幸せで有り難いという気持ちが、奥底から自然と湧いて来た。 谷川俊太郎先生の、『生きる』が浮かんだ。 小学校の卒業式で朗読した詩。 「生きているということ 今生きているということ」 そう。 生きてい
何かと耳にする、毒親問題。 誰かの相談にのると、大抵見えてくる、毒親の背景。 無自覚な方も多いけれど、 無自覚と言うよりは、自覚すると辛いから無意識に、 「私の親は常識的だし愛情深い」 「私の親はそれほど酷くない」 「私の親は普通だ」 「親なりの愛情だった」 と、正当化しているだけの場合も多い。 また、毒親だと自覚していながら、 「でも親だから」 「親孝行するべきだから」 「しょうがないから」 など、「なければならない」で致死量のストレスを飲み込み、 自分の心を麻痺させた
最近立て続けに、「怒り散らす人」を見た。 その中の一例をあげると、 仕事のチームで突如、すぐにこなさなければならない仕事が1件発生した時のこと。 チームで話し合い、その時、たまたま手が空いていたAさんに、仕事がふられた。 Aさんは自分しかやる人がいないから引き受けたが、激怒。 何を話しかけられても怒り散らし、大声を出し、 その仕事が片付くまで感情のアップダウンが激しかった。 私がもしその日、Aさんの立場だったら…と、想像してみたけれど、 怒り、しかも周りが手をつけられない程
はじめまして。 現役看護師、セラピストのKurozumiです。 高校生の時、祖父の病気をきっかけに、看護師になろうと決心しました。 そして、看護師になり、有名な病院で働いて、結婚・出産をし、家を買いました。 このまま平均的な道を普通に生きられる人生が、 当たり前に続くものと思っていました。 しかし、小さなひずみを見ないふりしていたら、 そのひずみは、実は氷山の一角で、 足元からどんどん崩れ出しました。 難病、精神疾患、離婚など、次々と思いもよらないことが起こり、 全て