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拝啓、お父さん。

「亮夏先生は、ご家族とうまくいってるんですか?」


ことの始まりは、ある学生さんから投げられた質問からだった。

彼は一瞬固まり、言葉を飲み込んだ。それから得意の笑顔で「いってる。」と笑って答えた。

聞き流せばよかったのかもしれない。でも私は反射的に「本当に?」と聞き返していた。


彼の顔から笑顔が消えた。
私の目をじっと見た後、彼は言葉を絞り出しこういった。

「いって…ない」

教室の空気が揺れる。

「え、誰とうまくいってないんですか?」
学生さんが彼の顔を覗き込む。

「父さん」

と彼は小さく答えた。得意の笑顔は消えていた。

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食事も移動も排泄も全介助。
世にゆう「重度身体障がい者」である20歳の息子亮夏(りょうか)の障がいは「全身に力が勝手に入る」というものだ。

車椅子に座っているのに、シックスパッドに腹筋が割れているし、首までマッチョ(そのおかげで小顔効果抜群)。

おまけに足が勝手に動く。(専門用語でフズイウンドウというらしい)

本人の意思に関係なくバタバタと長い足が動くもんだから、エレベーターに一回入っても、前の壁を蹴ってまたおっとっと、と出てくるという吉本新喜劇よろしく、謎のコントを毎日のように2人きりで繰り広げている。

ちなみに、筋肉とは腕や脚だけじゃなくて、顔にも、口にも、喉にも、舌にもある。彼が言葉をうまく発せられないのもそのせいで、なかなか真っ直ぐに言葉を伝えきれない。

それは彼の魅力でもあり、時としてはネックでもある、と私は思う。
(伝わりにくいから伝わることがあるでしょう?と彼は言う)

そんな(思い通りに)動けない・話せない彼は「動けないけど社長・話せないけど大学講師」という、ちょっとエッヂの効いた肩書きを持っている。

この日、彼は仕事の一つ「大学講師」として、介護福祉士を目指す学生さんと共に介護支援の授業に入っていた。



「父さんとうまくいってない」


質問をした学生さんは、彼がこう答えることを想像していただろうか。障がいを持つ息子を中心に、家族みんなで力を合わせて…と言う美しい姿をイメージしていたのか、それとも逆にそんなことはないと思っていたのか。

どちらにしても、これはきっと大事な問いなのだろうと思った。

そこで今回学生と、先生と、ちょっとだけ私と。様々な角度から彼へ質問を投げかけては、この質問への彼の考えを導き出すことになった。


学生:「お父さんに何か言いたいことがあるのか、して欲しいことがあるのか、それ以外か」

「いいたいことがある」

学生:「言いたいこととは、仕事のことか、プライベートなことか、身体のことか、それ以外か」

「からだのこと。足がバタバタ。」

→学生:「足がバタバタ動くことをお父さんは知らないの?」

「しってる。じぶんの、ことばで。じぶんの、ことばで」

→学生:「自分の言葉で、足がバタバタすることを言いたいんですね?」

「はい」



「足をバタバタさせるな!じっとしろ。」

夫の言葉が脳裏に浮かび、ふいに喉の奥がググッと詰まった気がした。


息子と食事をするとき、入浴するとき、一緒にいるとき。何度も聞いた言葉だ。夫は彼の足が意思と関係なく勝手に動くことは頭では理解している。でも心ではどうしても受け止め切れない「何か」があるようなのだ。


「しょうがないやん、体が勝手に動くんやから。」
「そんなことで怒らんたってや。わざとじゃないんやから。」

私や祖父母、その後生まれた下の娘までもが息子の体のことを「わかってよ」と、夫に伝えてきた。でもいつの日か、誰もそのことには触れなくなっていた。


息子を愛していないわけじゃない。息子の仕事や生き方を認めている、尊重している、そして尊敬している。それが夫なりの愛し方なのだ、たとえ家族の理想や社会が望む形でなかったとしても。

でも息子が生まれてから20年経ったにも関わらず、どうも夫は愛し方を掴みきれていない感じなのだ。そんな夫の不器用さは息子が幼かったころも、二十歳になった今も、変わず私たち家族の真ん中で箱に入ったまま、ずっとそこにある。

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だから息子も…亮さんもきっと、自分の中で父親との関係性については咀嚼しているか、もしかしたら諦めているか、なのかな。

そう思っていた。

でも、それは大きな間違いだったとようやく気が付いた。



学生:「自分の言葉でお父さんに伝えたいんですね。ではそれを伝えてお父さんにどうして欲しいのですか」

彼はこう言った。

「変わって欲しい。」と。


彼は咀嚼してなかった。諦めてもいなかった。

「お父さん、僕、足バタバタするねん。わかって欲しいねん。だからそんなんもう、怖い顔で言わんといてや」

誰かに言ってもらうんじゃなくて、自分の言葉で伝えたい。

ずっとずっと諦めることなく、腐ることなく、曲がることなく、消えることなく彼の中に在り続けた想い。

そんな彼の想いを私は初めて知った。

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1月13日、息子の成人式。

お店を何軒もハシゴして彼が選び抜いたスーツと、こだわりの蝶ネクタイに身を包み、彼は古い友人と出かけていった。

「かっこええなー!ホストみたいやな!」
「よう似合うやんか!ホストみたいやな!」

祖父母も友人も「褒め言葉」➕「ホストみたいやな」とまるで「ごはん」と言ったら「味噌汁」とでも言うように同じフレーズを付け足す。スーツマジック、興味深い。

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帰宅した息子とお世話になった皆さんと共に『滅多ななんかの時』にしか行かないお店へ行った。
素敵なお肉が私の胃袋に、そして思わず二度見したレシートが私の懐に収まった。

帰り道、お酒を飲んだ夫に変わり私が運転席へ。
一緒に息子の成人を祝ってくれた皆さんを順に送り届け、やがて車内は家族だけになった。

さっきまでの賑やかさはなくなり、FM802が流れていたことに気が付いた。

助手席でスマホをいじる夫。今日は眠ってない。珍しいな。と思う。

高速道路を走る車窓からは澄んだ街が綺麗に見えた。


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マンションに着き、車から降りる。

日中の暖かさが嘘みたいに冷たい風が吹きつけてくる。夫が足早に彼の車椅子を押していく。エレベーターホールについたが、上層階へと昇っていってしまったエレベーターはなかなか降りてきそうもない。

あっという間に体の芯まで冷え切り身震いした私の背後から熱のこもった言葉が聞こえた。

「いま いう。」

私は耳を疑った。


今?!
めっちゃ寒い、ここで?!今?!


思わず出かかった言葉を飲み込み、車椅子に手をかけたままの夫に声をかける。

「亮さんが話があるらしいよ。」



息子と夫が向き合い、私は少し離れて二人を見つめた。

「あしが、バタバタ。足が、バタバタ!!」

少し離れた場所で見守る私の耳にも彼の言葉が届く。


「足がバタバタ?そんなん知ってるよ。」

「自分の、ことばで、じぶんのことばで○△□※。。。」


固まってる2人に、容赦なく冷たい風が吹き付ける。

助け舟を出すか。黙ってこのまま見守るか。

エレベーターが到着し、勿体振るように扉が開いた。
明るい光とともに少し暖かな空気が私たちを手招きしていたが、誰も乗り込むことなく、黙って扉を閉じた。


彼は懸命に口を開けて何かを伝えている。しかし相手は夫だ。

彼がまだ幼かった頃「タバコ吸うなら換気扇の下で吸ってきてよ」と言ったら、換気扇の下ににっこりと移動したけれど、スイッチを入れることなくタバコの煙を揺らしていた、夫だ。難関なのだ。


「フォロー入ろうか?」


意を決して彼に伝えた。黙ったままの彼に「少しだけ入るね。」と声をかけ、夫に向き合った。

「足がバタバタするってことを、自分で伝えたかったんやって。伝えて、、、どうして欲しいんやった?」


「わかって欲しい。。かわってほしい」


渾身の一言がエレベーターホールに響いた。

「…分かった。」

夫はそれだけ言うと、エレベーターのボタンをそっと押した。

彼の思いは届いたのだろうか。私には分からなかった。

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それから数日後。
何でもないときに、何でもないように夫に聞いてみた。

「こないだの亮さんの話、どう思った?」


夫は、うーん…と携帯画面から顔を上げて「俺って、そんなに怒ってる?」と聞いてきた。「俺のほっぺた、米ついてる?」と同じようなトーンで。


「うん、怒ってたよ。」

「そうなんや。」


暫く黙った後でこう続けた。
「あいつ。偉いな。諦めんと、自分で言うって。あいつはほんま、凄いやつや。」



20歳。

幼い頃から小さくとも消えずにあった彼の想いは、ひょんなきっかけから形になった。

きっと伝わる。
自分の言葉で伝えたら、きっと。

お風呂の中で夫に怒られて、泣きべそをかいていた小さな彼に届けたくなった。さっきの夫の言葉をタイムマシーンに乗せて届けたくなった。


あ、いや、そんなことしなくてもいいか。

君はこうして自分の未来を自分で築こうとしているんだから。タイムマシーンで届けなくても、欲しかった言葉を君は自分で手に入れられるんだから。

諦めなかった息子を見て、また家族の形も変わろうとしている。



今日の晩ご飯は息子と夫が好きなハンバーグを作ろう。

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