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性を「売る」の背景は何か

はじめに

 今回は、売買春について私なりにまとめたいと思います。きっかけは先日投稿されたこちらのツイート。

「買われた展」とは、仁藤夢野氏が代表を務める一般社団法人Colabo が手掛ける”虐待や貧困などで自宅に帰れず、児童買春の被害に遭った少女たちが経験や思いを表現し知ってもらう”という企画展です。この企画展は今回が初めてではなく、以前も企画されており企画展の名称が賛否を呼びました。

「買われた」ではなく、「売った」だろう、と。

私自身も児童買春にはもちろん反対していますがこの企画展の名前には疑問で次のようにツイートしました。

ネーミングばかりが話題になり、前回企画されてから児童売春をするに至った児童の背景の理解は進んだのでしょうか。

今回このツイートをきっかけに、改めて性を「売る」と「買う」の背景について考えてみようと思います。

1.日本における売買春についての整理

 日本における売春女性の起源とされるものは巫女起源説と外来民起源説がありますが、巫女起源説が定説とされています。巫女起源説とは神の加護を得る目的として巫女と神が乗り移った神主との間での性交が売春の起源とする説。外来民起源説は、朝鮮半島から渡来した人たちが生業としたことから始まったとする説。最初に確認できる売春女性の名称は万葉集に登場する「浮行女婦(うかれめ)」とされています。平安時代は「遊女(あそびめ)」、平安時代末期から鎌倉時代にかけて「白拍子」とよばれる。歌や舞などに優れており裏芸として売春に応じていたといわれています。

 近世江戸時代になると都市へと人が流れて都市に売春女性の種類と人数が増加しました。江戸時代になると私娼と公娼に二分されます。公娼制度は売春防止法が施行されるまでの間、江戸の吉原などの遊郭地が全国に存在していました。

 明治時代に入ってからも遊郭は明治政府に公認され存続していましたが1872(明治5)年にマリア・ルース号事件が起こり国際問題に発展しました。

マリア・ルース号事件とは、ペルーの汽船マリア・ルース号が苦力(クーリー)とよばれる中国人の下層労働者を連れて横浜港に停泊した際に苦力が逃亡し、奴隷売買だとして日本が解放しますが、外交問題・国際裁判になった事件です。その際日本では芸娼妓約定が奴隷契約と指摘され奴隷契約のある日本が勝手に外国の奴隷を解放するのはおかしいと異議が申し立てられました。それを機にその年に芸娼妓解放令を布告し、人身売買の禁止、芸娼妓の解放、前借金を帳消しとしました。しかし、遊郭そのものは禁止されていないため翌年に東京府貸座敷および芸娼妓規則が施行され本人の意思と働く場所を明らかにすることを条件として存続しました。法的には強制売春は禁止されるかたちです。

 第二次世界大戦後、GHQは私娼制度の廃止を決定しますが地域を限定して認め、売春防止法が施行されるまでの間残ることに。限定した地域は、以前の遊郭免許地で警視庁が地図上で赤線・青線という形で囲んだ場所に由来されます。GHQが定めた地域限定の許可は売春防止法により無くなりましたが、売買春は存在しつづけます。自由恋愛をおこなったという建前で表面的には売買春はおこなわれていないとしています。

 明治の間、何度か売春について与論・議論が盛んに行われました。1886(明治20)年前後の廃娼運動、大正期の貞操論争、1955(昭和30)年前後の売春防止法の制定などです。

背景には明治初期に西洋の文化を取り入れる中でキリスト教的な価値観が浸透したことが関係します。キリスト教的な価値観が浸透した結果、売春の起源とされる神の領域だったものが野蛮と動物の領域とされ、婚姻関係のある男女での子づくりのための生殖行為のみ性交が正当とされ、それにより売買春は動物的な欲求の処理をする役目であり獣商売とされ「醜業婦」というレッテルがつくられ売春女性への差別や蔑視がなされるようになりました。売買春は神聖な宗教としての価値から始まったものがその後逆転し野蛮なものとなり、売春を行う女性は一般の婦女子のもつ人権や性的自由が保障されない存在となったとされます。

 売春防止法をめぐっては、売春は自由意思か強制の結果かという争点が中心となりました。しかし、売春防止法は公娼制度が存在しないこととして制定され、1970年代以降は少女売春や海外の女性への買春が問題視されていきます。そのころになると、公娼制度が国家・社会にとって有害であり公娼がなくなれば私娼も減少するという主張と、公娼があるから風紀の乱れを抑え性病や犯罪の多発が抑えられていると主張する私娼論対廃娼論という対立がされました。

 売買春について中心となって言説した津田真道は、「売春=人身売買」という認識や「売春=牛馬業」という位置づけを示しました。また、他には恋愛中心主義の観点から「売春は女性の玩弄物視を招く」「金で性を売買するのはいけないことだ」という問題視もあがりました。

さらに、売買春以外にもポルノも男女平等の観点から非難されるようになっていき、男女の性欲をどう捉えるべきかという前提が重要となりました。男女で性欲は違い、男性の性欲は買春に向かうことは不可避であるという「性欲=本能」論は売買春が法による規制ではなくせないという根拠として主張されています。

売買春は性を売るのが圧倒的に女性であるというジェンダーに関する点、性をお金で売り買いすることの是非、売春行為は自由意思か強制かという点などが議論されてきました。

2.売る女性の背景

 日本で性を売る女性、売春・援助交際(P活、JKビジネス)をするのはどのような目的や背景があるでしょうか。

売春には管理売春と自由売春が存在します。管理売春とは売り手と買い手の間に第三者が存在し、その第三者が場所の提供をしたり、交渉をして仲介をする役割を持ちます。自由売春には管理売春に存在する第三者がおらず、売り手と買い手の二者のみとなります。

援助交際という言葉がありましたが、現在はパパ活(P活)やJKビジネスという言葉などへ変化しています。これらは女性と男性が食事やデートなどをして金銭のやりとりをする行為がいわれています。

1980年代後半にテレクラやデートクラブで使用され、それがマスメディアにとりあげられたことで社会に広まったとされています。1996年頃マスマディアは「女子高生の売春」と同じ意味で援助交際を大きく報じ、社会問題として認知されるようになりました。援助交際を行う女性の典型的なイメージとして、売春で得たお金を散財してまでホストクラブに行ったり、ブランド物を買うことなどがあります。

 援助交際は二つの語られかたがあり、性交を伴わないものと売春行為があるものがあります。これは現在言われているP活でも同じようです。

元々使われていた援助交際という言葉でも援助交際の売り手側となるのは女子高生など未成年だけではなく主婦、大学生も含まれていました。

管理売春と自由売春でトラブルの対処が違うように、客となる男性は店にきて売り手の女性を選びますが、自由売春では売り手が買い手を選ぶという関係性もあります。

そこから自由売春では自己決定という問題が生じます。自己決定とは、自らの意思で行為を選択したのだから責任は個人にあることを指します。

さらに、自由売春では売り手も買い手も合意の上であるため誰かに迷惑をかけたわけではないから問題ないという主張があります。

売春、援助交際(P活)をする女性が目的を問われたとき、ほぼすべての女性が口に出す言葉は「お金」だといわれています。

しかし、金銭のみが目的でありそれ以外は求めていないかというと別の動機も存在します。金銭は必要であるけれど反社会的な行為の割り切りや正当化のために「お金」という言葉をつかい買春相手や自分を納得させる面もあるといわれています。

20年ほど前のものになりますが、圓田浩二の『誰が誰に何を売るか?』(2001)による援助交際をする女性の類型について紹介します。当事者の声を耳にすると今でも売る女性の背景にあてはまるように思えます。

類型は大きく3つに分けられます

①効率追求型<バイト系>

②欲望肯定型<快楽系>

内面希型<欠落系>

割合は、<バイト系>:<快楽系>:<欠落系>=3:1:6という比率です。

内面希求型<欠落系>は、さらに2つにわけられ、<AC(アダルトチルドレン)系><魅力確認系>があります。

効率追求型<バイト系>とは、援助交際に対して金銭以外の価値を見出さず、快楽や感傷的なものはないと主観的に判断しているケース。

しかし、恋愛感情に結びつけれる特定の相手と援助交際相手とでは線引きしており、恋愛感情を抱く相手と同じように援助交際男性との性的行為はできないなどすべての性的行為に対して割り切って行っていない側面を持ちます。

欲求肯定型<快楽系>とは、自分の性的な部分の売買に対して肉体的にも精神的にも喜びを感じる女性です。

性行為による快楽と金銭の両方の獲得を得ます。

内面希求型<欠落系>とは、援助交際の結果、金銭や性的快楽以外で精神的に作用するケースです。

金銭や自分が快楽を得ることに拘らず、援助交際をしている間は相手に必要とされていると感じることでアイデンティティを獲得します。孤独からの逃避が考えられます。

さらに、自己イメージの獲得のための願望が強いケースを<AC系>、性的アイデンティティの獲得に足しての願望が強いケースを<魅力確認系>とわけられています。

<AC系>の女性は家族や対人関係にトラウマを抱えており、寂しさや孤独から他者からほめられること、愛されることへの欲求が存在します。

家族関係における性的虐待・ネグレクト・身体的虐待、対人関係においてはいじめやレイプ、恋人からの裏切りなどを抱える背景を持ちますが、援助交際に走るきっかけは偶発的な要因が大きいようです。例えば、街頭で声をかけられた、SNSで目に付いた、親しい友人に誘われたなどがあります。

なかには、トラウマを援助交際によって癒す目的をもつ女性もいます。自らを傷つける性交をすることで、トラウマを一時的にでも解消できるという逆説です。

また、<AC系>のような場合、売春自体が目的となりそれを行うことでしか自己承認できず悪循環に陥ります。どう克服したらいいかがわからず、やめたくてもやめられなくなってしまうのです。

レイプや性的虐待を受けた人が売春や風俗業界で働く場合があるのは、性的な行為を軽く行うことによって自分が抱えているトラウマはたいしたことじゃないんだと思う込むための防衛の目的が考えられています。過去にレイプ被害にあった女性があえて金銭を媒介して性行為を行うことでトラウマを「傷を傷で癒す」作用があるという主張があるのは、レイプ被害によって犯人に自分の身体だけでなく人格をも壊されたと感じるからです。

なかには風俗で働くことで男性を軽蔑し、復讐する意味を含むケースもあります。金銭を払ってでも行為をしたがる男性を軽蔑し馬鹿にすることでトラウマの傷を癒しているのです。

また、性的に承認を得ると人格的な承認をも得られるので多くの男性に承認を得られるとやめる場合もあります。

<魅力確認系>とは、援助交際女性が行為に対して積極的かどうかや快楽を感じているかどうかは関係がなく、性交の対象に自分はなりえて、自分と金銭を支払ってでも行為をしたがる男性がいるということを確認することで性的アイデンティティの変化を求めるケースです。性的に認められることで、安心する目的があります。

性を売ることは生活苦による動機だけでなく、自己を高める目的や自己の不足感を満たすもの指摘されるようになったのです。けれど、援助交際をしている間はその行為を自分では割り切っているつもでも振り返った時に割り切れなくなるのだそうです。

生活苦以外での成人の売春では、次の有名な事件があります。

東電OL殺人事件の被害者は、東電社員のエリートで職場では総合職的スタンスで80年代では珍しい存在でした。生活苦があるわけではなかったにもかかわらず、「たちんぼ」をして売春行為をしていたことから、性的価値を取り戻すためだったのか等、被害者の背景が議論されました。

ここまで例をだしましたが、売春する背景には生活苦によるものだけでなく、個々の抱える不自由さを解消する目的として売春をする女性がいます。

つまり、買春者に対してのみを問題にしても個々の抱える売春するに至った要因を解消できるようにしなければいけないのです。

(もちろん児童買春をした買春側を擁護はしていません)


3.性的自己決定権をどう守るか

 男性が性的に好むのは「女性蔑視」と繋げられてしまい、女性本人の主体性を認められないことがあります。グラビアやSW(セックスワーク)も男性の性的欲望を奉仕したと見做し、女性が自由に自分のセクシュアリティを実現せようとしても「ふしだらさ」と他人への「迷惑」を主張するからです。女性が自由意志でするから問題なのではない、他人(他の女性たち)への迷惑だという主張がされる。

家父長制批判にあるように、男性中心社会による弊害の根拠として男性の性欲は支配、性=ふしだら悪、支配欲を充足させたという考えがあるためです。

売買春の性的批判に対しSW(セックスワーク)という言葉を使って社会的差別や否定なイメージを払拭させる、ふしだらさ=悪という刷り込みの差別的意識のまなざしからの開放や自らの存在証明と自己証明・自己定義を求めていくアイデンティティ要求運動も女性達からありました。性よる労働も主体的存在であると。

自由意志vs強制労働のぶつかりです。

多くの問題や苦難を抱える人が他人に強制されていなくても、環境や生い立ちによって売春にいきついた場合、それは本当には自己決定だとはいえない選択肢が少ないための消極的自己決定だとされます。

性的自由について論じられる際、1987年に起きた「池袋買春男性死亡事件」の裁判が例に挙げられるため、ここで紹介します。

事件の内容は、ホテトル嬢とよばれる性業従事者がホテルに派遣され、客室にいた相手の男性から暴力を受け恐怖し、相手は持ってきていたナイフで刺して逃げようとしたところ更に暴行を受けたため抵抗し、男性を死亡させてしまった事件です。

男性はサディスティックな行為を好み、暴力的に行為を行う目的としており事前にそのように打ち明けなかったのは、抵抗する様子を楽しむためだったと考えられました。死亡した男性が部屋につけていたビデオによると、暴力を奮っていたのは圧倒的に男性であったことが判明しましたが、女性の行動は過剰防衛となりました。

 判断は、女性は抵抗するのではなく、説得するべきだったとされました。判決では、性業従事女性であることから見知らぬ男性のいるホテルへ行く以上、売春する女性と一般女性とでは性的自由の度合いが異なると解釈し危険が伴うことは想定の範囲内で自ら招いた危難であるとされました。それを仕事にしている以上、性的自由の侵害への抵抗は認められにくいとされたのです。

 現在の性産業でもですが、対価によって性行為を承諾していてもすべての性行為について承諾していることにはなりません。望まない行為に関しては断ることができる権利が性的自己決定権です。これは、売買春の関係に限定されているわけではなく婚姻関係、恋人間であってもです。

 性的自己決定権には性は身体だけでなく人格や精神と切り離せないものだという考え(性=人格論)もあり、分けたり切り離せないからこそ、性に対する侵害が人格への侵害であり人権侵害だと主張されます。

自由売春においては、自分の選択肢で客を選びます。未成年の場合でも積極的に売り手となる事実はあります。自ら、いつ、だれに、どのような行為をするかを。

ただ、未成年は保護の対象のため、成人との間に性的自己決定権があるといえないと考えますが、「買われた」と表現をかえても「売ることを選んだ」未成年の選択肢は存在します。自主的、積極的に行う児童を無視するのは被害を無くすことも防止することも出来ません。

そこに至る要因があれど、すべてを酷い大人によって買われたんだとすることは問題の解決にはならないと考えます。(頼まれても大人ならば子どもへの性交等は断るべきですが…)

4.合法化の議論

 売春する女性は、救済の対象(転落女性)→支援の対象(サバイバー)へ変化の中で“セックスワーカー”と名乗り安全に働き生活する権利を要求する人々と団体の登場により、性産業の是非も残りつつ、労働環境の是非へ。

「労働問題」+「人権問題」も議論になってきたのです。

セックスワークという言葉は、

・社会的差別、否定的なイメージを払拭するために意識的にしようされるように

・売春者自身に刷り込まれたと思われる差別的な意識のまなざしを開放させるため

自らの存在証明と自己証明&自己定義を求めていくというアイデンティティ要求運動の中で使用されてきました。

セックス・ワーク論では売春を性業従事者の合法化を求め、雇用労働契約を結ぶという点で他の労働と同じであり労働保障として売春女性の性的自己決定権を保障するべきという主張があります。

非合法であるから肩身の狭い思いをするのであり合法化され他の労働と同じだと世間に広まれば差別は解消する、との意見もあります。

売春はワークであり性的サービスを売っているにすぎず、買春もサービスを買っているにすぎないと主張する立場の人や売春者支援団体は買春者に対しても批判をしません。この主張を示したのは、売春者支援団体「コヨーテ」(古ぼけた価値観を捨てよ、の意)の責任者アレクサンダーです。

また、売春をワークとする主張の中には売春を含む性産業はマッサージ業と同じだという主張があります。

肩こりを解消するマッサージ業と同じように性産業は性欲を解消するのであり、労働だという意見です。現在ある問題は、労働環境の問題として解説すべきだとしています。

しかし、反対派はマッサージ業は業界全体が肩や腰など身体の凝りをつくりだすことはないけれど、性産業は広告、雑誌、スポーツ新聞、ポルノなど様々な分野で「性的だ」とする情報をのせることで社会的に「凝り」をうみだしているという主張もあります。それによってマッサージ業と同じには語れないという批判です。

さらに、批判はそれだけでなくマッサージ業と同じように扱うと、買春者は増えるが価値が下がり、今ほどの収入を得られなくなり性業従事者の危険も増えることや、価格競争がおこったり、客の要求度もあがるという指摘もあります。

日本はアジアへの影響を与えるため、性産業においても日本が仮に合法化すると「出稼ぎ」にくる売春女性を含めて国際的な影響がでます。売買春を合法化するならば、「労働環境」を整える必要はでてきます。売買春が合法化されている国や非合法の国については、また改めて紹介したいと思いますが、労働と認められれば「労働環境」の問題として置き換わります。

デンマークは北欧諸国の中でも売春に対する規制が弱く、1999年3月に売春を合法として認めました。売春女性が豊胸手術などをした場合は経費としておちます。仕事の道具であり、手術は投資という解釈になります。

合法化しているデンマークに対して北欧諸国の中で規制を強化を最初にしたのはスウェーデンです。罰則の対象は売春側ではなく買春をした側のみ。罰金しくは禁固刑が科されます。

ハンガリーでは売春が合法化されていますが、定期的に健康診断をうけることや年金も受け取れます。その背景には、いままで売春女性から徴収出来ていなかった税金を徴収する目的があります。

 未成年の場合に戻りますが、児童は保護されるべきであり、児童が売春をしたとしも犯罪にはなりません。しかし、虞犯(ぐはん)少年として少年法に基づいて補導される場合もあります。児童買春だけでなく、売春を規制する売春防止法においても罰則はなく売春者は処罰されません。ただし、斡旋をした場合は犯罪にあたります。児童の場合も未成年なので犯罪としては成立しませんが、処罰される可能性はあります。

 

5.日本での取り組み

 日本国内の売春行為に対する法の規制は売春防止法があります。また、近年日本の性産業は改正風俗営業法により風俗店や営業に対して規制が強まりました。

 出会い系サイトへの規制は、未成年者の売買春の場となっていることから2003年9月に「出会い系サイト被害防止法」が導入されました。これは成人男性が出会い系サイトを利用し18歳未満の児童に「援助交際」を申し込むこと、18歳未満の児童が「援助交際」を誘う書き込みを禁止しました。これにより一旦は減少したものの、再び増加しました。

 2008年にはそれを強化した改正法が施行されました。出会い系サイトの業者に対して都道府県公安委員会に届けることを義務付け、無届の場合は罰則が科されます。これにより、いままでできなかったインターネットプロバイダー業者に対して強制捜査が可能となったのです。

そして令和元年に改正され、さらに強化されました。

しかし、ネット上では隠語が使われており、監視は困難となっています。サイトも様々な形をかえ、SNSへ移行し、いたちごっこのようになっています。

6.まとめ

 今回、「買われた」展の「買われた」の言葉の表現に疑問を抱き、性を「売る」女性はどのような背景があるのか、やりたくないのに行っているのか、

当事者にとっての支援とは何かを考えることを目的としました。

その中で、日本の売買春の歴史売買春で何が議論されたか性を売る背景取り組みについてまとめました。

改めて児童買春に絞ると、保護するべきは少女だけでなく男女含めて望まぬ危険な行為をなくすことができるかどうかが重要です。

「買われた展」を企画したに仁藤氏は、「何より問われるべきは、子どもの性を金で買う大人たちだ」と指摘しています。児童を買春することは倫理的にも法的にも問われます。

しかし、何よりも問われるべきなのは、買春男性ではなく売春するに至った要因ではないでしょうか。

改めて私のツイートを確認します。

「買われた」という表現と内容に疑問を抱くのはおかしいでしょうか?

前回の展示でも未成年の当事者の売らざるをえない背景や環境がメインであるとされました。買い手の存在はいますが、「買われた」展は、買い手の問題視をする展示で、買い手の問題についての内容でしょうか?

また、私のツイートは”隠蔽”しているとまでいえるのでしょうか?

買春男性は問題ですが、買春男性がいなくなっても、当事者の問題や要因そのものは解消されません。

そして残念なことに、世間はそこまで背景をみることはなかなか困難です。「買われた」というネーミングで悲惨さや可哀想を前面にだしても、「買われたじゃなくて売っただろう」「売っているから買うんだろう」と背景までいきついていません。

 「買われた展」について、こちらのツイートのご意見を紹介します。

“「知らない人に知ってもらう」というよりも、「同じ境遇の人間の共感を深める」だけに偏る気がする”

“「余計に近寄りがたいものになる」”

 わたしもその通りだと思います。

 そもそも関心がある層は少なく、有料の企画展に行く人はすでに問題関心がある人でしょう。センセーショナルなタイトルや悲惨さ、不安を煽る記事は拡散されやすいですが、当事者同士だけになります。また、元々関心がない層は尖ったタイトルにしても第三者からはそういう人がいることを知ることや次へのステップがわからずそこで終わりがちです。

 買春男性のみの問題にするのでは、解決するべき根本は解消されません。

 家庭や学校での居場所、福祉の足りさなからきています。一過性の話題作りで終わらぬよう、実効性のある継続的な支援が望ましいと考えます。

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引用:警視庁ホームページから


児童を守るためには・・・

・正しい情報を広める

貧困家庭の多くやトラブルにあう児童は情報が得られにくいです。正しい情報と、どこに助けや支援を求めたらいいのか、どこがあるのかを広めることも重要です。公的機関でも、支援団体でもいいので児童買春以外で助けを求められる環境が必要です。

児童が自分を守るためにも、先程のリーフレットにあるように3つの「しない」も大切です。

見ない、書き込まない、会わない。

 事情を抱える児童だけではなく、これくらいみんなやってる、たいしたことないという安易な間違った情報や知識の児童がいることも確かです。

・福祉を強化する

虐待家庭を含み家庭や学校で困難を抱える児童を支援する福祉の支援は不足し、課題は多くあります。社会的資源を強化し、保護や支援をすることで児童が売春しなくてすみ、トラブルにあわないこと、安心できる環境こそが必要です。

・大人は子どもを買わない

”可哀想”な子どもを救うのは買春行為ではありません。居場所がないからと助けを求める児童がいたとしても、買春行為は倫理的にも法的にも問題があります。しかしそれで児童は救われません。

 わたし自身、虐待サバイバーであり家から逃げたくて「誰か助けてくれないかな」、「誰でもいいからどこか泊めてくれないかな」と考えたことはあります。ですが、福祉に繋がれたことで救われました。

売買春の歴史や是非についてもまとめましたが、“大人が” “自分の意思”で性を売ることを否定しているわけではありません。

児童が「売らざるをえない」環境がなくなることを望みます。


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