着物というコミュニケーション
私は10年近く茶道を習っている。季節の移り変わりを感じ、日本の素晴らしい工芸に触れ、五感を刺激してくれる、私にとって大切な時間である。
お茶会に参加したり手伝ったりすることも多く、そのような時は着物で過ごしている。
初めのうちは、美容師や着付師に着付けをしていただいていたが、頻度が多くなると費用がかかってしまうことや荷物が多く移動にも時間がかかってしまうことなどを踏まえ、毎回依頼するのは難しいと思うようになった。
必要に迫られて自分で着付けをすることになったが、着付けの本やYouTubeの独学で、なんとか着ることができるようになった。
着れるようにはなったが、時間はかかるし着崩れもしやすい。
綺麗に着れるようになりたいと思いながらも、忙しさにかまけてそんな状態を長く続けていた。最近、やっとまとまった時間がとれるようになったので、真っ先に着付けを習得することを決めた。
茶道のお仲間に、着物関連の仕事をされている着付けのプロがいらっしゃるので、その方に教えを乞うことに。
念願がかなっての着付けレッスン。着物と小物一式を持参し、楽しみな気持ちで挑んだ。
一通りは着れるので、まずは自分で着てみることに。これまでのYouTubeでの自主練もあるため、なんだかんだ自信を持ちつつ着付けを始めると、あっさり指摘が入る。
まず紐の結び方からである。
着物を着たことがある方はわかるかと思うが、着物は多くの紐で留めて仕上げる。紐の結び方なんて留めれればいいだろうと思っていた私には衝撃だった。「ちゃんと留まっているではないか」とも思っていた。
しかし、教えていただくと仕上がりは全く違っていた。自分ではだらしなくゆるんでいたのが、見た目も綺麗でしっかりと留まり着崩れもない。
紐は「留めれればいい」ではなかったのだ。
いくつか紐を使うがそれぞれに意味合いがある。襦袢の襟を合わせるための紐、着物のおはしょりを整えるための紐、着物の裾の長さを決めるための紐。
なんとなくこのタイミングでこの位置に留める紐という感覚だった私は、甘かったのだ。
紐だけではなく、着付けの手順には全て意味がある。
最終形をイメージして、一つ一つの手順の意味を考えて丁寧に行うことで、綺麗に着ることができるのだ。
無駄な動きをしないように、最終形を念頭に準備をすることが何よりも重要であり、これは何事にも通じる心得だと思った。
さらに、着付けを教えていただくとともに、着物の基礎知識も教えていただいた。
着物や帯の種類、どのようなシーンに合わせるかなど、初めて体系的に知ることができ、着る時のイメージが具体的にできるようになった。
着物には非常に多くの種類があることに驚いた。
季節によっても素材の差はあるが、フォーマルなシーンはやわらかな着物、カジュアルなシーンではかたい着物なども素材で違いがある。
結婚式から普段の散策まで様々なシーンで活用する着物だが、それぞれ場面に合わせた着物を身にまとう。素材や格で、祝いごとなど相手への敬意を表すことができる。
また、着物も帯も色、柄が魅力であり、季節やその日のテーマなどを表現することができる。
着物は、独りよがりのものではなく、相手や場に対してのコミュニケーションの表現方法のひとつなのだと実感した。
洋服でもTPOに合わせたコーディネートをするが、着物は形が同じである分、素材、柄、色などが表現する要素が大きいように思う。
多くの種類があり、合わせ方次第で印象も意味合いも全く違うものになる。少し先の季節の草花の絵柄のものを取り入れて、季節の移り変わりを意識したり、おめでたい柄を取り入れ祝福を表現したりできる。
相手やシーンに合わせて、相手への敬意や一緒に過ごすわくわく感を込めることができる。語らずとも着物で表現できるのは、日本人の奥ゆかしい感性によるものだろう。また、相手側にもその意味を汲み取ることができると、心を通わすことができる。
さらに、着物というコミュニケーションは、空間を共にする人に対してだけではない。
多くの着物が絹というとても丈夫な素材でできており長持ちする。着物は身体に合わせて着付けをするため、サイズが合わないことが少ない。
このことから、母、子、孫と世代を超えて同じ着物を受け継ぐことができるのである。
「おばあさんが結婚する時に着たもの」や「お母さんがお琴の稽古に一生懸命通った時によく着ていたもの」など思い出とともに受けつぐことも多い。
まさに時代を超えたコミュニケーションである。
最初は抵抗のあった着物の世界だが、触れることで、相手を思いやる古くからの日本人の感性に一層惹かれるのであった。
コーディネートをするだけで精一杯であったが、素材、柄、模様などを知り、会う相手のことを考えながら、何をどう合わせようかを思案する時間が楽しい。装いで表現できるコミュニケーションは、とても魅力的だ。