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影からの風景

 わたしは、美しくなかった。おまけに、太ってもいた。
 わたしは隠れるように、兄の後ろをついて回った。兄は、サッカーがうまい。兄の周囲には老若男女いつも人がいる。親戚も近所の人も、呼吸をするように、兄をほめた。
 男前、という言葉を兄を通して知った。兄の好物は牛乳で、毎晩のお風呂上がりに飲む。兄が「牛乳ちょうだい」と言えば、わたしは嬉々として、当然のことのように兄のコップに注いだ。
 わたしは、中学でバスケットボールチームに入った。レギュラーになった。近畿大会に出た。自然とやせた。
 好きな人と、両想いになった。兄は相変わらず人気者だが、わたしも兄に近づいている。クラスメイトから、「兄へお願い」と手紙つきのチョコレートを二月に渡された。わたしは、誇らしかった。

 わたしが中学二年で、兄が高校一年のとき。両親がわたしと兄を座らせた。大事な話があると、いつになく真剣な顔をしている。
 「生活は日本にあるが、ルーツは韓国にある」
 父は淡々と言った。わたしたち家族は、在日韓国人であると説明された。
 韓国が日本だった時代に、祖父と祖母はそれぞれ海を越えて日本に来た。祖父母は日本で出会い、父と母が日本で生まれ育ち日本で出会い、わたしたちが日本で生まれた。わたしと兄は、在日韓国人三世らしい。
 日本で生活がしやすいように帰化をするから、父は言う。
 「日本人になるけれど、自分の先祖は韓国にいる。自分のルーツは韓国にあることを、忘れないでほしい」
 力強い眼差しを向けた。
 わたしは、驚いた。そんなグループの人が、自分の住む世界にいることを、知らない。
 ぼんやりとあった何かが、つながったところもあった。父と母が並ぶ結婚式の写真での母は、ウエディングドレスと、もう一枚は民族衣装だった。
 不思議だった。あえて、母に聞かなかったのかもしれない。あれは、チマチョゴリだった。
 父親の説明に、いやだ、とわたしの中をはっきりと拒絶が通った。その個性はいらない。他人と違っている自分の特徴のすべてが、好都合であるわけはない。
 隣にいた兄は、「やった!」と顔をほころばせた。特別さを手に入れたようだった。
 サッカーの日韓戦を両方応援できるってことでしょう。おれが日本の女の人と結婚したら子どもは両方の血を備えているんでしょう。血は遠いほうが優秀な子が生まれるというもんね。付き合っている彼女にすぐ伝えよう。考えもしなかった事実に悲観するわたしの隣で、屈託なく笑う健やかな存在がいた。

 負けた、負けた。兄はいつでも、世界に対して、対等だった。
 すらりと伸びた手脚と、その上にちょこんとのったよく焼けた小さな頭。筋の通った鼻、切れ長の二重まぶた、尖った顎と、屈託なく笑ったときに覗く白い歯。沈む夕日をいつまでの眺めていられるような、完璧な美しさだった。 
 こんな存在とわたしは、本当に血を分けた兄妹なのか。同じ一つ屋根の下で同じものを食べている。にもかかわらず、わたしと兄の間には大きな河が広がっていた。橋がかかる日は、訪れるのだろうか。
 兄がわたしに微笑んで、言葉をかけた。
 「ゆきの肌が陶器のようにきれいなのは、韓国の血が流れていたからなんだね」
 ピカピカでツルツルの心でいる兄からの、楽観的すぎるほどのほめ言葉だった。
 兄の裡には、しわがない。わたしに劣等感を抱かせるのも兄で、それを引き戻してくれるのもまた、兄だった。わたしはどこまでも、太陽について回る影だった。
 負けた。
 この諦めは、はじまりだ。大通りのど真ん中で、世界と勝負をしても、勝ち目はない。影には、太陽には到底想像の及ばない影の世界がある。
 わたしはわたしを、生きるしかない。


おわり

*太宰治『黄金風景』の構成を型にした、オリジナルです。山田ズーニーさんの「表現力ワークショップ」で制作した文章に推敲を加えたもの。
『黄金風景』


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