海が見たかったの
木曜日に、2ヶ月に一度の出張がありました。
今回も新幹線での移動のため、感染対策を万全にして出かけました。
そして、いつものように用事を済ませると、主人から「お疲れさま。今日は仕事はもういいよ。せっかくだから、少し散歩してきたら」
初めて訪れた場所、時間はまだ12時すぎです。案内所でいただいた地図には、たくさんの名所が載っていて気になる場所もありました。でも、やっぱり人混みは避けたい。それに何より、どうしても見たいものがありました。
炎天下の中、真っ赤なレンタサイクルに乗り、郊外へと向かいます。平日の昼間に、重い荷物を背負って自転車に乗っているのは、夏休み中の小中学生か、わたしくらいです。
この街は小さなアップダウンが多いと、あとから気付きました。ちょっとした坂を登っては、降りての繰り返しです。途中、自販機で何度も飲み物を買い、そして日焼け止めを塗り直しました。
暑さで意識が飛びそうになりながら、地図とタブレットを睨めっこ。目的地まで、あと少しです。
出来るだけ日陰を探しながら、真っ直ぐの、だらだらした坂道を登ります。セミの声と、自分の息づかい。わくわくすると同時に、わたしは暑いなか何やってるんだろうと、ちょっとだけ後悔していました。
やっとのことでてっぺんまで登りきり、視線の先に見えました。それは、わたしがどうしても見たかったもの。
呼吸が整わないまま、休憩もそこそこに坂道をびゅーんと下ります。
もうすぐ会える。わたしの生まれた町にあるもの。いつも身近にあったもの。もうずっと、見ることのできなかったもの。
懐かしいあの音、あの風、あのかおり…
少し走ると、駐車場が見えてきました。よし、あそこで一度止まろう。
そこは近くの水族館の臨時駐車場のようでした。自転車を降りて、肩に食い込んで痛かった鞄を放り投げるように地面におろします。
そして、大股で一気に堤防を登りました。近くにいた家族連れの方に少し心配そうな顔をされつつ。大丈夫です、飛びこんだりはしませんから。
堤防の上に、ひとり。ぶおーっと生暖かい風が、全身を通り越してゆきます。
やったーと、思わず声が出ました。
これが見たかったの。
北も
南も
この時だけは、暑さも、疲れも、嫌なこともぜんぶ吹っ飛んだよ。
サンダルに履き替えて、湿った砂浜を歩き、ずんずんと海へ向かいます。
ざざざーっ
気持ちが先走って、ズボンの裾を捲るのを忘れちゃった。思い切り濡れたけど、すぐに乾くし。気にしない、気にしない。
冷たいと思って入った海は、ぬるま湯みたいで拍子抜けしました。
長い時間かけて来たけれど、強い日差しに負けて、滞在したのは10分程度。でもきっと今年最初で最後の海、本当にうれしかったの。