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自分好きじゃないけど生きてるよ、な話
こちらの書籍の「1ヶ月チャレンジ」を参考に書いています。
第10日目 自分の好きなところ
来ました。個人的に一番書きづらいテーマ。
なぜなら、気づいたら「自分好き」と思ったことない人間になっていたから。
突き詰めると、親の育て方が〜とか、あの時のトラウマが〜とか、紐付けができそうな気はしますが、もはや何十年も「自分の好きなとこない」人間で生きているので、ただの気質と変わりないと思います。ベテランです。
息をするように、当たり前に自分のこと別に好きじゃないです。
ただ今日は「真の自己肯定感とは、自己否定をも肯定するものだ」というオチになりました。
←もはや、チャレンジテーマ関係ないような。
「自己肯定感」という言葉はいつ登場したんでしょうね。概念は昔からあったのかもしれませんが、急に呼び方が登場した印象が。
「とっくり」と「タートルネック」ぐらいの差かな?
少なくとも、私が自分のことを好きじゃないと自覚するよりずっと後に生まれてます。
「自己肯定感」とは?で検索すると、あちこちでその定義が説明されていますが、平均して
「ありのままの自分を肯定する感覚」
といった解釈がされています。
某雪と氷が大量に出てくる映画、あの主題歌と同じ世界観なのかと思いました。
とあるホームページでは、
・自分自身に対するポジティブな評価や自信。
・自分の能力や価値に対して自信を持つこと。
・自己評価が高いという状態。
といった定義がされていました。
自己評価が高い状態??
これだと、私のように自己評価が低く、自信がないのは「自己肯定感」からは外れるなと。
様々な考え方があるなと思いましたが、「ありのままの自分を肯定する」という定義がメジャーなら、「ありのまま」なんだから、自信のない自分もOKってことなんじゃね?と思うようになりました。
悟りの域です。
自己評価が常に低い私は、「自己肯定感高く」がトレンドになるよりずっと前から生きづらさを感じていて、自己啓発本や心理学の本を読み漁っていました。
でも「自分を愛そう」とか「自分のいいところを書き出そう」とか書かれていると、途端に萎えてしまって。だって、好きじゃない人を無理やり好きになれないのと同じで、しみついた感情に線引いて書き換えても、消えるわけじゃないし。
そういう感じで、「自分好き」なんてワードとは無関係に生きて何十年です。
人生、あと何年残ってるかわからないけど、もう思春期の自分探しみたいなことはあまりしなくなりました。
ただ、ちょうど今日気づいたことがあって。
私の息子は、私に似たのか育て方なのか、または気質かもしれませんが、あまり自分に自信がない方です。
絵を描くのが好きで、暇があるとせっせと何やら描いていますが、仕上がりにはだいたい
「下手くそ」と自己評価をしています。
また今日も「体育の時間にサッカーをやったけど、僕が一番下手くそやと思う。」と言っていました。
野球もサッカーも、スポーツ全般あまり興味がなく、練習したこともないのだから下手で当たり前なんですけどね。
まあ、悔しくて恥ずかしいみたいな気持ちは理解できました。
そこで、「得意なことは人それぞれやし、落ち込むことはない。でも悔しくはなるよな。」と、精一杯の寄り添い発言をしてみたわけです。
内心、親としては「自己肯定感が高い子に育てる」って昨今の流行りはちょっとよぎるんですよ。
自分も生きづらかったし。
でも私は息子の「悔しい」「自信ない」がよくわかるので、そこを認めてあげた時、子供の頃の自分が蘇ってきたんです。
ああ、私も体育が苦手で自信なかったな。
足が遅くて、恥ずかしかったな。
そしたら、息子にかけた言葉がブーメランで。
幼い自分も慰められた気がしました。
で、今日のテーマに絡めて「自己肯定感」とはなんぞや。
ありのままの自分を認めるなら、自信がなくてグズグズ言うてる自分も存在していいってことだと思うんですよ。
自己肯定感を高めようと頑張っていると、「自分好き!」ってなれない自分はダメだわと、結局否定のループに陥ることがあって。
いやいや、ありのままを認めるなら「自分好きじゃないねん」が認められたっていいはず。
もう、自分好きじゃない芸人でもいいです。
ただ、自分に自信がないことで、もしかしたら人間関係や行動に不便は生じるかもしれません。
でも自信ないなりのノウハウとか、やり過ごし方はあるし、自信のなさとかどうでもいいみたいな瞬間はきっとあると思います。好きなことに没頭してみるとか。
ベテランの私はそうやって、どないかこないか生きてきました。
私もおそらく、死ぬまで「自分が好き」とは言わないと思いますが、それでも楽しい時間はたくさんありました。これからも自己否定する自分も認めながら、やっていこうかと思います。