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すでに死んではいる。

先日、病名がついた。
診断されたときは少し安心したような気もしたけど、やはり時間を追うごとにしんどさだったり不安だったりが押し寄せてきた。仕方ないけど。

もちろん、楽しいことだってたまにあるし、好きだなぁって思う人たちもいるけど、それらを取り巻く自分がすっごく嫌いになることがある。僕が好きなこの人たちは、僕と関わらなかったら、もっと幸せに生きることができたのではないかとか、僕と関わることで何かを失ってるのではないかとか。考えなくても本来はいいらしいけど、やはりどうしても考えてしまう。すっごくしんどい。

長生きしてまで達成したい目標だったり、なにか守るものであったり、そういったものが見つからない今の僕は、ただ周りの人に、僕が死ぬことによって精神的なダメージを与えたくない、誰かの人生に悲しみを与えてしまう可能性をできるだけ減らしたいという思いから死んでいないだけで、自分の幸せや目標などのベクトルで生きることができておらず、実質的に死んでいるのではないかと考えてしまう。

死ぬ勇気もないし、周りに与える影響もすごく怖いし、誰かの人生に悪影響も無いから、自ら命をたつという選択肢には至らないけど、ふと街を歩いていると、道行く車が突っ込んできてくれないかなとか、乗ってるバスが横転して僕だけ死なないかなとか、そんなことを日々考えている。考えれば考えるほど、自己肯定感だったり明日への希望は少しずつ減るばかりで、朝を恐れて夜中を苦しみながら眠らずに過ごしている。

終わっていた中高の頃と違い、今は少しばかりの人が僕に優しくしてくれるので、楽しい日だってできているけど、そんな日の帰りは決まって、今日死ぬことができたらどんなに幸せだろうかと考えてしまう。人生振り返っても友達がいなくて、休みの日は一人で家で過ごして、幸せだったなと感じる日々が少ないからこそ、幸せな日々が訪れてもつぎにいつこんな気持ちになれるかわからないし、いつまでもこの人たちと良好な関係でいれるかわからないから、楽しかった今日のうちに終われないだろうか、とか考えながら少し車の通りが多い道を通って帰ってみる。

どうせ明日も生きながらえてしまう。
日々終わらせたいと思っているのに。
キラキラした未来が見えない毎日を明日もどうせ僕は生きてしまう。死んでいるのに。

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姿煮
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