第十一話 ゴミの向こう側
無数のゴミ袋で満ちている部屋だった。メガネが最初に落ちてきた部屋でもあった。
三人と一冊はもうこの殺人的な臭いにも慣れ、それほど気にはならなくなっていたのだが、それでも部屋の臭いは彼らの鼻を多少ひくつかせた。
あらためてこの部屋を見ると、どうも本来はゴミ置き場なんかではなく、ただの普通の部屋だったようだ。一体何を考えて地下全てをゴミ捨て場にしようと思ったのか理解に苦しむ。
メガネ達一行はゴミの山をかき分けて進んだ。ゴミの海は泳いでも泳いでも先へ進まず、汚なさはなお増すばかり。しばらく歩き、メガネが立ち止まった。彼の足元には彼をヘリコプターからここへといざなってくれた懐かしのハンガーボールが落ちている。
「ここだ。」
メガネが立ち止まった。
「上を見ろ。」
全員が上を向いた。ゴミしか見えない。
「ここを登って上に行く。」
「えぇぇ!?」
二人、プラス一冊が同時に言った。
「おめぇーはかんけーねぇべ!」
吉田が、田崎の抱えているギメガに向って言った。
「雰囲気よ、ふ・ん・い・き。」
ギメガが吉田を見もせずに言った。
「多分、・・・この上だ。」
メガネは言い放ち、一人で上り始めた。
「多分って・・・」
しょうがなく二人がメガネに続いた。
「ひぃ、ひぃ、ひぃ・・・。ま、まだだべか?メガネさん!」
「も、もう少し・・・だ、と思う。はぁ、はぁ、はぁ」
ようやくゴミの山の頂上に辿り着いたとき、三人はそこがゴミの上だということも忘れてごろりと横になった。
「うぅ、ぐぉほぉん、ぐぉほぉん!も、もう駄目だ・・・」
田崎が酸素をかき集めながら言った。
三人はすぐには動けず、しばらく横になっていた。
「ほ、ほら。あ、あれだ。はぁはぁはぁ。あの穴から俺は落ちてきたんだ。はぁはぁはぁ。」
メガネが天井を指差した。なるほど、メガネの指す先には、二メートル四方ほどの四角い穴が開いている。
「あ、あんだら所に、はぁはぁはぁ、あ、穴、はぁはぁ、穴なんて開いていたっぺなぁ~、はぁはぁはぁ。」
「お、俺も、し、知らなかったよ。ふぅ、ふぅ、ふぅ。でもなんで、ふぅふぅ、部屋の天井に、ふぅふぅ、開いてんだろ?」
疑問は尽きない。
ようやく三人の息が収まってきた頃、メガネが起き上がった。
「よし。じゃ、あの穴から脱出する。」
「どうやってあの穴さいぐだ?あそこまでかなりあるべぇ。」
確かに三人の居る場所からその穴までは三メートルくらいはありそうだった。
メガネは突然、近くにあるゴミを手に取ると、その口を開け、ゴミを下に落とした。
「こうやってビニール袋をなるべくたくさん集めてくれ。」
「はぁ・・・」
『動きたくない』オーラが平等に三人を包んでいた。それでも三人は体に鞭打って黙々と作業を続け、やがて、四、五十枚の袋が集まった。
「さて。」
メガネは集まった袋の中から四枚を手に取ると、その隅をそれぞれ結んで大きな四角形を作った。
「こういう四角をあるだけの袋で作ってくれ。」
また三人の間に沈黙が落ちた。
ぐわぁーっ、ぐわぁーっ!
突然の音に三人の体がビクッと震えた。
「な、なんだべ?」
周りを見回した。カラス?
音の主はすぐ判明した。ギメガだ。彼女(彼?)は飽きて寝てしまったらしい。それにしても、イビキは体を表す、というのは本当だ。
三人は数秒、気持ち悪いもの見たさでギメガの安らかな寝顔を見ていたが、やがて黙々と作業を続け始めた。
「これでよし、と。」
広げると一メートル×四メートルほどの大きさの長方形が出来上がった。
「これでこいつを・・・」
メガネがさっき見つけたハンガーボールを手に持った。
「上に放り投げる。」
二人は怪訝そうな顔をした。
「どうやってこれで上に?」
田崎がビニールを指しながら言った。
「パチンコの要領だよ。」
「パチンコ?」
「ま、いい。今から説明するからその通りやってくれ。」
メガネはゴミの山を馴らしてなるべく平らにすると、今度は幾つかのゴミで二つの向かい合った壁を作り、ビニールで作ったさっきの長方形を両方の壁にかぶせた。そして、長方形のビニールのちょうど半分あたりの部分にハンガーボールを乗せると、ボールの重みで長方形が沈み込み、真横からみるとまるでMの字のように見えた。
「あ、そうそう。ついでに・・・」
メガネはギメガを手に取ると、ハンガーボールに彼(彼女?)をくくりつけた。ギメガはそれでもぐっすりと眠っている。
「で、お前達はこのビニールの両端を持って、俺が合図したら思いっきり引っ張ってくれ。」
「そういう訳か!」
田崎が感心したように頷き、それを横目で見た吉田が慌てて頷いた。そりゃもう、彼は絶対に理解してない。
「じゃ、いいか?せぇ~のっ!」
二人は手にしたビニールを思いっきり引っ張った。
バンッ!
ハンガーボールが、まるで弾丸のように飛び上がった。『ひぃやぁああああ~!』年取った蝦蟇カエルのような声が上空から聞こえてきた。
「何か聞こえたか?」
「いんや。なんにも。」
しかし、ボールはすぐに落ちてきた。
「もうちょっとこっちの高さが足りんな。」
メガネはゴミで作った壁をさらに高くした。
「ちょ、ちょっとぉ!あんた達!」
「いくぞぉ、せぇ~のっ!」
「ひぃやぁあああああああぁぁぁぁ~!」
ボールは恐ろしい勢いで穴めがけて飛んでいった。ハンガーボールに繋がれた紐はどんどん無くなっていき、もしものためにビニールで作っておいた紐も半分ほど無くなりかけた頃、ようやくその動きが止まった。メガネが紐を引っ張ってみた。びくともしない。それはボールが(ギメガが)無事に、外に出たことを示している、はずだ。
「やった~!」
田崎と吉田が手を取り合った。
「よし、じゃ、俺から行く。」
メガネがスルスルと紐を上っていった。続いて田崎が、最後に吉田が上った。
「あぁ~!」
外の空気は、ただ外の空気というだけで、まるでシュークリームのように甘かった。三人は何度も深呼吸を繰り返した。
「助かったぁ~!」
「よし、さっさと行こう。」
メガネは白目を見せて気絶しているギメガをボールからはずしながら言った時、
グワン グワン グワン!
ワン グワン!
狂ったような犬の鳴き声がすごい早さで近づいてきた。
「急げ!」
メガネが叫んだ。
煙突から飛び降りた三人は、必死で芝生の庭を走り抜け、塀にしがみ付いた。
グワン ワン ワン!
グワン グワン!
二匹、すぐそこまで迫ってきている。
メガネが塀の上に何とか上体を持ち上げた時だった。
「いてぇっ!」
まだ塀にしがみ付いたままだった田崎が叫んだ。
先に追いついた方の犬が田崎の左足の靴に噛みつき、荒々しく頭を振りたてていたのだった。もう一匹の犬もすぐそこに迫り、歯を剥き出し、噛み付く用意を整えながら走りよってくる。ようやく塀にまたがったメガネが、ポケットから何やら小さな物を取り出し、田崎の靴を噛んでいる犬に向って投げつけた。
キャン!
犬が口を外した瞬間、吉田が田崎の体を引き上げた。
「まぁてぇるぅ?まぁてぇるぅって言うかぁ?」
巨大な体からは想像も出来ない速さでメルトモが走ってきた。
メルトモの後ろには、筋肉マン約数十人が地響きをあげて(実際には聞こえてないが)走って来る。
「ひぃえぇぇ~」
吉田が観念したように叫んだときだった。
「おおいぃ!乗ぉれぇぇぇ~いぃ!」
白いカローラツーがすごいスピードで角を曲がって来た。
「アソウさんだ!おい、お前たち!あの車に乗るぞ!」
メガネが、吉田が、田崎が、次々と塀から飛び降りると、彼らの前で急停車した車に乗り込んだ。
「こぉらぁぁあぁ!むぅわたぁんかぁ!」
塀の上に登った、ひと際元気な男が叫んだ。
「須永さぁん!さぁよなぁらぁ~!」
先輩に向って吉田が陽気に手を振った。
みんなが乗り込んだのを確認したアソウがアクセルを目一杯踏み込んだ。白いマークツーはタイヤを軋らせながら発車すると、通りを抜け、建物の角を曲がって消えて行った。
「メぇクロ様にぃ、おぉこられちゃったらぁ、困るぅ・・・か?」
メルトモが悲しそうに言った。
(第十二話に続く)