― 「ところかまわずナスかじり」第313話 ミンククジラとアトランティス大陸 ―
そこは大海原であった。
ただひたすらに水があり、ただひたすらに真っ青な空が広がっていた。
と ―
その茫漠とした海面に白い泡が無数にはじけたかと思うと、一頭のミンククジラが姿を現した。
クジラ族としては小ぶりの多いミンククジラであるが、このミンククジラは巨体であった。
巨体ではあったが、古傷の少なさ、そして、多少ぎこちない泳ぎ方が、そのミンククジラがまだ若い個体であることを示していた。
海面で悠々と息をつなぎながら、ミンククジラは昨日の長老との会話を思い出していた。
― この先じゃ。この海のはるかかなた先、幾日も幾日も、幾月も幾月も泳ぎ切った先に、素晴らしい、巨大な大陸がある。その名も‟アトランティス”という・・・ ―
巨体をゆっくりと泳がせながら、ミンククジラは長老のその言葉を噛みしめるように思い出していた。
― きっと俺はその‟アトランティス”に到着してやる。たとえ何か月、いや、何年かかろうとかまわない。俺はきっときっと・・・ ―
ミンククジラの瞳からは、溢れんばかりの若さと決意の強さが炎のように吹き出していた。
一時間も過ぎたころだった。
ミンククジラの目の前に小さな島が見えてきた。
小さな火山島で、30分もあれば周りを一周できそうなほどであった。
― おい、お前はだれだ? ―
突然の大声にミンククジラは体をゆすって驚いた。
声の主は、莫大な面積の白い壁のような体を持ったシロナガスクジラであった。
巨体のミンククジラの優に4倍ほどはありそうな巨体であった。
― あ、あの、僕、アトランティス大陸を探して旅をしているところなんです。―
ミンククジラは声が震えないよう、相手に、自分の怯えが伝わらないよう十分注意しながら答えた。
そう、巨体ではあったが、そのミンククジラの人生は怯えてばかりの人生であった。
その臆病さゆえに、親にバカにされ、兄弟にバカにされ、そして友達からバカにされた。
悔しかったが、どうしようもなかった。
ミンククジラをバカにしなかったのは唯一、長老だけであった。
(アトランティスを見つけるこの長い旅のなかで僕は自分を変えるんだ。困難、辛さ、災難が襲ってくるだろう。でも、俺はその全てを乗り越えて、大人のミンククジラとして、みんなにバカにされない、いや、むしろ、長老のように尊敬さえされるようなミンククジラになって帰ってくるんだ。)
旅立ちの際のミンククジラの胸には、熱い決意が・・・
― ああ、アトランティスね。これだよ。この島。アトランティス。―
― え・・・・・・・。でも、アトランティスって巨大な大陸なんじゃ・・・・―
― わはははは。まぁ、アリにとってはこの島も巨大な大陸と言えなくはない・・・―
ミンククジラは泳ぎ去っていくシロナガスクジラを呆然と見送った。
― 長老!ひどいじゃないですか!アトランティスって巨大な大陸だって言ってたじゃないですか!―
― え?行ったの?
お前、バカじゃねぇの?
『何百万年も前の話』って言ったじゃろが。
聞いてなかったの?
お前、バカじゃねぇの?
え?
何年も泳いだところに?
お前、バカじゃねぇの?
『何百万年も前、ワシらはアリのように小さかった』って言ったじゃろが。
お前、バカじゃねぇの?
その当時のワシらからしたらなんでもデカいし、なんでも遠いじゃろうが。
お前、バカじゃねぇの?―
このように、そのミンククジラを‟バカ”呼ばわりしなかった最後の一頭が、いなくなったのだった。
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