誰にでもわかる!「哲学」と考える「人間の不安」の正体 ハイデガーの「存在と時間」前編 「死への不安」
こんにちは、俺やで
突然ですが、「あなたの生きる意味」とはなんですか?
と聞かれて、「誰かのため、夢をかなえるため」なんて答える人もいるだろうし、「ただなんとなく生きている、死にたくないから生きている」という答えも現代人に多くあるだろう。
この記事は「人間の不安」と「死」がテーマです。
内容が内容ですが堅苦しいではなく楽しく学べる記事を目指しているので気楽にさらっと楽しんでいただければ幸いです。
1.ハイデガーって何者??
今回紹介する人物は、知る人ぞ知るドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー(以下ハイデガーとする)
ハイデガーの書いた「存在と時間」は二十世紀最大の哲学書と呼ばれており、「存在と時間」は現代哲学の難解哲学書のひとつであり「存在と時間」について大学で講義が行われたり、今も研究をする先生もいる。
なぜ「存在と時間」がこれほど難解と呼ばれるかというと「存在と時間」は未完で終わってしまったことと、ハイデガーは基本用語を作り上げて説明することが特徴だからである。
「基本用語を作り上げて説明」と言われてもピンとこないと思うので「存在と時間」に出てくる基本用語の一部をざっと上げる。
【被投、企投、開示、現存在、平均的日常性、道具的存在者、配慮的気遣い、世界内存在、事物的存在者、実存、本来性、非本来性、世人、最極限の未了、先駆、先駆的了解、先駆的決意性、時間内存在…等々】
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頭に大量の???が溢れます。ブラウザバックしないでください。しかもなんとこれで一部です。なにをいっているかわからないと思います。ぶっちゃけ私もすべてはわかりません。さすが難解哲学書とよばれるだけありますね。この難解さゆえに様々な「存在と時間」の入門書が出版されている。
ハイデガーの「存在と時間」がなんだか難しそうなことがわかったところでどんな内容かを解説する。
この先読む気しねぇよ!って人のために「存在と時間」を簡単に説明すると、
『人間の存在も含めてこの世の中すべてのものの存在の意味を問うこと』
『人間とは死への存在であり、「生きる」とはどういうことか?』
という感じです。
特に”人間とは死への存在”というキーワードからわかるように「死」というキーワードが頻出する。
前回、前々回の記事にて「承認欲求」と「孤独」について解説をし、その中で我々人間が「孤独」を避け、「承認欲求」を求めてしまう理由は「不安」であり、何に対する「不安」かといえば「死への不安」であると書いた。それらの回答をハイデガーの「存在と時間」を用いて説明していく。
2.「現存在」「本来性と非本来性」「世界内存在」のキーワード解説
「存在と時間」の個人的重要キーワードの「現存在」「本来性と非本来性」「世界内存在」をさらっと解説する。
さっそくハイデガーお得意の基本用語が登場し意味が分からなくなりそうだがここが理解できればすこしずつハイデガーわかってくるのでひとつずつ解説していく。
というものの、
「こんなよくわからんキーワードの解説なんざ、読む気しねぇよ!」
という方もいると思いますし、記事後半はこのキーワードを読まなくても理解できると思うので無理に読まず軽く流してくれても大丈夫です。
・現存在
ハイデガーによると、まず「現存在」とは「人間」のことである。
「現存在」は、死ぬ存在であり、死ぬ存在であるということを引き受けてそれでなお生き続けている存在であり、「現存在」というのは自分を何より気遣う存在であるという。
我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけではなく、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのかを真剣には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日その日を他人や物(道具)との関わりの中で生きている。
ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と呼び、人は自分の存在の意味を問うことなく「日常性」の中に埋没して生きているとしている。
・本来性と非本来性
ハイデガーは人間には二つ生き方があるといい、それらを区別するためにわざわざ人間のことを「現存在」と呼んでいる。
「非本来性」は他の人と同じように物事を考え、同じように振る舞う人、流行を追っている人である。世間に埋もれた誰でもいい生き方のこと。ハイデガーはこれらの人のことを「世人」(ただの人)と呼ぶ。
「本来性」は人間が自己の存在の可能性に立ち帰れることによって自分自身を了解しようとするあり方。ほかでもない自分(=現存在)による真剣な生き方のこと。
・世界内存在
「世界内存在」と聞くと世界という箱の中にすべての人間がいると思うかもしれないがそうではない。ひとりひとり別の世界に我々は存在しているという意味である。
わかりやすく言葉にするなら「世界・内・存在」と分けることができる。
ひとりひとりがそれぞれの別の世界に生きていると読み取ってくれていい。
この「世界・内・存在」を説明するために、
Googleで車、電車、ガンダムと検索して上位に出てきた画像を拝借した。
ちなみに私は車、電車、ガンダムの知識がありません。
しかしこの記事を読んでいる方の中には、この車や電車、ガンダムの名称がすべてわかる人もいれば、車だけわかる、電車だけわかる方や、私のようにこれらすべてがわからない方ももちろんいると思う。
もちろん物以外にも場所や音などもすべて人によって受け取り方が違う。
この景色を見て「こんなところでのんびりしたい」と思う人もいれば「こんなところに住むのはごめんだ」と感じたり、人によれば「実家を思い出し懐かしくなる」人もいる。
このように同じ画像を見ても感じ方が人それぞれ違う。
我々は同じ世界にありながら違う世界に生きているのである。
ざっくりだが「現存在」「本来性と非本来性」「世界内存在」を解説した。
多くの哲学記事では、ここからさらに地獄の基本用語の解説が始まるが、この記事ではさらっと誰でもわかるようハイデガーの言葉と、先ほど解説した「現存在」「本来性と非本来性」「世界内存在」を用いてハイデガーの「存在と時間」を解説していく。
・・・といいたいところだがここまでの基本用語の解説でおなかいっぱいになっていると思うので「存在と時間」がっつり解説するのは次回の記事にて解説して、この記事の残りは「死への不安」について解説する。この「死への不安」もハイデガーで重要なキーワードであり、「哲学」と「死」は切っても切り離せない関係なのでぜひ一緒に考えていきたい。
3.「死への不安」
ハイデガーは、
「本気で死を意識したということは、ほんとうの自己の生に目覚めたということである」と言いさらに、
「今を生きる多くの人が日々どうでもいいおしゃべりをして過ごし貴重な時間を浪費し「死」のことを忘れて生きている」と言う。
しかし、普通に生きていれば「死」とはどこか他人事のように感じる。「死」を「親戚がなくなった」といかたちで他人事として理解はできるが自分ごとのようにとらえられる人は少ないと思う。
それでも人は不意に、なんともいえない得体のしれない不安、漠然とした「不安」に襲われることがある。この不安の正体は自分という存在もまた、いつか死ぬ存在であることを知らせようとする「死への不安」だという。
なぜ『漠然とした「不安」』は「死への不安」だと断言できるのか?
それは人生における「夢がかなう」「成功する」「この先うまくやっていけるだろうか」「人間関係」といったあらゆる望みや悩みは、実際にはあやふやで起こる可能性は不確定である。
それらの普遍的な悩みと比べて「自分が死ぬ」ということだけは唯一、確実に存在する可能性である。
そして「死」とはあなたにも私にも訪れる。これをタイピングする私にもこの記事を読んでいるあなたにも。
「死」は突然現れすべてをうばっていく。借金取りや公共料金の支払いなら頭を下げて、なんとかお願いすれば一日ぐらい待ってくれるかもしれない。しかし「死」は違う。一か月後、一週間後、明日にとても大切なことがあり、ここまでは生きていたい、なんとしても生きていたいと思っても、「死」は音もなく突然現れる。
仏教の有名な和歌に、
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
というものがある。
この歌の意味は、
「今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない」
我々は「明日はこれをしよう」「今日はこれができなかったから明日こそは」と眠りにつく。しかし「明日」がくる保証なんてなにひとつない。それが人間である。
ハイデガーは、
「何人といえども、誰か別の人が死ぬのを肩代わりしてやることはできない。死ぬことを、どの現存在(人間)もそれぞれ自分で引き受けなければならない。」と「存在と時間」にて述べている。
4.「自分の死」を受け入れる
ここまで書いたことをまとめると、
『人は死ぬ生き物である!でも多くの人はそれを忘れている!人間の漠然とした不安の原因は「自分が死ぬ」といことは確定した事実だから』
って感じです。
ここまでさんざん書いたように「人が死ぬ生き物」なのはわかった。
ではなぜここまで「自分が死ぬ」こと受け入れろと言っているのか?
それは上記で書いた「現存在」「本来性と非本来性」「世界内存在」とハイデガーの言葉を使って解説すると、
人間は「死」を恐れている。普段は仕事や日々の生活に追われ、「死」のことを忘れている。しかし、自分もいずれ死ぬ存在(現存在)ということを不意にふと思い出す。
人間は死を恐れるあまり、日常生活では、敢えて死を考えないようにして、時間を浪費して生きている(非本来性)。
しかしこういう生き方は間違っている。
「生」とは、本気で「死」を意識したときはじめて、自己の人生に目覚めることができる。(本来性)
我々は同じ世界に存在しながら別の世界に生きている。(世界内存在)
「自分の死」は誰にも肩代わりできない。「自分の死」は自分で引き受けなければならない。そして、あなたも、私も、誰もが例外なく死ぬのである。だからこそ「自分の死」に向き合い受け入れることによって、人間は有意義に生きていくことができる。
という感じである。
「最高の人生の見つけ方」や「死ぬまでにしたい10のこと」という映画はまさに上記で書いた通りの映画で、余命宣告を受けた主人公が、単に死をまつだけでなく、やりたいことを全部やっていくストーリーである。そして数か月ではあったけれども、人生の最高の時間を過ごしたと実感して、死んでいく。といった物語。
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くどいようですが我々人間に明日がくる確実な保証はありません。いますぐやりたいことやっていこうではありませんか。
5.感想
前回の記事から一か月空いてしまいました。ごめんなさい。理由はシンプルで「ハイデガー」に手を出してしまったことです。題材が題材なので、適当なことは書けない、どこから解説すればいいかわからない、正直自分も完全に理解できていないの三重苦でした。
19世紀の哲学史から解説すべきか、現象学と実存哲学から解説すべきか、ハイデガーの背景から解説すべきかなど悩みましたが、「死への不安」だけ解説できたらいいかのノリで仕上げました。
「道具的存在者」を解説しないのはさすがにと思いましたし、この記事では「世界内存在」がほとんど解説されていません。それどころか「現存在」も「本来性」もさわりしか解説できていません。
しかしこの記事は「誰でもわかるハイデガー」なのでこれでいきます。この記事を見て、「ふ~ん、こんなよくわからんこと言うおっさんがおったんや」ぐらいに思ってくれれば幸いです。
次回の記事もたぶんハイデガーです。今回の記事はアニメなど絡めませんでしたが、正直な話し、哲学となにかのアニメや漫画、映画と絡めたほうが読みやすく面白いできると思っているので、みなさんの「これ面白いから見ろ!」という作品があればTwitterにリプ投げてください。100%見ます。ではまた。