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東京のSMバーに行ったら身体を改造された話⑤〜彫刻〜

前回の記事はこちらです。


入店から一時間も経っていなかったように思います。
単なる好奇心でSMバーの呼び鈴を鳴らした私は、いつの間にか縄で絡め取られ、
吊るされ、凌辱されていました。

完全に縄が解かれ身体が自由になっても、腰が抜けてへたり込んだままです。何が起きたのか、整理のつかない頭。熱い身体。初めて会った友人の前で、激しく喘いだという事実。息を整えると少し戻ってきた理性が恥の感情を呼び起こします。しかしもう手遅れです。取り返しのつかないことをしてしまった。

「もう取り返しがつかない」という強い気持ち。しかし後悔の念ではありません。むしろ問題なのは、どうしようもない歓喜の感情が伴っていることでした。知らなかった快楽の存在は、知らなかった欲望の存在を明らかにします。今や隠されてきた欲望ーー蹂躙されたいという欲望ーーは暴かれました。自分がいかに卑しい存在かをありありと見せつけられたにも関わらず、嬉しいことが問題なのです。


その後私は自分から「脱いでもいいですか?」と言い出してバーの中で下着姿になったり、その姿で人生初の鞭を受けお尻にミミズ腫れを作ったり、聞いたこともなかった欲望の声に突き動かされ、さまざまな初体験を終えていきました。
それぞれの体験も非常に濃厚で、そのどれを思い出しても恥と悦びの入り混じった不思議な感情になるのですが、すべて書こうとすると本当に終わりがありませんので、やめておきます。

ただ、首輪に繋がれて腹を踏まれているときにぼんやりと「欲望の彫刻みたいだな」と思ったことは記録しておきたいです。

よく言われることですが、彫刻という営みは自分の中にあるイメージを立体化するというよりは、「石の中にすでにある何かを彫り出していく」ことに近いのだそうです。あの夜受けた緊縛や鞭打ちは、あたかも私の中にすでにあった欲望を「彫り出す」かのように私を辱めました。
そのときの私はとても滑稽で、とても恥ずかしいものでしたが、今まで閉じ込められてきたマゾヒズムの欲望が露わになることは、「魂の解放」とも呼べる事態であって、それゆえに紛れもなく快楽でした。


彫り出されむき出しになった欲望は、次の日も同じSMバーに私を誘いました。
その日も例の縄師が出勤していたのですが、彼に会いに行ったようなものであるのにも関わらず、私の席に来ないでくれと怯える私がいます。
矛盾した感情に激しく戸惑う私を知ってか知らずか、縄師は私の舌に洗濯バサミを挟んで弄んだのでした。


⑥に続きます。


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