推されカンケイ-福音-
小さい頃の憧れってありますよね
中学生のころ、授業中にテロリストがやってきた時の対処とか頭の中で想像して、都合よく対処してみたり、見よう見真似の合気道を誰かにかけてみたり、そういう頭の中だったり、現実に落とし込んで楽しんでました。
でもやっぱり現実では無理だけど、そういう大人になりたかったと思う漫画キャラクターとかもいて、
るろうに剣心の比古清十郎、ジョジョの奇妙な冒険の第4部の空条承太郎、メタルギアソリッド2のソリッドスネークとか主人公を支えるデキル男みたいなのに憧れたし、そういうおっさんになりたいなとも思う。
縁の下の力持ちみたいなのはマジでいいなと思う。
でもね、そういう人たちの癒しってなんだろうなって思った時、やっぱ「推し」がいる、もしくはあるんだろうなと思うんです。
例えばジョジョの奇妙な冒険第4部の空条承太郎の推しって誰かわかります?
広瀬康一くんです。ラスボス吉良にかます前に、推し宣言しましたよね、その後にかましましたよね。
あぁいうのがいいですよね、ああいう関係性が、例えばですけど、広瀬康一くんもどこかしら空条承太郎に憧れがあると思うんですよ。だからそれも「推し」ですよね。
つまり、互いに「推し」「推され」な関係なんです
推しについて、下記の前回記事をご覧くださいませ。
さらにGeminiと話した内容も記載しよう!
「推し」の特性として、慈悲がある。
尊いとか、ただ見ているだけで癒されたり、勇気もらったりするから応援したい気持ち、返したい気持ちが溢れてくる。だからやってあげたくなるんですよね。
もっといえば血の繋がりというか、家族でもないのに、兄弟愛、家族愛、親子愛に近い何かがあると思ってる。
でもやっぱり他人だからこそ、その慈悲だけってのは際立つ。他人という線引きで自利利他をハッキリさせるから、むしろ「できる範囲」で応援しやすいと思う。
キャラものでなくても、どこかの誰かと「推し」「推され」関係っていいなと思う。
どこかの誰かの物語を推す。そしてその根底にはバッドエンディングは「まじ勘弁」が流れてる。
つまり幸せになってほしい。
うん、やっぱこの関係性、見れば見るほど平和じゃないか。
家族、友達、知人、同僚などの関係性とは別。
「推し」「推され」の関係、
「推され関係」と命名しようか!(ゴロが良かったから)
それは、今までの距離感を乗り越える(GO beyond)
それではここで紹介したい、あたすの推しキャラ!
ソフトアンドウェット ゴー•ビヨンド
ここで箱も紹介(おもっきりネタバレ)
作品名:ジョジョリオン
テーマは呪いを解く物語
本体:東方定助
2011年3月11日東日本大震災でできた地面隆起、壁の目の下の地面から出てきた。記憶はなくしており、自分の正体を探しており、その正体はスタンド能力をもった2人吉良吉影と空条仗世文があるフルーツの力を使って、吉良吉影の力を恐らく空条仗世文に合体した姿となった、フルーツの効果のルールによって記憶など失くしていたり、金玉も奪い4つになったりしている。
スタンドの力も合体しており、もともと仗世文のスタンドソフトアンドウェットに、吉良吉影のスタンドキラークイーンの爆発の力も加わって、新生ソフトアンドウェットとなっている。
見えないシャボン玉(ソフトアンドウェットゴービヨンド)
ソフトアンドウェットの能力「シャボン玉」は定助の指から出しているが、ゴービヨンドは定助の肩の星の痣から出てくる「見えないシャボン玉」、ラスボス戦で自分の体を犠牲にして、その「見えないシャボン玉」について示してくれた豆銑礼、自身の身体を犠牲にしたにも関わらず、ラスボスを倒す可能性を見出した凶を、吉兆として呼び、命を落とした。
実際、見えないシャボン玉は繋がりを「縁」を断つ。理(ことわり)の外側にあり、ラスボスの「災厄」を退いた。ちなみにコントロールはできない。
はい、かんたんに推しの説明をしましたが、このソフトアンドウェットゴービヨンドが、不動への途で示した「この場所」に近い何かを感じるんですよね。
だから熱いです。ちなみに簡単に言うと「この場所」はあらゆる構造の外側に自分を置いて、構造を眺める場所の事です。
それが何に繋がるかは、また記事を購入してご確認くださいませ
またジョジョリオンという作品の良いところは、常に今あるものを駆使して課題解決に励んでいることにある。そしてそれが吉凶で評価されようと、その特性を利用して、自身の行きたい流れに作り上げるところにあると考えます。
なので、この作品を読んでいると、野生の思考だったりを感じる。
さらに主人公側の人々には慈悲がある。これは作品のラスボスの言葉で「厄災に正義はない、悪との区別もない」とあるが、慈悲もそうだ、正義や悪は乗り越える、なぜなら正義や悪は手段だから。ゴールは慈悲。乗り越えた先にある。
なのでそれは野生の思考というより、観自在に近い。
観自在を考えていて、思っていたことがある。それはどこまで考えるか、だ。
どういう事かというと、観自在はどういう時に使うか。
それは慈悲を成すために使われるもの。
それは「人間万事塞翁が馬」で例えられるが、今起きている事を評価する時に「良い方向」に転がっているとみれば、悪いこととして捉えられることも一面的でしかない事が言える。
ジョジョリオンの豆銑礼の自身の死は凶だが、彼は吉兆として捉えたそれがまさに「観自在」。
また気分によって体調の悪さや悪態を付きたくなることもある。そこにただ悪態を付くのではなく、悪態を付くのは、自分の精神衛生のためと「自利(慈悲)」があれば良いと思う。
それぐらい自分の中から「観自在」を溶け込ませるように扱う。
その時(瞬時)に判断する自利利他による慈悲のデザインをどこまでするか、抜苦与楽をどこまでするか。
実は不動への途で、その答えみたいなものは示しているけど、抽象的な感じがしていたんですが、より具体的に伝えられる答えを探してましたが、見つかりました!
それが「推され関係」です。
まず誰かを助ける、または自分を助けるために何が必要かわかりますか。
というより助けるためにスタート地点に立つために何が必要かですね。
それは情報です。
なるべくどういうものが好きか嫌いか、どういう関係性があるのか、利害関係も含めそういうものを知っている必要がある。
これだけ考えると、えっ、覚えるの?ツライとかあるんじゃないでしょうか。ちなみに俺はあります(めんどくさがりなんで。。。)。
だけど、それが「推し」だったらどうでしょうか。
自分の好奇心は高まり、まるで漫画を読むように、小説を読むように、その情報を吸収していくのではないでしょうか。そしてその中で癒されたり、勇気をもらったり、元気になったりするのです。
そして「推され関係」で大事なのは、どの距離感であっても応援するということです。
だからあまり距離感をつめていないのにガンガン行くとキモキモです(←イジらないで長瀞さんの影響)し、近づきすぎると「推され関係」が崩れてしまうかもしれません。
例えば、「推し」というものを応援するというのは、推しが良くなればという行為です。だからこうすれば良いというものを押し付けるのは違います。(”さりげなさ”はOK)近い距離にあるから提案する分には問題ないでしょう。癒しや勇気や元気をもらえる相手は自分がいなくても、与えてくれるチカラがあるはずです。
ならばその「推し」のままを受け入れてあげるのが本物の「推され関係」です。そして「推し」自身ままを受け入れることは、その「推し」の運命を受け入れることです。明らかに苦しんでいるのならば距離を近づき助けてあげるのです。
だからなるべく「物語」のピースを集めるように、漫画や小説のキャラクターの情報を集めるように丁寧に「情報収集」をしましょう。
その情報収集によっては「応援(助ける)」の一手が段違(ダンチ)になります。
これが「推し」でなければ、苦しんでいる相手から一旦情報収集することから始まります。苦しんでいるにも関わらず、知らない誰かに情報を与えるという一手間(ひとてま)を加える必要が出てくるわけです。それは酷です。
そういった状況を作らないことから「推され関係」は始まるわけです。
推され関係による情報収集で得た情報が「観自在」で考えられる範囲を決めてくれるわけです。「推し」の情報をどこまで知っておきたいか、ここで相手ではなく、自分がコントロールできる範囲になるのです。
※友人兼推しなんてのもいいかもね
観自在というよりスタンスと、推され関係という技術で「慈悲」は実現するはずです。
ジョジョリオンは、ジョジョと福音の意味であるエヴァンゲリオンからもじっております。
なぜ、今回、ソフトアンドウェットゴービヨンドを推しに紹介したか、
それは、この記事が誰かの福音であれ、と思うからです。
さあ、みなさん Go Beyond!