器用貧乏の生き方
先日、Twitter を眺めていたら次のようなつぶやきに出会いました。
世の中こういう性格の方が多いのではないでしょうか。自分も器用貧乏な一面があったりします。数年前に会社の上司に言われてちょっと凹んだこともあります。なんなら、こんな漫画を書けるのに落ち込んでるゆうなゆ(@Yunayu_nemui)さんセコいとか思っちゃいました。
というわけで、世の中にたくさんいるであろう器用貧乏さんに向けて、今日は「器用貧乏の生き方」と題してポエムっていこうと思います。
器用貧乏とは
アイキャッチ画像に書いた通りですが、器用貧乏とは「あれこれ手を出しすぎて、結局すべてが中途半端になる人」という意味です。類義語に「多芸は無芸」なんかがあります。統計を取ったわけじゃないのでわかりませんが、好奇心が旺盛で、とにかく新しいことやおもしろそうなことが転がっていたらすぐ飛びついちゃう感じの人が多いのかなという印象です。自分はまさにこんな性格で、好奇心は旺盛ですがいわゆる "勉強" ってのは苦手な方で、追い込まれない限りは "勉強" に取り組まないし、計画を立ててものごとに取り組むというのはすごく苦手です。さらに勉強を始めたはいいものの、試験には出ないような根本的なところが気になって調べ始めちゃうやっかいな性格だったりします。Twitter での反応を見ている限り、共感している人の中には自分と似たようなタイプの人が結構多いんじゃないでしょうか。そうであってほしいです。
器用貧乏な人は自信が持てない
さて、器用貧乏のわたしからすると、世の中的に "器用貧乏はイケないもの" という風潮があるんじゃないかと思います。"何かひとつのことを極める、それが人生" と言わんばかりです。だから、器用貧乏の人はどこか自信を持てずに人生を歩んでいるように思います。自分も実際そうでした。今でもまだ払拭はできていません。
なぜかといえば、ゆうなゆ(@Yunayu_nemui)さんも漫画の中で触れているように「結果、どれもこれも中途半端。一応できるけれど、胸は張れない。憧れには程遠い。」という気持ちになってしまうからです。
一般に、ひとつのことを極めるには時間がかかるとされます。いわゆる "職人の世界" です。たとえば寿司職人は “シャリ炊き3年、合わせ5年、握り一生” と言われ、10年以上の歳月をかけて一人前として認められる世界だと聞いています。そりゃ、あれもこれもやってる器用貧乏からしたら、ひとつのことだけを10年もやってる人間に敵うわけがありません。
あなたに必要なのは1万時間?20時間?
でも、人生でひとつのことだけを極めることが本当に素晴らしいことなのでしょうか。
みなさんよくご存知 TED に "最初の20時間 — あらゆることをサクッと学ぶ方法" という講演があります。発表者のジョシュ・カウフマン氏は、巷でまことしやかに囁かれる ”1万時間の法則” に疑問を持ち、本当は "20時間あれば大丈夫" という持論を提唱しています。以下に、簡単に内容を紹介しますが、興味の出た方はぜひ TED トーク(日本語字幕付きです)を見てみてください。カウフマン氏の人柄も相まって、とてもおもしろいですよ。
カウフマン氏は夫婦共働きで、子供もいて、毎日とても忙しい。新しいことを学びたいけど、巷で囁かれている「1万時間の法則」によれば、人は新しいスキルを身につけるのに毎日8時間勉強しても3年半も必要とされている。「とてもじゃないが時間が足りない」と思ったカウフマン氏は、「別にプロになりたいわけじゃない。ある程度のレベルまでスキルアップするにはどのくらいの時間が必要なのか。」を調べてみた。すると "ある程度のスキル" を身につけるには "20時間" で良いことがわかった。
人生は短いです。でもその中のたった20時間、1万時間のたった500分の1の時間を費やせば、新しいスキルであっても "ある程度のレベル" までは行き着くことができるのです。"ある程度のレベル" は TED トーク をみてカウフマン氏によるウクレレの演奏を確認してください。さすがに 20時間以上練習していると思いますが、それでも弾けない人からすれば十分尊敬できるレベルに達しています。
ここで一度考えてみてほしいのは、あなたの人生にとって ”極める” とは何でしょうか。その道のプロを目指すことでしょうか。もちろん目指していいと思います。そのための努力をしましょう。でも、大多数の人が "プロになりたい" ではなく "好きでだから"、"誰かに認められたいから" という思いであれやこれや手を出しているのではないでしょうか。そうなったときに、あなたが本当に必要としているのは ”1万時間” でしょうか、"20時間" でしょうか。"20時間" だとすれば、もっと胸を張って生きましょう。
とはいえ、なかなかいきなり自信を持って生きることは難しいと思うので、もう少し違う角度から器用貧乏の生き方を考えてみます。
広く知っている人間が強い
古代ギリシアのソクラテスは「無知の知」を唱えていました。いわゆる ”不知の自覚” というもので、”知らないものがある” ということを自覚しているものこそが賢者であるという考え方です。驕り高ぶる者へのアンチテーゼ的な意味合いもありますが、知らないモノを知ると興味が湧いちゃう器用貧乏な方としては勇気づけられませんか?
やりたいことが山程あるのは、自分が知らない世界を知っているからです。あれやこれやと手を伸ばせば、さらにその先にある知らない世界があることも知っています。これは、チャレンジしなかった人が知り得なかった世界です。「一応できるけれど、胸は張れない。憧れには程遠い。」と言えるのは、憧れの存在の凄さが理解できるだけのスキルが自分に身についているからです。素人からすれば、一流の画家の絵もアマチュアの絵も大して変わりません。芸能人格付けチェックで、違いのわからない素人が苦しんでいる姿はよくご存知のことでしょう。そういうことです。
つまりは、たしかに上を見ればキリがなく、自分の中途半端なレベルに嫌気がさすかもしれませんが、あなたがこれまで手を出してきたすべてのモノゴトは一般の人よりも明らかに上のレベルにあるという事実を自覚し、自信を持てばいいと思います。
器用貧乏は情報社会を制する?
さて、「下のレベルを見て安心するとか最悪」と思った方もいるでしょうから、もうひとつ器用貧乏が自信を持てるかもしれない話をしておきます。
現代において、幅広い知識を持っている/経験しているということは大きなアドバンテージになります。なぜなら、情報過多な世界だからです。
従来のようにひとつのことだけを極めていれば安泰という時代はすでに終焉を迎えています。これが良いか悪いかは分かりませんが、世界は効率を重視し、20世紀以降の経済発展のスピードはめざましく、ITの普及とともに21世紀はさらにそのスピードを加速しています。世界には情報があふれ、人々は情報を取捨選択/フィルタリングすることを余儀なくされています。
逆説的に、ダイレクトマーケティングが育ってきています。グノシーやスマートニュースのように、自分好みのコンテンツに最適化されるものがわかりやすいかもしれません。現代では、自分が必要とする情報しか入ってこない、井の中の蛙状態が育まれやすいとわたしは感じています。
そんな中、器用貧乏はどうでしょう。その好奇心を原動力に、自ら情報の海へ身を投げ、試し、新たな知見を得るという行動を繰り返しています。器用貧乏は意図せずして、自らの頭の中に、体の中にあらゆる情報を蓄積していっているわけです。
このように、さまざまな情報を知っている人材というのが現代においては絶対的に強いです。前回も話に出しましたが、(ちょっと本意とはそれますが)ジョブスの名言 "connecting the dots" が現代においては必要なのです。
人間の脳というのは難しいもので、自分が知らない世界は、自ら知ろうとしない限り(=不知の自覚)知らない世界のままになってしまいます。しかし、現代社会は狭い世界に目を向けているだけでは解決できない課題ばかりです。それらの課題を解決するには、一見すると関係の無いような領域同士を繋げてみること(=connecting the dots)が必要です。そうすることで、これまで見えてこなかった世界が見えるようになり、課題の解決に貢献できる可能性があります。大人数集めてアイデアを出し合い、点と点をつなげて行くのも良いですが、ひとりの人間の頭のなかにさまざまな情報が入っていて、その課題を解決するために「こことここを繋げば良い」と判断できたほうが圧倒的に速いし、確実だと思えないでしょうか。器用貧乏な人は、こういう人材になるポテンシャルがあります。そう聞けば、自分に自信を持てそうな気がしませんか?
適材適所に生きる
今日は、器用貧乏な人は自信をなくしがちだけれど、現代社会で輝ける可能性があるというお話をしました。
念のため主張しておきますが、わたしはひとつのことを極めている人を否定しているわけではありません。お寿司は大好きです。月1くらいの頻度で上野公園に足を運び芸術にも触れています。仕事においてはその道のプロから技術力を提供してもらっています。いずれも欠かせないモノです。
でも、そういうひとつのことを極めた人だけがすごいのではなく、器用貧乏がいないとこの社会は成り立ちません。特に、現代においては情報を紐付けるコンシェルジュ/コンサルタントとして、活躍の場が大いにあります。難しく聞こえるかもしれませんが、プライベートにおいても「遊びに行きたいな」と思ったときに、友人の中に「最近ここが話題らしいよ」とか「○○くんだったらここめっちゃオススメ」みたいな話をしてくれる人がいれば助かりますよね。そういうことです。
人はそれぞれ異なる特性を持っていて、それが光る場所は世界のどこかに必ずあります。難しい時代に生きていますが、自分が輝ける場所を見つけていきましょう。世界は広いのですから、必ずどこかに居場所があります。
そんな感じで、今日は締めたいと思います。
長文読んでくださりありがとうございました。
以上
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