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メモとノート

「メモ」と「ノート」って似ているけど全然違うものだよなー。
今日はそんなお話を書いてみようと思います。

学校の授業を思い返してみる

小学校、中学校、高校、…と学校の授業には教科書とノートが必須でした。
先生の板書を見ながら、授業を聞いて、ノートをとる。
ごくごく当たり前の日常的な風景だと思います。

皆さんはどんなノートのとり方をしていたでしょうか。

ノートのとり方の分類

学生時代のノートのとり方は大きく3種類あると思います。

・板書をそのまま書き写す
・板書は写さず、気になったことだけを書く
・自分のことばで授業内容を再構成する

また、ノートをとるタイミングは以下の4つかなと思います。

・予習するとき
・授業中
・復習するとき
・テスト前

よくあるパターンは授業中に先生の板書をそのまま書き写し、テスト前になったらそれを見る or テスト前にノートを再作成することだと思います。自分も学生の頃はこんなやり方をよくやっていました。

板書を書き写すだけなので授業内容は理解していないし、覚えてもいないので、テスト前にノートを見返しますが、いまいちわかりません。仕方がないので、教科書を読み、ノートを再構成することになりました。

今思うと、ただただ時間がかかるだけの効率悪い行いですよね。

ノートのとり方は誰も教えてくれない

ノートのとり方って誰も教えてくれなかったと思います。もうちょっとちゃんと言うと、板書を書き写すことがノートをとる目的ではないということを教えてくれる人はいませんでした。もし、これを読んでるあなたの周りにノートをとる目的を学生の頃に教えてくれる人がいたのなら、それはとても幸運なことだと思います。

個人的な結論としてはノートをとるという行為は、新しく知り得た情報を自分のことばで再構成することを目的とするのだと考えています。

その観点から考えると、先に挙げたノートのとり方は3つとも異なる行為だと認識しています。

・板書をそのまま書き写す【=写経をする】
・板書は写さず、気になったことだけを書く【=メモをとる】
・自分のことばで授業内容を再構成する【=ノートをとる】

勉強をすることの最終目標は、新しく仕入れた情報を自分の知識として取り込むことにあります。これを実現するには受動的な行いだけでは不十分で、"自ら何かをする" という積極的な行いが重要になります。そういった意味で、「ノートをとる」という行為は学習の上で有効なのだと思います。

社会人はノートをとらない

さて、社会人になってから気づいたことは、社会人でノートをとる人ってあまりいないんですよね。社会人がよくやるのは「メモをとる」という行為です。要は直近やらねばいけないタスクに関する情報を書き留めておくことで、忘れないようにするという "記憶の補助" の役割が強いものです。

ここからは何となくそう思うという話になりますが、ノートをとるという行いをしないから、文章を書いたり、マニュアルを作ったり、設計書を書いたりすることが苦手なオトナが多いのかなぁと思います。

「ノートをとる」という行為は一朝一夕にできることではありません。トレーニングが必要です。でもそれをオトナはやらない(もしかしたら知らない)から、提案書にしても、稟議資料にしてもヘンテコなものが出来上がってしまうのではないでしょうか。

もし、あなたが社会人なら「ノートをとる」という行為を練習してほしいです。もし、あなたが学生なら、オトナになる前に「ノートをとる」という行為を習得してほしいです。必ず糧となります。

ノートのとり方

・ゴールを設定する
・情報収集をする
・必要な情報をメモする
・メモを分類する
・構成を組み立てる
・ノートをとる(=アウトプットする)

最後の「ノートをとる」とはつまりはアウトプットのことです。自学自習のためなら紙のノートでも、iPad でも構いません。ブログに書いてもいいし、note に書いてもよいでしょう。社会人なら提案書かもしれないし、社内稟議資料かもしれません。

このとき大事なのは、そのアウトプットが人に見せられる(=理路整然とした)状態であり、誰が見てもその内容を一意に解釈できる状態であることです。これができてないと、学生さんならテスト前に振り返ろうとしても「なんのことだ?」となってしまうし、社会人なら仮に提案が通ったとしてもプロジェクト中にトラブルが起きる可能性があります。

詳細に書き始めるときりがないので今日はこのあたりで終わりにしておきますが、ぜひノートのとり方を実践してみてください。

今日のポエムはちょっと雑ですが、こんな感じで。

以上

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