わたなべかん太
「敢太、ラッキーオールドサンって知ってる?」 ここで書き記すのはそんな何気ない一言から始まった僕のフェス物語だ。 ■フェスをやることになったきっかけ・SEE SEA PARKは切っても切り離せない そもそも何でフェスをやることになったのか。これに関してはどこから話を始めたらいいか全くわからないが一旦ここから始めようと思う。 僕がおおい町に来てからずっと関わっているSEE SEA PARKという施設。ここは2022年7月にOPENした「みんなで作る公園」をコンセプトにした
何のためにnoteって書くんやろうって思うんですよ。 もはや自己満といいねのためでしかないが終点なんすけど、 まぁよく言うと日記みたいなもんで、そんときの感情をここに蓄えてあとで読むアーカイブてきなものとも言える。 今回はふとしたきっかけでまた歯車が動き出した話。 きっかけは今年急にどっか行っちゃったおじいちゃん。 半年以上経ってるのに、おじいちゃんのことを思い出すと時々涙がこぼれそうになる。願うならもう一度会いたいよ、そりゃ。 なんかちょっとおもろい話なんやけど、うち
殿堂入り(ほぼほぼわかります) ・槇原敬之 ・Laura day romance ライブに行った好きなアーティスト(フェス含む) ・藍坊主 ・Sundae May club ・SEKAI NO OWARI(延べ9回行ってます) ・ラッキーセベン ・ハク。 ・浪漫革命 ・Chilli Beans. ・Bialystocks ・Hywl ・かりゆし58 ・goethe ・ズーカラデル ・ハンブレッダーズ ・はろう ・ululu ・ミツメ ・ズーカラデル ・幽体コミュニケーション
「運動会のかけっこで一等賞取ったら〇〇買って!」 この記事を読んでいる皆さんの中にも、そんな会話をしたことのある人がいるんじゃないだろうか。 かく言う僕もその中の1人だ。 小学5年生の時はwiiを買ってもらった記憶がある。 (一等になった記憶はないのでだいぶ駄々はこねている) そして小学6年生の時、なぜそれを提示したか覚えていないのだが、僕はipod nanoを買って欲しいとねだっていた。 当時別に音楽がめちゃめちゃ好きだったという記憶もない。だからより一層なぜこれを望
それはあまりにも、あまりにも突然すぎるしらせだった。 2024年1月24日、午前9時17分 僕の大好きなおじいちゃんが天国へ旅立った。 その日僕は休みだったのになぜか朝早く目ざめた。 二度寝をしようと思ったがせっかく起きたんだし、 仕方ないので目を覚ますためにシャワーを浴びたり 洗濯物を畳んだりしていた。 その日は今季一番寒い日だった。 窓の外ではしんしんと雪が積もっている。 これはかなり積もりそうだ。 家族にこちらの状況を報告するため、 何気なく写真を撮って家族ラ
意味深なタイトルに惹かれた皆さん、こんにちは。 わたなべかん太です。 このタイトルに引き寄せられたところ大変申し上げにくいのですが、 このnoteは僕の好きなボードゲームのお話です。 (騙された皆さんごめんなさい。) そもそもボードゲームってなんなんだろう。僕たちの大好きなwikipedia先生はボードゲーム(以下ボドゲとも言う時があります)についてこう述べています。 んー、相変わらずよくわからない。 僕は正直「ボドゲって何?」って質問に対してうまく答えられません。 あ
仲の良い友達が七夕の日に同時に入籍した。 この一年半くらいタイミングが合わず、 あんまり連絡すらできていなかったけど、 なぜか2人がそろそろ結構しそうな気がしたから、 そろそろ会って近況報告聞きたいなと思ってた矢先。 普通に嬉しかった。 仲の良い友人が幸せになるのは素晴らしいし。 ただ正直言うとほんと置いてかれてる感がある。 というかむしろ自分が進んでなさすぎる気がする。 大学卒業して社会人5年目の僕は、 相も変わらず自分自身の楽しいことだけを追い求め、 そのことを中
タイトルの通りですが、 ある一定の時期から自分の誕生日が苦手でした。 小学生の時、 まあ今と変わらずお調子者だった僕は、 誕生日が近くなってくると「俺今度誕生日やで!」と 仲の良い友達に言いふらして祝ってくれアピールをしてました。 けど高学年くらいになってくると気づくんです。 「あれみんな自分の誕生日そんなに言いふらしてない??」 「もしかして誕生日祝ってくれアピールダサい??」と。 これ感じたの小学校の校門前くらいやったんすけど、 14年前の出来事の感じた瞬間と場所を
ジャネーの法則って知ってますか? 小学生の時よりも、大人になった時の方が時間の経つ間隔が早く感じるあれのことです。 「世界で一番短い I love you」 26歳になり、月日が流れる早さを如実に感じています。(もうすぐ27歳、、、)今回なぜこんな話をし出したかというと、それにまつわる歌詞が今回ご紹介する曲に入っているからです。 1996年10月25日発売「UNDERWEAR」 (槇原敬之 デビュー6周年の日) このアルバムは本当に名曲づくしすぎて個人的にも大好きな作
「自分に嘘をつかずに生きていきたい」 ただそれだけを思って生きてきた自分がいる。 誰にでも愛想がいいような人みたいに器用に生きられない僕は、 何事においてもありのままの自分を出して生きてきた。 社会に出て3年半、ふと立ち止まる。 今の自分は昔みたいに嘘をつかずに生きているだろうか。 悲しいことに今の僕は 誰に対しても嘘をつきながら生きているんじゃないかと思う。 社会独特の歯に衣を着せた愛想話。 そこには一切の感情をまとわせない、 僕にとっては何も生み出さない虚無の会話が
槇原敬之初となる「提供曲セルフカバーアルバム」Bespokeの公式サイトにはそう記されている。音楽をこよなく愛した彼が、お客様となるアーティストの要望に合わせてメロディと歌詞をしつらえた。 そんなアルバム。全11曲の中で聞いた瞬間にこれはすぐに筆を走らせないといけないと感じた曲があった。 平井堅に提供した楽曲 「一番初めての恋人」 この曲は槇原が手がけた名曲の集合体とも呼べる歌詞が特に印象的だった。 まずメロディに関しては、クセのない槇原らしい/槇原が作ったと聞いてわ
「あなたの座右の銘は何ですか?」 生きている上で、誰しもがこの質問を1度はされるだろう。 そもそも座右の銘とは、その人が生きていく上で大切にしている言葉で、おそらくその人の本質を表しているんだと僕は思う。 なぜそんなことを聞いたのか。 それは今回紹介する歌詞の一節が、僕の座右の銘になっているからだ。 槇原敬之38枚目のシングルとして発表された 「Firefly〜僕は生きていく」 タイトルにもついているFirefly(ホタル)から主人公が勇気をもらう曲。 主人公は人生に
僕の母方の祖父は、僕が小学1年生の時に肺ガンで死んだ。 その時はまだ死というものをまるで理解しておらず、何があったかは正直あまり覚えていない。 ただ、母が父方の祖父の家に僕と妹を残して、病院へ看病に行っていたのは印象として頭に残っている。 電話が鳴った。 それは祖父の死を告げる電話だった。 父方の祖母が取り、内容を僕ら兄弟に伝えた。 そこで僕の記憶は消えているが、聞くと僕はひどく泣いて落ち込んでいたらしい。 告別の式。 正直子どもにとって葬式は退屈だ。 僕は従兄弟とず
2月も終わろうとしているのに、窓の外では「そんなこと知るもんか」と言わんばかりに雪が深々と降っている。 今年の雪は異常だ。 それは僕だけでなく、この雪に毎年会っているこの町の人々ですら口にするくらいだ。 そんな雪が僕に思い立たせる。 「冬の曲について何か書きなよ」と。 さて、冬が好きな槇原。 冬の名曲も多い。 ふと気付いた。 「そういやこの曲でいつも冬を出迎えてるな」 1996年9月25日発売 槇原敬之6枚目となるシングルでカップリングとして登場した 「I nee
槇原敬之は「シンガーソングライター」だ。 幼い頃から音楽に浸かり続けた彼は、 日々培ってきた感覚と天性の才能を掛けわせて 作詞から作曲まで自身で手がける。 発表してきた曲は200曲オーバー。 そのほぼ全てが「作詞/作曲:槇原敬之」である。 (編曲に関してはちょこちょこあるけどね) 歌詞を先に書いた後に曲をのせる「詞先」を得意とする彼が他者から歌詞の提供を受ける例も存在する。 その一曲がダウンタウンが司会を務めていた音楽番組 「HEY!HEY!HEY!」がきっかけで誕生
2020年、槇原敬之二回目の逮捕。 僕としてはこのニュースは何よりもショックで、その日仕事から帰ってきてひどく落ち込んだのを覚えてる。まだ18時にもなっていないのに、何もやる気がせずその日はそのまま布団に入り、そのまま眠りについた。 単純に感じたのは、もう彼は表舞台に現れずもう彼の作品を聞くことはできないということ。捕まったという事実よりもこっちの方が僕としてはこたえた。 そんな中、1年半後の9月に活動再開 & 新作アルバム発売を発表。 アルバムのタイトルは「宜候(よう