第11話 アルクメネという女
11. 過去形(1) be動詞の文
(5月30日 ヘラクレス宅②)
「ねぇ、ヘラクレス。今日の晩ご飯、……何にしよっか?」
金色に輝く長い髪を梳かしながら、鏡の前で母アルクメネは言った。
「何でもいいよ」
「まぁ、この子ったら、……ふふ」
背後に映るヘラクレスに彼女は優しく微笑んだ。
リビングの窓から差し込む午後の暖かい陽光が、彼女の白い絹のドレスをより一層輝かせている。
窓の外では新緑の若葉たちが、優しい風さんと楽しそうに遊んでいた。
「あ、そうだ。母ちゃん、俺、ちょっと出かけてくる」
「あら、どこに? 今日は先生がいらっしゃる日じゃない?」
「知ってる。伊豆沼まで行ってくるよ。時間までには戻るから、……あれ? 俺の毛皮は?」
「ちゃんと、お2階に干してあるわよ、……ふふ」
ヘラクレス宅の2階には広々としたテラスがある。
洒落たカフェを思わせるテーブルと椅子――おそらくアルクメネの趣味であろう――が数組あり、眼下には雄大な自然の眺望が開けていた。
そして夜が更けると、そこにはオリュムポスの神々が集い、夜な夜な豪華な宴が催されるのであった。
そんな神聖な場所であるにもかかわらず、なぜかテラスの一角には家族の洗濯物を干すスペースが設けられていた。
洗濯はアルクメネの昼の仕事だったが、取り込むのを忘れられた夫ゼウスのパンツが、宴会が始まってからもなおそのまま干されていることも度々あった。――
ヘラクレスが、ドスッ、ドスッ、ドスッ、ドスッ、と、その巨体を揺らしながら階段を2段飛ばしで上っていく。
2階に上がると、1頭のライオンがフェンスに背を向けて特大の物干し竿にずっしりと干されているのが目に入った。
尾頭付きのライオンの毛皮が、ヘラクレスをじっと睨んでいる。
何が言いたい?
そんな目で見るな。
ちゃんと罪を償おうとしているじゃないか。
ライオンの顔を見つめているうちに、ヘラクレスは体ごと異次元の世界に吸い込まれていってしまうような気がした。
周りの景色が薄らいでいく。
それまで吹いていた心地よい風が止む。
一切の音が消え、匂いもしない。
すると、脳裏に太陽神アポロンの言葉がよみがえってきた。
「ヘラクレスよ、……第2の課題だ。伊豆沼に棲むヒュドラを退治せよ」
はっと我に返ると、目の前のライオンは穏やかに眠っていた。
ヘラクレスは頭からすっぽりとそのライオンの毛皮を被り、こん棒を片手にいざ伊豆沼へと出発した。
伊豆沼。――宮城県北部、登米市と栗原市にまたがるこの沼は面積約4平方キロメートルの低地湖沼で、日本最大級の渡り鳥の越冬地でもある。湖面は様々な水生植物で覆われ、鳥や魚を始め、多様な生物が生息している。
「ども! 家庭教師のタムラです」
「よう、タムラ、……来たな」
「あ、お父さん、……こんにちは。ヘラクレスはおりましたか」
「ん? そう言えばあいつ、どこに行った? おーい、母さん、……ヘラクレスは?」
「あの子なら、伊豆沼に行ったわよ」と、アルクメネがリビングから顔を出す。「あら、先生、いらっしゃい、……ふふ」
――何ともお美しい。これは日々の努力か、それとも神酒ネクタルのおかげか。
そう思いながら俺はしばらくの間、彼女に見とれていた。
間もなく、ヘラクレスが帰ってきた。
「ただいまー! 捕ったどー!」
「何を捕った?」と、父ゼウスが聞くと、
「ヒュドラの首!」と、ヘラクレスは叫んだ。
――ヒュドラ? あの9つの頭を持つ水蛇の怪物か!
「でかした! 我が息子」と、跳び上がるゼウス。
――え? お、お父さん、……。
「これで今日の晩飯は決まりだね」と、ヘラクレスが軽くウインク。
――いっ。ヘ、ヘラクレス、……くん?
「じゃあ、から揚げにしましょうか」と、お母さん。
――マ、ジ、で、す、か、……お母さん。
「そうだな。ヒュドラの首はから揚げに限るぜよ」と、お父さん。
俺は一人、蚊帳の外だった。
もちろん、中になど入りたくもなかったが。
すると、
「から揚げ? おっしゃー!」 バキッ 「あ、やべっ」
歓喜して思わず振り上げたヘラクレスの握り拳が、廊下の壁を見事にぶち抜いた。
――おいおい、マジかよ。
「まぁ、この子ったら、……ふふ」と、アルクメネが微笑む。
――「ふふ」って、……お母さん?
「お前の馬鹿力は生まれつきだもの、……ね、ヘラクレス」
――さすが神の子の母親。落ち着き方が半端でない。
「そう言えば、生後2ヶ月で毒蛇を2匹絞め殺したこともあったわよね、……ふふ」と、今度は意味深な笑みをゼウスに向ける。
「ま、まぁな」と、ばつの悪そうな父親と、「え、そうなの? 俺、覚えてねー」と言う巨大な息子。
そして俺は、相変わらず蚊帳の外。――
この毒蛇は、ゼウスの正妻ヘラが、夫の不倫相手であるアルクメネとその息子ヘラクレスに嫌がらせで贈りつけたものだった。
何やら気まずい雰囲気の中、俺はようやく蚊帳の外から囁いた。
「そろそろ、やりますか」
「あ、先生、……こんにちは」(今頃かよっ!)と、ヘラクレス。「行こ、先生」
巨大な体が階段を上っていく。
ドスッ、ドスッ、バキバキッ、ガラッ、ドスッ、バキッ、ガラッ、バキッ、バキバキッ
階段が次から次へと崩れ落ちていく。
――おいおい、俺、上れねー。
すると、
「こういうこともあろうかと」と、アルクメネが落ち着きを払って言う。「はい、先生、……ハ・シ・ゴ」
「はぁ、こりゃまたご丁寧に。ありがとうございます」
何とか2階に上りきった俺は、ヘラクレスの部屋に入った。
そしてようやく授業は始まった。
「どぉれ、やっぞぉ。今日のテーマは『過去形(1) be動詞の文』ね。と、そ・の・ま・え・に。まずは復習。『私は学生です』を英語で言うと?」
「I am a student.」
「そのとーし! ところで、なんで『です』にあたるbe動詞に am を使ったの?」
「主語が I だから」
「そ。be動詞は主語の種類によって使い分けるんだった。主語が I のときには am を使う、……いでしょ。じゃあ、今の文を『私は学生でした』っていう過去の文にするときはどうするか。はい、<アテナの黙示録11>を見てみましょ。
<アテナの黙示録11> 過去形(1) be動詞の文
【1】過去形
|★「~した」「~でした」のように過去の事実を述べるときは、動詞の過去形を使う。
|★ be動詞の過去形には、was(=is/am の過去形)と were(=are の過去形)がある。
いがぁ。まず【1】の、『~した』『~でした』のように過去の事実を述べるときは、動詞の過去形を使う、ってことね。で、be動詞の過去形には2つあって、1つは is/am の過去形 was、もう1つは are の過去形 were だ。ま、この辺は単語レベルの暗記事項だから今すぐ覚えるべし。OK?」
「ウッス」
「あとは【2】に書いてある通り、現在形であろうが過去形であろうが、be動詞は主語の種類によって使い分けるわけだから、主語の種類は常に要チェックだな。OK?」
「ウッス」
【2】主語とbe動詞
|★ be動詞は現在形でも過去形でも、主語の種類によって使い分ける。
||現在形:①主語が I(私は) のとき→ am
|||||||例)I am a student.(私は学生です)
||||||②主語が you(あなたは) のとき→ are
|||||||例)You are a student.(あなたは学生です)
||||||③3人称単数主語のとき→ is
|||||||例)She is a student.(彼女は学生です)
||||||④複数主語のとき→ are
|||||||例)We are students.(私たちは学生です)
||過去形:①主語が I(私は) のとき→ was
|||||||例)I was a student.(私は学生でした)
||||||②主語が you(あなたは) のとき→ were
|||||||例)You were a student.(あなたは学生でした)
||||||③3人称単数主語のとき→ was
|||||||例)She was a student.(彼女は学生でした)
||||||④複数主語のとき→ were
|||||||例)We were students.(私たちは学生でした)
「じゃあ、早速。I am a student.(私は学生です)を『私は学生でした』っていう過去の文にしたら?」
「I was a student.」
「そのとーし! is を過去形の was に代えるだけだ。じゃあ、We are students.(私たちは学生です)を『私たちは学生でした』っていう過去の文にしたら?」
「We were students.」
「てことさ。じゃあ、『あなたは学生でした』を英語にしたら?」
「んー、You were a student.」
「そのとーし! ところで、なんで、be動詞には were を使ったの?」
「主語が you だから」
「うん。でもさぁ、その理由だけだったら are でもよさそうだよね」
「そっか、過去の文だからだ」
「そのとーし! 与えられた日本文は『~でした』っていう過去の文だから、過去形の方を使うわけだ」
「なるほど」
「よって、今後は常に、与えられた文が現在の文か過去の文か(=時制)をしっかりと見極めなきゃ正しい答えは出てこないぞ。OK?」
「ウッス」
「では、もう1つ。『次の英文の( )内から適語を選びなさい。I (is, am, was, were) busy yesterday.』だったら?」
「yesterday って?」
「『昨日』っていう意味」
「てことは、過去の文だから、was だな」
「うん。じゃあ、なんで were はダメなの?」
「主語が I だから」
「そ。よって、この手の問題に答えるためには、2つの理由が必要になるよ。1つは yesterday(昨日)っていう過去を表す語句があるから過去形(=この場合は was か were)、もう1つは主語が I だから were は使えない、……よって答えは was ってことになるね」
「なるほど」
「で、今の yesterday みたいに、過去の文でよく使われるって言うか、逆に英文中にこれがあったら過去形を使うよ、っていうキーワードがいくつかあるんで、……はい、【3】をご覧遊ばせ」
ヘラクレスがテキストに目をやった。
【3】過去を表す語句
|★次の語句は普通、動詞の過去形とともに使われる。
||yesterday(昨日), last ~(この前の~に/先~/昨~), ~ ago(~前に), at that time(その時/当時), when +過去の文~(~した時に), this morning(今朝), one day(ある日)
「先生?」
「ん?」
「もしかして、これ全部、……暗記すか?」
「当然」
「今?」
「そ」
「で・す・よ・ね」と、肩を落とすヘラクレス。
「はい、わかってたら、yesterday からさっさと読みぃ!」
「ィエスタデイ、ラストゥ、アゴウ、アトゥ・ザトゥ・タイム、ホェン+過去の文、ズィス・モーニング、ワン・デイ」
「おしっ。もう1回」
「yesterday, last ~, ~ ago, at that time, when +過去の文~, this morning, one day」
「おしっ。もう1回」
「yesterday, last ~, ~ ago, at that time, when +過去の文~, this morning, one day」
「おしっ。んで、今言ったやつ全部、ノートに10回ずつ書きぃ!」
「出たー!」
と、叫びながらも、「わかってます」と言わんばかりに早速書き始めるヘラクレスだった。
――頑張れ! これが田村塾の「お約束」だ。
「書いた!」
「おしっ。では、今のルールを使って、<スピンクスの謎11>をやってみっぺ。
<スピンクスの謎11> 過去形(1) be動詞の文
次の英文の( )内から適語を選びなさい。
(1) I (is, am, was, were) a student three years ago.
(2) This book (is, are, was, were) 500 yen yesterday.
(3) She (is, am, was, were) our teacher at that time.
(4) We (is, are, was, were) very busy this morning.
(5) Tom (is, are, was, were) sick in bed last night.
んで、(1)から、答え入れて読みぃ」
次の英文の( )内から適語を選びなさい。
(1) I (is, am, was, were) a student three years ago.
「I was a student three years ago.」
「うん。どして?」
「まず、ago があるから過去の文で」
「そ。~ ago は『~前に』っていう意味の過去を表す語句。よって答えは過去形の was か were だ。で?」
「主語が I だから」
「そ。よって答えは am の過去形だから、was だね。いいよー。ちなみに意味は?」
「私は3年前に学生でした」
「おしっ。はい、次、(2)、答え入れて読みぃ」
次の英文の( )内から適語を選びなさい。
(2) This book (is, are, was, were) 500 yen yesterday.
「This book was 500 yen yesterday.」
「うん。どして?」
「まず、yesterday があるから過去の文で」
「そ。yesterday は『昨日』っていう意味の過去を表す語句。よって答えは過去形の was か were だ。で?」
「主語が this book で3人称単数だから」
「そ。よって答えは is の過去形で was だね。いいよー。ちなみに意味は?」
「この本は昨日500円でした」
「そだ。いいねー」
「うん。乗ってきたぞー!」
「おしっ。どんどん行こう、(3)、答え入れて読みぃ」
次の英文の( )内から適語を選びなさい。
(3) She (is, am, was, were) our teacher at that time.
「She was our teacher at that time.」
「うん。どして?」
「at that time があるから過去の文で、主語が she だから」
「そのとーし! 完璧」
「おっしゃー!」 バキッ 「あ、やべっ」
「おいおいおいおい、普通、机壊すか」
「ふふ」
「お前は母ちゃんか! まぁ、いい。ちなみに意味は?」
「彼女は当時私たちの先生でした」
「おしっ。はい、次、(4)、答え入れて読みぃ」
次の英文の( )内から適語を選びなさい。
(4) We (is, are, was, were) very busy this morning.
「We were very busy this morning.」
「うん。どして?」
「this morning があるから過去の文で、主語が we だから」
「そのとーし!」
「おっしゃー!」 バキッ 「あ、やべっ」
「あーあーあ、壁。少し落ち着けよ」
「すみません、……つい」
「まぁ、いい。ちなみに意味は?」
「私たちは今朝とても忙しかった」
「おしっ。どぉれ、最後だ。これができたら全問正解だぞ」
次の英文の( )内から適語を選びなさい。
(5) Tom (is, are, was, were) sick in bed last night.
「Tom was sick in bed last night.」
「うん。どして?」
「last night があるから過去の文で、主語が Tom だから」
「そのとーし! 全問正解!」
「おっしゃー!」 バキバキバキッ 「あ、やべっ」
「ゲッ、……床が」
「また、やっちゃった」
「まぁ、いい。ちなみに意」 グラッ 「……ん?」
「「……」」
ガタッ
「「……」」
グラグラッ、ガタッ、バキバキバキッ、グラグラッ、バキバキバキッ
「「ぅわ~~~~~、落ちるー!」」
突然、2階の床が崩れ落ち、ヘラクレスと俺は真っ逆さまに1階のリビングに落ちた。――
「イテテテテ」
「あら、先生、……おつかれさま。ハシゴ、いらなかったかしら? ……ふふ」
(ヘ、ヘラク、……レス。ち、ちなみに、……意味、は?)
(ト、トムは、……き、昨日、病気、で、……寝ていまし、……た)
(お、……おしっ)
<オイディプスの答え11> 過去形(1) be動詞の文
(1) was
(2) was
(3) was
(4) were
(5) was