3分社会学: 私の行動の原点は実は社会 役割取得と一般化された他者
おはようございます!
いかがお過ごしでしょうか。今日は皆さんが休日の時に記事を投稿させていただきます。
どうぞお楽しみ下さい!
イントロ
今日はまたまた自分と社会について考えてみたいと思います。
自分とはどんな人間で何によって影響を受けているのか?
この質問についてはこちらの記事をぜひご覧ください!
自分=社会というテーマをもとにお話をした前回のメゾ的な視点とは少し違って今回はもっとミクロ的な視点について注目をしてみたいと思います。
私=社会というよりかは、私の行動が社会を読み取り役割を取得してそれをふるまうということです!
あなたがそう振る舞う理由
今回は少し変わった質問をさせて下さい!
あなたは普段道を歩いているときにどんなふるまいをしていますか??
僕は例えば…
歩くときに歩道からはみ出さないようにしたり
人を避けさせたりしないように自分から避けて行ったり
カップルが前にいて邪魔な時は間を通って仲を裂いたりせずしっかり避けて行ったり
人がいないときは音楽にノってドラムのビートを刻んでいたりします(笑)
この行動って皆さんから見ておそらくまぁ普通の行動だと思います。ドラムは余計かもしれませんが。でも誰が果たして歩道からはみ出すなというルールを決めたり、避けるという行動をしろと言ったり、邪魔をするなという行動を教えたのでしょうか。また人がいないときはちょっとハメを外しても大丈夫だろうと誰が言ったのでしょうか。
役割を取得すること
もちろんみなさんの頭の中では、親から教わったからといえるでしょう。社会学ではもっとさらに親よりもさらに大きな枠組みを見ないとならないと考えます。なので結果社会が行動を強要したといえるのです。
この強要されたものを我々が享受することを「役割取得」とミードは呼んでいます。
我々は知らず知らずにうちに社会によって作られた常識を読み取り適切な役割をふるまうという行動をとっているというのがミードの考え方なのです。
一般化された他者とは?
ですが当たり前のようにみんながみんな同じ行動をするのではなく「なんとなくこういう行動」というものに沿って行動をします。その「なんとなくこういう行動」というのが社会の中の「一般化された他者」であると彼は言うのです。みんなの一般的なイメージに基づくという考え方をミードはかっこよく「一般化された他者」という名前を付けています。
一般化された他者から役割を理解しそれをもとに人々は行動しているのだと言えます!
結論
ぼくもこの説について学んだときいつも思っていた常識って誰が決めたのかなぁという疑問が少しずつ分かってきたように感じました。
「誰かが」決めたのではなく我々は「誰か」をという偶像を勝手に想像している、そしてその「誰か」のイメージを社会が作り出しているからこそ我々の行動の原点は社会であると考えられるのではないでしょうか。
本日も読んでいただきありがとうございました!
みなさんの日常がより良いものとなりますように。
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