ordinary sculpture について
- 経緯
ordinary sculpture という言葉の意味について考えを整理できていなかったのだが、先日現代美術作家の菊地風起人さんから「制作の中で ambient という言葉をテーマにしていて、それは ordinary sculpture からも影響を受けました。」と言ってもらったことでいつまでも現状の考えをまとめず放置するのは良くないと思い、とりあえず書くことにした。
ordinary sculpture (オーディナリースカルプチャー) は一昨年に空間設計業で独立する際付けた屋号で、直訳すると「普通の彫刻」を意味する。
この言葉を選んだ理由は、何気ないことが活きてくるような関係を空間設計を通じて作っていきたいと考えたからである。
- なつかしさへの関心
5年ほど前たまたま入った高円寺の雑貨屋に学校の机が置いてあった。ふとなつかしく感じたのだが、教室や学校に関係のない場所で台数も1台、荷物置きとして使われていた机に対して、それでも「なつかしい」と感じたのはなぜだろうと疑問に思った。
その帰りに学生の頃を思い出し理由を考えたのだが、机の質感や授業を受けていた記憶からなつかしいと感じるだけではなく、例えば掃除のために毎日椅子をひっくり返して後ろへ下げた習慣からそのものの重さを覚えていたり、学校行事の際に机を重ねて間仕切りとして使った経験などで本来の用途以外の様々な工夫も知らず知らずのうちに共有させていたりと、多くの視点で深くそのものを理解したことでこの「なつかしい」という感情が生まれているのではないかと想像し、関心を持った。
このことをきっかけに一時期、学校の机・椅子を素材として空間やものの関係について考えていたのだが、家具に対しての理解が深まってもなつかしさが増すことはなかった。
その後いくつか文献を読む中で岡潔/著「数学する人生」の次の文章を目にして、懐かしさは深い理解ではなく、もっと無意識的で日常に何気なく存在するものだと考えを改めた。
- 何となく懐かしい
例えば、雨漏りで天井から落ちる水を受け止めるため誰かがバケツと傘を重ねて置いて、その姿に惹かれ撮影する。そんな何気ない物の関係を楽しむことが懐かしさだと考える。
何となく懐かしい。
平凡な関係に目を向けて少し気持ちが動く。そんなことが重要に思えて、独立の際に普通や平凡という意味の単語を用いてordinary sculpture という名で活動を始めた。
ただ文字が長く呼びづらいため、オーディナリー、オーディナル、オディスカ、OSなど気づけば自由に呼んでいただいている。
- 環境
これは余談だが、菊地さんが言っていた ambient とは 環境を意味する単語である。音楽においては、聞くことを強制したりせずその場に漂う空気のような存在になる「環境音楽」というジャンルを指す言葉だそうだ。何気ない関係を作るということは、その環境を受け入れることかもしれない。
先日伺った菊地さんの展示「いまはそれぞれで前向きに頑張って、それからまた会おう」では作品が白さを帯びて空間に溶け込み、描かれた人はキャンバスを抜け出して生き生きと佇んでいた。
上記は菊地さんが今回の展示会に対して宛てた文章である。現状を受け入れ、落ちついてから再会するという選択もまた、何気ない楽しみを作り出す1つの手段である。
ordinary sculpture
HP : https://ordinary-sculpture.com
Instagram : https://www.instagram.com/ordinary_sculpture