足跡を追うこと

私は今年で33歳になるが、両親がいない。
26歳で母は癌で亡くなり、31歳で父を肝硬変で亡くした。

両親は確かに若くして亡くなった。
が、私はと言えばそれなりにえぇ大人になってから亡くしているので、いわゆる片親家庭の子のような苦労というのは正直ない。(相続関係は死ぬ程大変だったけど、それはまた別の話で。)

■わたしの両親

幼少期にやりたいことを経済面で制限されたこともないし、大学も奨学金を借りることなく卒業させてもらった。郊外のベッドタウンの一軒家に住み、24歳まで母に弁当をこさえてもらい、30歳の正月には父親の全額負担で温泉旅行にも行った。
たぶん俗に言う、甘々な家庭環境だった。

母はとてもチャーミングな人で、ジャニーズと下ネタを愛する料理上手で自他共に認める美人だった。
学校に忘れ物を届けにきた母を見た私の友人が、「え…?実のお母さん…?」なんて失礼なことを目の前で言っちゃうくらい美人だった。
ショーウィンドーに映った自分と私の姿を見て、「私たち、姉妹みたいね!」なんて言ってきちゃう母だった。まぁ美人だった。
祖母曰く、運動神経も抜群だったそうで、社交的な性格からも毎日色んな男性から自宅に電話がかかってきていたとのことだ。何その遺伝子受け継いでない…

そんな母が何故無口で、仕事にしか興味がなくて、無趣味で、大酒飲みで、大タバコ吸いで、ブスで、臭い父親と結婚したのか不思議で仕方なかった。お見合い結婚でもないのに。
娘の目線では特別仲の良い夫婦とは思っていなかったが、悪いわけでもなかった。そんなもんだろう、っていう夫婦。
今私も結婚しているが、あんな夫婦になりたい なんて思ったことはない。


■片付けを始めたらクエスチョンが止まらなかった

父を亡くした後、実家を売却するべく片付けを始めた。
気持ち面ではやはり色々整理がつかず、とりあえず実家にある写真類だけは全て私が引き取ろうと思った。昔ながらの古くて分厚いアルバムでは保管できないので、1枚1枚剥がして無印良品のコンパクトなアルバムに移し替えることにした。面倒臭かったが、この作業のおかげで写真を全て確認することができた。

遺品整理というのは、家族の足跡を追うものだと私は思っていた。
両親は突然死したわけでも無いので、ある程度の期間は死を意識した生活であったし、何ならベタ付きの介護で比較的コミュニケーションの時間は長かった。
それでも遺品整理していると、生前に聞いとけばよかったじゃん、な疑問がたくさん出てくるのだ。

父親の遺品を整理していてまず驚いたのは古い大量の海外マッチ箱とファンクミュージックのレコードだ。マッチ箱に至ってはドラム缶にみっちり入っていた。レコードは古いトラベルバッグに。
父は根っからの関西人で辛坊さんや道上洋三のラジオばかり聞いていて、音楽を聴いている記憶もないし、ディスコに行ったこともないと話していた。
私が毎日のようにクラブで踊って朝帰りして玄関で倒れているのを足蹴にされたこともある。

この大量のゴミ(失礼)の所以はアルバムを見てある程度解決できた。どうやら大学時にアメリカ縦断をしていたらしい。なぜ旅路が分かったかというのも、ご丁寧に航空・鉄道チケットが時系列にアルバムに収められていたから。ヒッチハイクでも回ったらしい。めっちゃかっこいいやん親父。ってか何でそんなん言わんかったん。ってか学生の時めっちゃ貧乏やったやん。
私がキューバにバックパッカーした時に「何かあっても骨拾いに行かんからな」と最後まで反対していたことを思い出した。

え、自分もやってるやん。何で教えてくれんかったん。何であんだけ反対したん?また疑問が湧いた。
ちなみにこれだけ反対していたくせに、私がお土産にチビチビ飲もうと買ってきたラム酒はほぼ父の肝臓で分解された。食器棚の奥に隠していたのに、大酒飲みの流石の嗅覚である。

次に母親のアルバムを見ると、大量のキメキメの写真が大量に発掘された。
アイドルかよと思う構図ばかりで少しバブリーでもある。ロケ地はパリ、ロンドンetc。
めっちゃバブルやん。ってかめっちゃ旅行好きやん。
祖母に聞けば、社会人になってからは毎週のように旅行に行っていたと。
国内の写真ではモデル顔負けなポートレートも多々。大方、母に惚れた男にでも撮らせてたと予想できた。めっちゃ写真撮られるん好きやん。

でもね、私の知っている母は旅行になんて行ったことなかった。家族旅行だって私が中学生になる前が最後じゃないか?写真だって、独身時代以降のものはほとんど見当たらなかった。それ以降のアルバムは全て私たち子供の写真ばかり。そのおかげで遺影を選ぶのだってすごく苦労したんだから。

そうか、二人とも旅行が趣味だったから惹かれたのか!と思いきやそうでもない。何故ならハネムーンしかこの夫婦は旅行していないようだから。
結婚後の母の写真が皆無であることからも、写真がきっかけというのでもないだろう。

■結論:足跡追うとか無理

写真を見れば両親の生きた足跡を追えると思っていた。でも何にもわからなかった。
足跡が途切れているわけでもなければ、砂に被って見えなくなっているわけでもない。しっかりとはっきりと其処にあるのに、追えない。  

湧き上がるのは、何故このアルバムを指差しながらあれやこれやと質問しなかったのだろうという後悔だけだ。何故私は湧き上がる疑問を本人でなく老いた祖母にぶつけているのだろうと。

そしてただただ、「え、何で結婚したんこの二人。」

全ての写真をアルバムに移し替えた後もその疑問は消えることなかった。
ただこれだけは、祖母に聞いてもわからないと言われる。

このアルバムを生前に見ていたら、同じ質問をしているのかな。
多分そんな事はない。だって「おとーさんとおかーさんは何で結婚したの?」なんて質問は子供ならどんなタイミングでぶっ込んだって不思議じゃないから。でもそんなん聞いた記憶もないので、私もそーゆー子供だったんだと思う。興味がなかったわけじゃない。聞かなかっただけ。


こうして何で結婚したん、は永遠のミステリーになった。
本来こーゆーときは私は○○だと思う、で締めくくるんだろうけど、本気で思いつかないのでこれで終わり。

父親、それなりにエンターテイメントな人生送ってたならもっと家族楽しませておけよと思う一方、母にはもっとふさわしい人いたんじゃない?と思わざるを得ない遺品整理になったけど、まぁそのおかげで私生まれてるので最後には自分の存在が疑問になるし。自分の存在についてはあんまり考えたくないからそこは置いておく。

■最後に

今回私がこの文章を書いたのは、研究ばかりしていて論文書くの大好きだった自分が転職や家庭に入り全くPCに触れない生活を送っていた中で、「久々に何か書いてみたいな」と思ったのが岸田さんのnoteを読み始めたことがきっかけである。

この仕上げてるの5月31日なんだよ。相変わらず締め切りギリギリだよ。

久々に書いてみると、まぁまぁタイピングも鈍っているなぁと痛感した。
家族のこと書こうと決め、具体的に何を書くか考えずにダラダラ打ったけど、とりあえずは遺品整理についての私の潜在的な感情が文章には出来たかなと感じた。
それなりに苦労したこと、無駄にたくさん傷こさえて生てきたよな、記録しておくのも大事だよなぁと両親や過去を想い少し泣いた。

♯キナリ杯 ♯家族の話 

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