一人旅終焉の地は念願ギリシャのアテネでした。
2023/12/01 ギリシャ アテネ 🇬🇷
ギリシャも今日中には出なくてはいけない。
7時過ぎには起床して身支度を整える。
屋上からの景色は早朝でもやはり美しい。1番初めに目指すべきはやはりパルテノン神殿。今日はあそこに行くのだと眺めながら改めてギリシャにいる実感を得た。
昨夜遅くまで賑わっていたギリシャの街、8時過ぎのこの時間にはまだ眠っているようだった。
昨夜同様アクロポリスの丘を登って神殿へと向かう。その近くにチケット売り場があった。残された時間はほぼ半日。周りきれるのか自信があったわけではないが、複数の施設に入れるチケットを購入する事にした。
神殿の前にまずは円形劇場を見ることが出来た。いまだに現役のこの劇場は、紀元前からこの地に存在している古代遺跡である。
そしてパルテノン神殿、やはり生で見られた感動はひとしおである。
パルテノン神殿ではシャッター音が止まらない。そして流石にここでは私も写りたいし折角なら良い感じに写真に映りたい。という事で、他の観光客の方にお願いする事にした。しかしなかなか声をかけることが出来なかった。やっとお願いできた欧米人女性2人組、私が先に撮ってもらって、私も撮ってあげた。彼女らがカメラを確認してめっちゃいいね、と去っていったのちに私も自分のを確認する。まさかの私メインでパルテノン神殿はただ柱の部分だけ、何の建物かも判別し難い構図となっており結構残念に思ってしまった。もう次いつ来られるかも分からないので別の人にも頼む事にした。そこに、私が劇場で写真を撮ってあげたアジア人男性が丁度やってきたので写真を頼む事にした。彼は快諾してこだわりの写真を数枚撮ってくれた。ありがたい。こう言っては何だが、やはり個人的な実感としてアジア人の方が写真へのこだわりとスキルは高いよなと思われた。これは割と今回に限ったことではないと思う。
それはさておき、アクロポリスの丘ではエレクティオン神殿も見ることができる。この神殿南西部にたたずむ6体の女性像はカリアテッドと呼ばれている。この下が初代王ケクロプスの墓所となっていたらしい。その美しい、というかこの時代の美がそれ以後の美の概念のベースとなっているが故に我々が美のお手本としている時代の造形物はやはり見惚れてしまうものなのだと実感した。
美しい神殿に後ろ髪引かれつつ、次の場所へ移動する事にする。神殿が築かれている場所はオリンポス十二神に準えてオリンポスの丘とも呼ばれているようなのだが、こちらの麓には発掘された遺跡等が並べられていたのでそちらもじっくり鑑賞する。猫が多くて癒された。この場所、無法地帯というか、遺跡に触れても良いのか分からないのだが、遺跡の椅子に座っている人がいて驚く。円形劇場もいまだに現役らしいので、こうした遺跡も本来の用途であれば触っても良いという事なのだろうか。
さらに、こちらは丘の上にあった円形劇場に比べると状態が良いとは言えないデュオニュソス劇場も独り占め。早い時間帯だったので神殿もゆっくり鑑賞できていたのだが、帰る頃にはそれなりの観光客が来ていた。しかし、パルテノン神殿に比べてこちらへ観光してくる客が少ないのか、私の回る時間帯故なのか割とゆったりと鑑賞することができて最高である。
お次に目指すのはパナシナイコスタジアム。第1回オリンピックが開かれた競技場である。パルテノン神殿からは歩いて向かったのでそれなりに距離がある。道中も街中に現れる遺跡群を横目にスタジアムへと急いだ。
こちらではイヤフォンガイドを無料で借りることが出来たので、日本語のガイドを片手にスタジアムを一周する。番号通りに進むとトラックを反時計回りで回る事になるのだが、半分過ぎた所にトンネルがあり、そこから観覧席の下、スタジアム内部も見学することが出来た。全体として、1番前だけお偉方の席で背もたれがあったり、競技場と観客席に段差を設ける事で確か灌漑設備の役割を果たしていたり当時のギリシャ文明についてや、それが如何に優れていたかを知ることが出来た。
そして、このスタジアムも現役。この日も子供達の運動会のようなイベントをしていた後、大人のグループがトラックを走っていた。
先程の劇場もそうであるが、ギリシャの人はこうした遺跡を遺跡として保護するだけでなく、そのもの自体の使い方で古代のものを現代の人々の日常にも溶け込ませているこの文化が素敵だなと思った。壊れるからとその機能を奪って保護するのではなく、メンテナンスをしながらそれ本来の使い方をする。建物自体もきっと嬉しいのではないかなと勝手に思ってしまう。
パルテノン神殿からパナシナイコスタジアムへの道中にあったゼウス神殿にも立ち寄ってみる。
ヘレニズム時代の建物であり、あまり知名度こそ高くないものの、ここまで巨大な神殿は珍しく迫力がすごい。神殿跡から少し離れた場所に築かれた門はこのゼウス神殿を完成させたハドリアヌスの名を取ってハドリアヌスのアーチと呼ばれている。こちらの門からはパルテノン神殿も見ることができるので遺跡好きとしては写真映えという意味でも興奮するスポットであった。
ゼウス神殿を出たのが11時半過ぎ。移動までのタイムリミットも気にしなくてはいけない時間となっていた。焦りつつも古代アゴラはマスト観光地。先を急いだ。と言いながら途中で街中にあった遺跡にも立ち寄る。一年後の今日もとある事情でバタバタのため、詳しく調べられていないのが歯痒いが、今日は写真に全てを任せる日にしようと思う。
古代アゴラにやって来た。アゴラは政治、経済、社交生活の中心をなしていた場所のことであり、パルテノン神殿同様にこの名も歴史の教科書でお馴染みだろう。
こちらも割と広い敷地の中を自由に歩いて回る形式だった。そしてこのアゴラの中にはヘパイストス神殿があり、こちらも必見である。さらにはアタロスの柱廊でも有名な古代アゴラ博物館も同施設内に位置しているので、しっかりと一周見て回ることができた。
いよいよ時間だということで急いで宿に戻り荷物をピックアップする。13時のバスに乗るべくバス停に急ぐ。飛行機は17時前なので何もそこまで急がずともと思うのだが、きっとバスの時刻と時間の読めなさにより少し焦っていたのだと思う。
しかし、急がば回れ。引いていたキャリーに違和感を感じる。そんな時に後ろのカップルに呼び止められて振り向いた。彼らが私に私のキャリーケースのものと思われる車輪を渡してきてくれた。とにかく彼らにはお礼を言って車輪を元通りにくっつけようと原因を探ってみる。どうやら排水溝か何かの段差に引っかかってしまい、車輪と本体を連結していた接続部分が割れてしまっているようだった。即ち、元通りにできる壊れ方ではないということ。絶望でしかない。
しかしこれがまたギリシャのすごい所。そんな私を見兼ねて地元のおじちゃんが 声をかけてくれた。英語はそこまで通じなさそうだったのでジェスチャーでなぜ困っているのかを伝える。彼は状況を把握してくれて少し考えた後、そこら辺のゴミを拾ってきた。レシートのような厚紙のような一枚の道端に落ちていた紙を接続部分に巻いて本体側の筒状の所に車輪側を入れ込む。紙のおかげで機動力はなくなるものの、応急処置として本体と車輪の接続に成功した。神業級の職人技である。
おじさんにお礼を伝えるも気にすることはないと直して早々にまたどこかへ消えてしまった。アゴラでちゃんとヘパイストス神殿に行ってきたからだろうか、とまた調子に乗ったことを考えてしまう。とにかくありがたかった。
そしてバスにもなんとか間に合う、というかその前にちゃっかりいちごのジェラートも購入してしまった。なんだかんだ余裕だったのである。
チケットを購入してバスに乗り込む。空港までの道のりはそれなりに長いのだが、ギリシャへのお別れは寂し過ぎるので終始余韻に浸っていた。
空港でもなんだかんだ時間が有り余る。遅れるよりは全然ましなのだけれどもっとゆっくり観光すればよかったなとは思ってしまう。というか飛行機が遅れていたというのも原因ではあるので予測はできなかった部分もあるのだが。
ギリシャでは観光優先のスケジュールだったので朝から何も食べていないことを思い出す。目星いお店もなく、バーガーキングで食べることにした。窓からは飛行機の離着陸を見ることが出来て面白い。
そしてなんと、こちらの空港でパーカーを購入してしまった。それまで来ていた黒のパーカーは洗濯できて無さすぎて臭過ぎるし、そもそも6年以上愛用しているもので袖口もほつれてきていた。丁度好みのものが見つかったので思い切ってしまったのである。
結局空港でもスーベニアショップやらなんやらを楽しんで時間はあっという間に過ぎていった。
搭乗口では飛行機が遅れ、少々待ち時間が発生。その間に女性から荷物を見ていて欲しいと頼まれた。怪しそうではなかったし大丈夫だろうと思い承諾する。少しして彼女はちゃんと戻ってきてくれたので安心した。彼女も私が盗みそうにないと思って頼ってくれたのだろう。そこから少し会話をした。彼女はギリシャ出身で他の国でALTをしているとのこと、今回は休暇でローマに行くのだが、今飛行機の時間が押しているのでトランジェットに間に合うか不安だと言っていた。
ちなみに、そう、私が向かおうとしているのはローマである。空港で姉と母と待ち合わせをしていたのだった。
飛行機は数十分遅れての出発となった。先ほどの彼女とは乗り込むまでは一緒だったが、席は離れていたのでそこでお別れをした。
ここからが鬼門である。どうせ急いでも席は決まっているのだからと余裕をかましていたのだが、まさかの私の席に他の人が座っていた。しかも、わざわざ窓の席が良くてそこを取っていたので最悪である。私が困っているとCAさんが声をかけてくれたので事情を説明する。彼女が私のチケットを確認し、その彼に移動するようにか何か恐らくギリシア語で言ってくれたのだが、一向に退く様子はなく何やら言い返しているようだった。他には窓側の席は空いておらず、もう出発とのことで仕方なく空いていた席に座るでもいいと伝える。CAさんにはお礼を言われたが、窓際を取っていたと思ったら3列席の真ん中というのは結構きつかった。
しかし、さらに最悪なのがこれがこの悲劇の終わりではないということだ。なんと私の両サイドは友人同士で私を挟んで話をし始めたのである。実際には修学旅行生のような感じでそこら一体にその学生達の団体が座っており、私がそこに放り込まれた状態である。前から背後から色んな人がお互いに話しかけ、ちょっかいを掛け合う。極め付けは頻繁な席移動であった。私も何度も通して欲しいからどいてくれと立ち上がらざるを得ず、快適な空の旅など夢のまた夢である。というか、こんな状況になるのであれば私を窓側にしてくれればよかったのにとまた怒りが湧いてきてしまった。最終的に右隣、通路側の人が他の席に移動して行ったので窓際の人にこっちに移動しても良いかなみたいな感じで断りを入れる。そしたら別にいんじゃね的な表情とニュアンスで応えてきたのでむかつきつつもやっと通路側に移動して少しは快適さを取り戻すことができた。これほどまでに不快な経験はなかったのよなと今ではむしろおかしくもある。まさに動物園だった。何故ここまで分別がないのかは疑問だし、教師が注意しなかったのかは理解し難いが、もう許すことによう。ちなみに、この時の他に不快というよりも驚きフライトとして、ニュージーランド航空のパン投げ事件というものがある。いつもケチってLCCを使う民なのであるが、いかに日本の航空会社の治安がいいかは自国贔屓とかではなく本当に真であると思う。誤解を招きそうなので弁明しておくと、そのNZのは休暇で乗客として乗っていた航空会社仲間にCAがパンを投げつけていただけで私が投げつけられたわけではない。ただ、この時も私が映画を見ていたのに私が通路側だったために画面を覆うようにして握手やスキンシップを取り合っていたことに関してはどうにかして欲しかった気もするのだが。
2023/12/01 イタリア ローマ 🇮🇹
かなり遅れて飛行機は到着。不快感は感じてしまったが、家族に会えるのも1ヶ月以上ぶりである。ホームシックになるタイプではないのだが、そろそろ人肌も恋しくなっていたので、再会を思って気持ちを切り替えた。
母と姉は早々についていたようでかなり待たせてしまった。またローマの空港のWi-Fiが使えたことは感謝である。合流してからはバスで市街地まで向かうことになった。
2人は言わば今日が初日また違ったテンションというか、姉は初のヨーロッパでとても浮かれていた。そんなことないと知っているはずなのに、偽物の真実の口を見て謎に本物だと思い込んでいたり、これからの旅のアドバイスを求めてきたりと久々の身内との会話が私にとっても心地よかった。
3人での旅行はアパートメントの一室を借りるようなスタイルにした。これでも普通のホテルよりは安く済むらしい。
しかし問題はホテルと違ってフロントがないことである。近くまでは来たのだが、どこに入り口があるのかが分からない。道に迷ったので近所のお店の人に聞いてみることにした。そのボーイが親切に対応してくれてその場所まで送ってくれた。しかし、私のフライトが遅れてしまったのでオーナーさんが帰ってしまったらしい。宿に入ることができず途方に暮れてしまう。そのボーイが引き続き電話でオーナーと交渉してくれたり、最後には隣の部屋の宿泊客の力も借りてなんとか部屋に入ることができた。感謝でしかない。
レストランの人が優し過ぎてその間もお店で待機させてくれたのだが、3往復くらいしてやっとの成功。ボーイさんの対応がありがた過ぎた。そしてその途中で彼が話を振ってくれて私たちが日本人だと言った流れで聞いたのだが、彼自身日本映画が好きで確か溝口やら黒澤やらの名前を出していた気がする。日本映画なら個人的にはそこに小津や成瀬も入れつつもっとその話を深掘りたかったのだが、丁度インターフォンを押して相手の反応が来てしまったので話はそれきりとなってしまっていた。しかしこの異国の青年が自国の映画文化に陶酔していると聞くのはやぶさかではないと勝手に嬉しくなってしまう。
あと、私が言える立場にないが、本場で本物のマンマミーアを聞けたのもいい経験だったと思う。
もう既に夜も遅かったので、散策するではなくもうこのお世話になったレストランに行こうということになった。彼らは喜んで迎えてくれた。イタリア料理屋なのでピザとパスタを注文。イタリア人は1人一品食べるイメージだったのだが、こちらの文化を考慮してか、取り分けやすいように配慮してくれたのでありがたかった。ちゃっかり最後のデザートまでいただいてしまう。この時私はチーズケーキを選んだと思うのだが、イタリアでのデザートの正解はティラミスだとこの時確信した記憶がある。
そして余談であるのだが、このお店のお手洗いの水道がまさかの足で踏むタイプ。トイレで紐を引っ張る方式は出会ったことがあったのだが、このシステムにお目にかかるのは初めてだった。
最後に改めてお礼を言って宿に戻る。少ししてから遠くの方でノックが聞こえたのでドアを開けてあげると、先ほどお世話になった隣人グループの方だった。鍵がなくては入れなくなってしまったのか、とにかく先ほどのお礼が少しでも出来たのではないかと思った。
これまた久々の巨大なベット。広々と荷物を広げられることにも感謝して眠りについた。