パリ散策、ガルニエ宮。
2023/10/24 パリ
予約した宿は簡単なビュッフェ形式の朝食付きだったので、朝起きてから宿で朝食を済ませた。
既に机は先客達で埋まっており、インド出身フランス留学中の女の子のテーブルで相席させてもらった。この子とも会えたら午後に合流しようと言う話になったのだが、結局一緒になれたのはこの時の朝食の時間のみだった。在学している学校は田舎の方で、今日帰路に着くようだ。
本日の私のお目当てはガルニエ宮。滞在中にオペラを鑑賞したかったのでチケットが買えるのか直接足を運んでみる事にした。
オペラ座の愛称で親しまれるガルニエ宮は1875年にナポレオン3世の命によりシャルル・ガルニエの設計により建設され、今尚フランスオペラの中心地となっている世界的な観光地だ。
モンマルトルからは少し距離があったのだが、地下鉄を使わず敢えて歩いて向かうことにした。途中古着屋を見つけて入ってみたり、元々購入を検討していたパンプスを探してみたり。昨日同様に街を歩いているだけで楽しかった。
ガルニエ宮は日中も館内見学をする観光客に開放されている。入り口が少しわかりにくいのだが正面から左側に回った所で館内見学者の列に並ぶとチケット窓口に行く事ができた。屋外までその列が伸びていたのだが館内観光目当ての層が多かったのか公演のチケットカウンターに向かう客は私1人だった。当日券はなんと10€で購入可能。私は11時を回った頃に購入したのだが、確か10時くらいから販売開始でその日によってどの席が売られるかは変わってくるらしい。今日の公演はオペラではなくバレエだったのだが、ガルニエ宮で鑑賞できる事には変わりない。オペレーターのお勧めを聞きつつ無事本日分のチケットを購入。館内見学は鑑賞前に可能であるとのことだったのでチケットを手に再び街に出た。
そういえば現金を持っていないなと思い、インターネットで見つけたお勧めの換金所に向かう。
少し迷ったがやっとお店に辿り着きそこで無事ユーロを得ることができた。見つけられたことに安堵し盲目的に換金してしまったので目星を付けていたお店の周りにも換金所があったので比較すればよかったと少し後悔した。
気を取り直して再び街に繰り出した。
お昼時だったのでこれまた予習していたレストランへと向かう。
ここもアーケード内の少しわかり辛い所にあったのと、少し時間が早かったようで誰もいないお店がそもそも営業しているのかどうか定かではなく入店に戸惑ってしまった。私が彷徨っているのに気づいたのか隣のお店で油を売っていた陽気な店主が対応してくれて結局入店することができた。安堵するものの、他にお客がいなくて少し不安になる。
メニューは全てフランス語。店主に口頭で確認やおすすめを聞きながらステーキと郷に入ってはは郷に従えの精神で赤ワインもオーダーした。私は生粋の下戸である。グラスワインをオーダーしたのだが2cm程で顔も真っ赤になってしまい飲むことを断念してしまった。ワインには申し訳ないがパリジェンヌ気分には浸れたのでいいことにしよう。
お肉は良く言えばフランス的な複雑な味がした。美味しくはあったが、かなりスモーキーな味わい?
食べ始めた頃には数組のお客さんが来ていたのでちゃんと人気なお店ではあったのだろうと思う。
お腹を満たした後は再び市内観光に繰り出した。
悪名高きセーヌ川も川縁から鑑賞する分には周囲の景観も相まって光を反射して光るその美しさに心が踊る。市街地でのお散歩を楽しみながら実は目指していたノートルダム大聖堂に辿り着く。
私が高校生だった時に大聖堂が消失したというニュースが入った。私は世界史専攻だったのだが、当時の先生がこのトピックについて授業で触れていた事を思い出す。
また、ノートルダムで思い出すべきはせむし男の話だろう。『レ・ミゼラブル』の作者としても知られるヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』はディズニー映画でも『ノートルダムの鐘』(1996)としてアニメーション映画として制作され、日本では劇団四季の演目としても馴染みある作品だ。そして、より遡るとウォーレス・ワースリー『ノートルダムの傴僂男』(1923)、ウィリアム・ディターレの同名作『ノートルダムの傴僂男』(1939)等いかにこの作品が愛されているかこの作品数の多さからも感じることができる。それぞれの作品毎に多少原作との違いがあったり、表現方法の際による違いがあったりと見比べてみるのも面白い。
話が逸れたが、昨日同様知識としては知っていた場所に訪れる喜びを噛み締めその外観を目に焼き付ける。大聖堂の正面には観光客の為に階段が用意されており、その外観を眺める人々で賑わっていた。修復作業中であり中に入ることはできなかったのだが、真横から骨組みがクレーンで運ばれており修繕の様子をみることができた。これはこれで貴重な経験である。
少し戻ってノートルダム大聖堂と同じシテ島にある観光地、コンシェルジュリーへ向かう。
ところで、シテ島は「パリ発祥の地」としても知られる随一の観光名所。コンシェルジュリーは宮殿として建築されたものの、独房として使われた歴史のある場所だ。現在はパリの司法宮パレ・ド・ジュスティスの一部としても使われているらしい。
ここではミュージアムパス48hタイプを購入。このパスは48時間以内であれば所定の観光地への入場が際限なく可能となるパスであり、個々の観光地でチケット購入の列には並ばずに入場できたり、日付縛りの2日間ではなく純粋な48時間であったりとかなり使い勝手の良い観光パスだったと思う。因みに2日、4日、6日など日数が選べ、それぞれ70€、90€、110€で4.5箇所訪れると元が取れる。パスは各観光地のチケットカウンターで購入可能、確かオンラインでも購入可能だった。英語かフランス語オンリーだが、詳しくはHPを見ることをお勧めする。
コンシェルジュリーの観光ではタブレット端末が配られた。各部屋に置かれているアイコンを読み込むとその部屋の解説や当時の風景を再現したバーチャル風景をみることができる仕掛け。360度対応しており、タブレットを向けた方向の様子が映される。かつての生活を想起しやすかった。また、各部屋で隠されたアイテムを見つけるとメダルが獲得できるクエスト形式にもなっており、UXの巧みさに感嘆する。観光地として人気の高いフランスパリがいかに観光産業に力を入れているのかが感じられた。その恩恵に預かることができてラッキーだとも思う。マリーアントワネットの独房もあり、中々に見応えのある場所だった。それなりにじっくりとみて周り、一時間程度満喫した。
ところで、コンシェルジュリーの隣に「聖なる礼拝堂」の意味を持つサント・シャペル、ステンドグラスが美しい建築物がある。サント・シャペルはルイ9世により聖遺物を納める目的で建設が命じられたコンシェルジュリー同様カペー朝時代の王宮跡である。現在ではパレ・ド・ジュスティスの一部でもある。観光時私の知識不足でこのステンドグラスの存在を知らなかったので並んでいた為に本日は断念。結局今回の滞在では訪れることが出来ず、この時に入らなかったことを少し後悔している。次のパリ滞在では必ず訪れようと心に決めた。
コンシェルジュリーの観光を終え15時半、ノートルダム大聖堂の方に戻り近くにあった屋台でクレープを購入。並んでる時にトッピングのバナナだけを購入している人がいたことが印象的だった。
次に目指すはパンテオン。パンテオンと聞くとローマにあるパンテオンを想起する人も多いだろうが、パンテオンはギリシア語で諸神の家と言う意味。パリのパンテオンもコリント式の円柱と巨大なドームが特徴的な新古典主義洋式の建物だ。18世紀後半にサント=ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、フランスの偉人を祀る墓廟となっている。
中では巨大なフーコーの振り子が存在感を放っていた。この振り子は1851年の物理学者フーコーによる地球の自転を証明する為の実験にその起源を持つ。オリジナルはパリの美術工芸博物館に展示されているらしいのでここにあるのはレプリカだ。それでも天井から67mのワイヤーで吊るされた28kgの巨大な振り子が揺れ動く姿に惹きつけられる。
一時間程度滞在したのだが、入館時と退館する際の振り子の位置が異なることでしっかりと自転が観測出来る事を実体験として認識できた。
他にもパンテオンの中ではフランスの彫刻家フランソワ・レオン・シカールによる巨大彫刻『国民公会』、エドゥアール・デタイユの『共和国軍を導く勝利』、アントワーヌ・オーギュスト・エルネスト・エベールによるモザイク画『フランスの守護天使に国民の運命を示すキリスト』等の作品を鑑賞する事ができる。こうした歴史を感じさせるような作品だけではなく、企画展なのだろうか、現代テイストのカラフルな作品も展示されており、その巨大な建物の内部では美術品の洪水が起こっていた。
一方で先にも述べたようにパンテオンは墓廟と言う側面を持つ。地下は地上と反して基本的に白一色。十字架の形の建築に納骨堂があり、学者や政治家、軍人、作家等あらゆるフランスの偉人が祀られている。正直フランスの偉人に対しての知識がそこまでない私は誰の墓があるからと感動できたわけではないのだが、皆きっと偉い人なのだろうとくまなく回ってみる。それなりに観光客で賑わっていた。墓によっては弔いの品が添えられていたのも印象的であった。棺のない場所にはまだこれから誰かが祀られる可能性があると言うことなのだろうか。
パンテオンを出ると目の前にエッフェル塔が見える事に気づく。
時刻は17時過ぎ。今日はまだ地下鉄を使用していない。モンマルトルの方からだと考えると少し遠いのだが、ここまで来たら意外と歩いて行けてしまうのではないかと思い少し黄昏てから今度はカタコンベを目指した。パリのカタコンベの存在は小学生の時にサーティーナインクルーズを介して知ったのだが、畏敬の念を抱きつつもロマンを感じずにはいられない場所である。
結果パンテオンから30分程歩いてカタコンベに到着。しかし、まさかのカタコンベには入れない現実に直面した。インターネットで事前予約必須、係員が声を出してその旨をアナウンスしていた。他にも数人の観光客が私同様に入れないことを嘆いている姿を見た。どうやら私はカタコンベの人気を舐めていたらしい。夜宿に帰宅してから調べてみたが私の滞在予定中は既に予約満員で今回の旅では訪れる事ができない場所となってしまった。事前調査の重要さを痛感する。ここも次回はきっと、の場所となる。
時刻は既に18時を回っていたので19時開場のバレエ公演を目掛け地下鉄に乗る事にする。
フランスは映画発祥の地でもあるので街歩きの際には映画ポスターや映画館に注目していたのだが、ちょうどこの時宮崎駿の『君たちはどう生きるか』の広告が掲示されており、つい反応してしまう。
ガルニエ宮には少し早めに着いたので地下のスターバックスでパンオショコラとパンプキンスパイスラテをオーダーしガルニエ宮の前の階段でそれらを食す。このような歴史的遺産で座り込んでもいいのだろうかと若干躊躇したのだが、沢山の人々が座って開場を待っている様子だったのでその状況に甘んじて迎合する。徐々に辺りが暗くなっていく。時刻が近づくにつれてドレスアップした婦人や少女、正装に身を包んだ紳士等が集ってきた。私は赤のタートルネックにベロア生地のワンピースを合わせていたのだが結局パンプスを見つける事ができず足元はアディダスのスニーカー、とても場違いなのではないかと少し自分の格好を恥じた。しかしバックパッカーの限界だとして今回は免じてもらう事にしよう。
19時過ぎ、会場に通され白い大理石で作られた大階段が我々を圧巻の佇まいで出迎える。入った瞬間からその建築の素晴らしさに圧倒させられた。開演時間は20時。時間いっぱいガルニエ宮の建築美を堪能する事ができた。またクローク係がいたり、各観覧席に行くための扉は鍵のかかった扉により規制されていたりと私自身の初体験が詰まったオペラ座訪問。まるで自分が貴族にでもなったかのような優美な時間である。
私の席は2階席上手側のサイドと正面桟敷の中間にある場所、奥まった場所に設置された2人がけのソファーのような場所だった。上手側は多少見切れていたものの、3段ほど高く設計されたソファーの座り心地は快適でバレエをしっかりと堪能する事ができた。このソファをシェアした方がたまたま日本人と言う事が発覚。彼女は北欧の方にワーキングホリデービザで滞在しているらしい。バレエが好きでおりを見て北欧からバレエを鑑賞しに来ているらしい。ガルニエ宮への訪問も数度目とのこと。今回の滞在もどうやら同じ演目を鑑賞しに来るようだ。休憩時間もバレエの話や今後の旅路に関しての話など盛り上がる。観光に来るなら少ししか値段が変わらないのだからと館内見学だけではなく当日券を購入して鑑賞すべきだと熱く語っていた姿が印象的だった。
本来はオペラ座なのだからオペラをと思っていたのだが、今回のバレエは私にとってとても正解だったように思う。ノンバーバル表現による踊りは言語を介さずとも同じ感動を味わう事ができる芸術だと再認識する。ガルニエ宮に出演するレベルなので各踊り子のレベルも高い。約2時間の公演はあっという間であった。各国で現地の言語で書かれた本を購入するのが私の旅先での趣味であるのだが、今回は長い旅路を思い迷ったものの、売り子のセールストークに心揺さぶられ12€でパンフレットを購入した。
閉演後は名残惜しいものの、10分程で退場誘導がなされる。
外に出ると既に夜の姿となったパリの街がそこにあった。当時ガルニエ宮は改装工事中の為に本物の外観を正面から拝む事ができなかったのは残念だ。今度はオペラ、そして外観もしっかりと拝みたい。
余韻に浸りながら宿に向けて帰路に着く。
途中スーパーで本日の夜ご飯を調達。旅路が長いので抑える時は抑えたいと思いおすすめされていたスーパーに寄ってみたもののこのお惣菜がこの値段なのかと円高を痛感。
23時前に宿に帰還。昨日同室であった婦人と代わり別の2人がルームメイトに。1人はアルゼンチン出身の青年で、もう1人はプエルトリコ出身の中年男性であった。2人とも私のパリ滞在を彩ってくれた人物になる。
ドミトリーの良いところは容易に旅の仲間を増やす事ができる点だと思う。
アルゼンチン出身の青年とは私がスーパーのお惣菜を食している時に仲良くなった。軽く挨拶を交わしたのちに彼は私に宿は快適かと世間話程度に聞いてきたのだが、私は自分は快適だと思うが昨晩は2人だったしまだ分からないと言う旨の返答をした。私としては普通に快適なのだが、私の指標が相手のそれと異なる懸念や相手の旅の遍歴次第でアンサーが変わってくると思い一種の責任逃れの様な体での返答だったのだが、彼はどうやら私が男性と一緒の部屋である事を懸念していると読み取ったらしい。自分はゲイであることをカミングアウトし、少しでも不安を取り除こうと善処してくれた。
因みに私は日本でも登山等で男女の境なくテントで寝る事経験があったりそもそもどこでも寝られる体であったりと言う人物なのでホステルは安さと立地重視の選定をしている。そこに奢るべきではないが、危険な目にもあったことはなく、むしろ他人の目があるのでドミトリーではそこまで大きな危険は起こらないのではないかと他人の優しさに甘えている。
食事を終え、部屋に戻る。プエルトリコのおじさんは英語が喋れないものの、私達と会話をしたい様子であった。アルゼンチンの青年がスペイン語を介して彼がカメラの修理士をしていること、プエルトリコから1人で旅にきていることを話してくれた。
誰かがホステルにクレームを入れたのか昨日壊れていたシャワーはヘッドが交換されており、より快適になっていた。
カタコンベで自身の計画性の無さを嘆いたものの、今日も一日中稼働していたので眠気に負け就寝する事にした。
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