映画発祥の地、フランス。 王道とマイナー旅。
2023/10/25 フランス パリ🇫🇷
この日も朝は宿のビュッフェで8時前に朝食を済ませた。
流石に旅程の思案を怠っていたので朝の時間に調べ物をする事にした。他の滞在者とも観光に関する情報交換をする。昨日購入したミュージアムパスにはルーブル美術館のチケットも含まれているのだが、どうやらルーブル美術館は別途予約を入れなくては入場できないことを知り予約に挑む。別途料金がかかるわけではないのだがミュージアムパスでの入場者数制限が設けられているらしい。普通のチケットでは当日券の購入も可能だったように思う。専用の予約サイトシステムを理解するまで時間を要してしまった。ミュージアムパスでの予約は最速でも明日の14時半以降であり、私のミュージアムパスの有効期限に不安を抱きつつもその時間で予約を取った。
またエッフェル塔のチケットはミュージアムパスに組み込まれていないのでこの時に購入。斜めに登っていくエレベーターも魅力的だったが今回は値段を少しでも抑えようと言うのと徒歩で登る方にも魅力を感じ階段で登るチケットを購入した。
10時半過ぎに宿を出てまずは初日に拝んだサクレ・クール寺院へと向かう。この寺院は『アメリ』をはじめとした多くの映画の舞台ともなっており、「聖なる心臓」と言う意味を持つモンマルトル屈指の観光名所となっている。サクレ・クール寺院が建つ小高い丘の上からはパリの市街地を見渡す事ができた。寺院内部へ入るには軽い手荷物検査を受けなければならないのだが、入場は無料。美しいステンドグラスや天井には巨大なイエスキリストのモザイク画が施されておりとても荘厳な印象を受ける。丁度お祈りの時間であったのか、聖女の美しい歌声も聞くことができた。これが無料なのかとモンマルトルに住む人を羨まずにはいられない。
サクレ・クール寺院を出た後は道中の雑貨屋さんで道草をかいつつ地下鉄の駅を目指す。目的地はエッフェル塔。チャージ式のnavigoカードを購入して列車に乗り込む。この日は一日中乗り放題のチケットを購入した。エッフェル塔へのアクセスはあまりいいとはいえず、特急電車のようなものも活用し、乗り換えの駅でもそれなりの距離を歩いた。
地下鉄の路線図を頼りに目的地に辿り着く。駅の出口から少し歩くと鉄の貴婦人、エッフェル塔がその姿を表した。昨日遠目には見えていたものの、麓から眺める姿はより圧巻、興奮せずにはいられない。セキュリティゲートを通ってエッフェル塔の入り口へと向かう。エレベーター利用者の列は賑わっていたが、階段を使う人は少なく、チケットを提示すると直ぐに階段へと誘導してくれた。天候はあいにくの雨だったのだが、教科書で眺めていたあのエッフェル塔に登っているんだという興奮冷めやらぬままに展望台へと歩を進める。曇ってはいたが凱旋門の姿も確認し、パリの市街地の景色を楽しむことができた。
降りる際ももちろん階段である。鉄の貴婦人は基本的に必要最低限の外壁というか骨組みで出来ている。ゴアテックスの雨具により身体は守られたものの靴は雨で少し濡れてしまった。それでもエレベーターが動く際に回る歯車の様子も直に見ることができたので階段の選択肢は正解だった事にする。もちろん次回は晴れている時にエレベーターのチケットを購入したいと思いながら。
一度市街地に戻りパリの街歩きを味わうことに。パリで最もお洒落と言われるマレ地区を目的地に定めた。この滞在中鴨のコンフィを食べてくるミッションが課せられていたので、いいレストランがないか目星を付け向かう事にする。その道中に美味しそうなお菓子屋さんでチョコレートのマカロンを購入。また、今朝お勧めしてもらったアップルパイ屋さんが近い事にも気づき向かう事に。navigoカードが有効なので初めてバスを利用してみる事にした。因みに、私は電波難民なのでエッフェル塔のWi-Fiで全ての運行表を調べ、あとはアナログの路線図を頼りに歩く事になる。バスの使用は地下鉄よりも多少難易度が上がる認識ではあるが、無事に予定通りバスに乗る事ができ目的地に辿り着くことができた。
これからレストランに向かうと言うのに、マカロンに加えてアップルパイとは流石に食べ過ぎだろうと言うことを私自身も自覚している。しかし、おいしいと聞いたら食べない選択肢はないだろう。店内では他にもチョコレートやケーキが売られていたのだが、店員さんにもお勧めを聞いたところやはりアップルパイが自慢らしい。アップルパイを片手に10分程で目指していたレストランに到着、パイは半分ほど食べてあとは夜食に回す事にした。味はもちろん美味しかった。朝食はいつも宿で済ませてしまっていたのでパリでパン屋さんに行く経験をしたことはいい選択だったと思う。
レストランに着き一瞬で赤色を基調とした内装に心惹かれた。席につきメニューを眺める。時間にして14時過ぎ。店内は他にも数名の客がいたのだが、お洒落なドリンクを片手に午後のティータイムのような雰囲気だ。パリに住んでいたら私もこの時間に友人と優雅にティータイムを過ごす生活を送っていたのだろうかと妄想に耽る。
結局ここでもメニューが分からないので店員さんに聞く事にしたのだが、どうやらネットの情報が古かったのかここでは鴨コンフィーにはありつけないらしい。代わりにチキンのプレートを注文した。
フレンチフライはフレンチと付くくらいだからフランスゆかりなものなのか、というか欧米のどの地域でもフライドポテトが自慢の郷土料理として主張されているものなのかと取るに足りない疑問を抱きつつ美味しく頂いた。流石に満腹である。
マレ地区を軽く散策した後、この旅で確実に訪れたかった施設へと向かう事にする。その施設はパリ郊外にあるのだが、路線図を頼りに向かってみるとまさかの路線が一部閉鎖中。バスと徒歩を駆使してなんとか辿り着くことができた。
遂に到着。その看板を見た時には興奮せずにはいられなかった。シネマテーク・フランセーズにやって来たのだ。シネマテーク・フランセーズは映画博物館であり、貴重なフィルムが多数保管されている場所だ。アメリカの建築家フランク・D・ゲイリーにより設計された建物自体も貴重でその佇まいを目にしただけで感動せざるを得ない。今回は残念ながら鑑賞できなかったのだが、劇場も完備しており映画上映もなされている。つまり、映画文化を保全、促進するための貴重な施設なのである。因みにこちらの施設もパリミュージアムパスの対象施設となっている。私が訪れた際はジョルジュ・メリエスに関する展示をメインに、映画誕生の歴史から映画の作り方を追体験的に学べるような展示がなされていた。
また、実物大のキネトスコープには興奮せざるを得ない。これはアメリカでエジソンにより発明された映画鑑賞の為の機械であるが、映画がアメリカで生まれたと主張する派閥の根拠となっている機械でもある。フランスでリュミエール兄弟により発明されたとされる映画鑑賞会が行われたのは1845年の出来事。その僅か1年前に1人で覗き込むタイプの装置であるキネトスコープがエジソンによって発明されたのである。覗いてみるとかつて大学の講義室で鑑賞した記憶のある処刑代の首切りシーンの映像が流されていた。
また、私はメリエスの自叙伝を保持している程度にはメリエスと彼の作品が好きでありもちろん彼にまつわる展示にも興奮していた。彼は映画にフィクション性をもたらしたという意味で映画の発明者でもあると言えよう。先に挙げた映画の発明者であるリュミエール兄弟(大勢の人数で一つのスクリーンを鑑賞するスタイルを持ってして映画誕生とみなす、映画発祥の地はフランスであるとする見方における発明者)が作品としたのは記録映像であり、工場から流れ出てくる人々の様子や列車到着の映像、赤子を抱えた夫婦が仲睦まじく昼食を撮る映像が残されている。これらの映像にも多少演出が施されていたようではあるのだが、メリエスの発明したフィクション性とは、フィルムを切り貼りすることで現実にはあり得ない人が消える技巧等を用いた点に見受けられる。彼はスクリーンにイリュージョンを映し出した。その集大成ともいうべき作品が『月世界旅行』(1902)である。話に熱が入り過ぎてしまったが、もし少しでもメリエスに興味を抱いた方にはマーティン・スコセッシの『ヒューゴの不思議な発明』(2011)をお勧めしよう。この作品はブライアン・セルズニックの小説『ユゴーの不思議な発明』を原作としているのだが、この物語に出てくる老人こそ、ジョルジュ・メリエスなのである。因みにシネマテークの展示として一部抜粋上映がなされていた。
蘊蓄はさておき、実は博物館を堪能していたらまだ閉館時間ではなかったはずなのに鑑賞途中で追い出されてしまった。この日は何か事情があったのだろうか。仕方なく展示室を後にし、シネマテークのスーベニアショップを覗いてみる。そこには映画関連のグッズの他に色んな映画作家にまつわる本が売られていた。試しにエテックスの書籍もあるか探してみてもらったところ、数冊ヒットしたようだ。フランス語で書かれており私の研究を推し進めるような内容とも言えなかったのだが、記念に購入してみる事にした。
もう既に今日という日を満喫していたのだが、まだまだパリでやり残している事が山ほどある。多幸感を胸に再びパリの中心地へと向かった。
次にやってきたのは凱旋門。19時を回っていた。地下道に30mくらいには人の列ができていたのだが、こちらもミュージアムパスで入場が可能だったのでチケット窓口への列はスキップし地下通路を通って凱旋門立つロータリーへと向かった。それでも凱旋門は賑わっており、入場までに15分程並武事になる。次第に辺りが暗くなってきた。
凱旋門は階段で上まで登る事ができる。内部には展示物もあるがやはり目玉はその上から眺めるパリの街並みであろう。夜のパリは昼にエッフェル塔から見た景色とはまた異なる魅力を持つ。19時半過ぎに頂上に着いたのだが、そこから30分景色を堪能し、しっかりとシャンパンフラッシュも鑑賞することが出来た。しかしながら、正直にいうとこの場所は誰かと来た方がいい所だなと、友人や恋人同士でパリの夜景を楽しむ人々を横目にパリの地に1人、凱旋門の上から見る景色に寂しさを感じたことも述べておこう。でもそれでもやはりこの地に来られたことへの喜びが優っていることは言うまでも無いのだが。
凱旋門から降りて改めて門の外観を鑑賞した。凱旋門もまさに教科書で見てきた場所なのだが、実物は私の想像よりも遥かに大きく、彫刻の規模と優美さに圧倒された。凱旋門はロータリーの中にある為360度周りに車が走り続けている様子も見ていて飽きなかった。
凱旋門も堪能し過ぎてざっと1時間半の滞在。昼のリベンジにと鴨コンフィを食すために調べていたレストランに着いた頃にはすでに21時を過ぎていた。
店内席か外のどちらがいいか聞かれたので気持ちいい夜風を堪能すべく外の席を選んだ。ここでは無事鴨コンフィを注文。サイドメニューにサラダを選んだ。はずが、全部無料で頼めるよ、と言われハッシュドポテトとフレンチフライもノリノリで提供してくれるという店員さんが謎にフレンドリー過ぎて面白かった。もちろん味も美味しかった。
レストランからは既にお馴染みの風景となっていた道を歩み、宿に着いたのは23時前。プエルトリコのおじさんは宿を旅立ち、中東出身のフランス、確かブリュターニュ?在住のデザイナーが新しく同室メンバーとしてやって来ていた。彼はフランス語は喋れるものの英語はあまり得意では無いらしい。私たちの間には満足のいく共通言語はなかったが、アルゼンチン出身の青年と3人で旅の話やそれぞれの生い立ちについて語り、話は弾む。
ところで、日本人がこうした旅で得することといえば、きっと夜にシャワーを浴びる傾向が強い点であるように思う。もちろん人によるのだがアジア系の人々が夜にシャワーを浴びる傾向が強い一方で欧米では朝にシャワーを浴びる人が多い。即ち、ドミトリーでも夜のシャワーの倍率は低いのである。
彼らは私に気を遣わなくていいからとまた快適にシャワー、選択、ドライヤーをさせてくれたことを思い出す。彼らの優しさに感謝しなくては。
そんな思いを抱きながら寝床についた。