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音楽とスポーツ

執筆者:A5

吹奏楽部は腹筋をさせられるから、運動部……とかそういう話ではない。
音楽とスポーツの遠からざる関係について考えてみたい。

音楽演奏とスポーツの共通点

「大学時代はオーケストラサークルにいました」というと、なんとなく高尚で優雅な趣味を持っているように世間で思われる趣があるようだが、オーケストラでの演奏に携わっていたものから言わせて貰えばオーケストラでのプレイとスポーツのプレイに共通点は少なくない

・身体をつかい汗をかく(照明で照らされた舞台上は結構暑いのだ)
・ポジションがあり各々最善を尽くすことを求められる
・時々刻々と変化する状況下で他者と瞬時の駆け引きを行う
・絶え間ない自己研鑽
・社会通念上、生きるために必須の行為ではない(cf. 不要不急)

球技が不得意で長距離走以外、体育の授業が苦手。そんな筆者が考えた共通点に説得力がどれだけあるかはさておき……

スポーツの場における音楽

案外、スポーツの場において音楽は利用されているように思う。
プロ野球で選手が登場するときの出囃子、大相撲の国歌吹奏や競馬のファンファーレといった主催側による利用もあれば、野球やサッカーにおいてファンたちがトランペットや打楽器で贔屓のチームを応援するといった音楽の使われ方もある。
17世紀にオスマン帝国軍を鼓舞しヨーロッパ諸国を震撼させたメフテルの例を持ち出すまでもなく、群衆を興奮状態に導ける力が音楽にはあるのだろう。

ラグビー、サッカー等の国際大会で日本の応援ソングが設定され、時期限定でテレビでやたら流されるのはよく見かける。ああいう曲って他の国でも設定されているものなのでしょうか?というのは筆者が長年抱いている疑問。

スポーツを描いた音楽

ここまでが前置き。スポーツが音楽を取り上げた例について前項では触れたが、この項では逆、すなわち音楽がスポーツを取り上げた例について3曲紹介する。

ラグビーの試合を描写 - オネゲル

宙高く蹴り上げられた楕円球、その着地点を目指して選手達が駆けていく……
試合開始の情景から曲は始まるようである。

交響的運動 第2番『ラグビー』。
作曲は20世紀フランスで活躍したアルテュール・オネゲル。フランス6人組の1人として紹介されることが多いが、フランス6人組の音楽はそれぞれの個性があり、多様な若い才能をジャン・コクトーがプロデュースする際に、グループ化した(日本のグループアイドルに考え方は似ていなくもない)というのが実情であろう。
オネゲルはワーグナーの音楽に心酔していて、曲調も同じフランス6人組のプーランク(非常にフランス的な作曲家!)などと比べると、かなり堅実さを感じさせる。

オネゲルは他にも蒸気機関車が動き出す様子をオーケストラで描いた、交響的運動 第1番『パシフィック231』を作曲している。演奏頻度としてはこの作品の方が高いようだ。

バレーじゃないよ、バレエだよ - ミヨー

見出しのジョークは日本でしか通用しなさそうなので、特に気にする必要はない。
テニスラケットやゴルフクラブを持った人たちが舞台上で不思議な動きをしているが、れっきとしたバレエである。

バレエ『青列車』には20世紀フランスで活躍した作曲家ダリウス・ミヨーによる音楽がつけられている。オネゲルと同じく、フランス6人組の1人である。バカンスで海水浴場を訪れる人たちを描写したもので、衣装はココ・シャネルがデザインした。
バレエ・リュスがこの作品を初演しているが、何を隠そうこの団体は『春の祭典』を世に送り出したバレエ団である。バレエの既成概念をどこまでもぶっ壊してきた革命的存在だ。

サッカー狂 - ショスタコーヴィチ

瓶底メガネで神経質そうな顔からは想像がつきにくいが、ロシア・ソ連の作曲家ショスタコーヴィチは大のサッカーファンだったらしい。試合の進行を細かく記録、その分析は専門家も一目置くもので、さらには審判の資格もとってしまうなど、熱の入れようが尋常ではない。

そんなショスタコーヴィチがサッカーを描いた作品がこちら。

『黄金時代』は1929-30年に作曲されていて、交響曲 第2番や交響曲 第3番の作曲時期と近い。交響曲 第2番ではサイレンが鳴らされるが、こちらではホイッスルが鳴らされる訳だ。
バレエ作品であり、ソ連のサッカーチームが西側資本主義国の博覧会に招待され、ファシストたちの陰謀に巻き込まれるも現地の労働者と友情を育み、陰謀は西側の共産党員によって暴かれる、というなかなかユーモラスな筋書きである。

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Orchestra Fontanaの東京初回練習でショスタコーヴィチ 交響曲第10番の第2楽章を演奏し、練習場に立ち上る汗の臭いを感じながら、「ショスタコーヴィチって、いやオーケストラって実質スポーツだよね」と確信した。
彼の生涯を考えると、戦争や粛清、恐怖政治のイメージを彼の作品にも思い浮かべてしまうが、サッカー狂いだったことを知るとまた違った捉え方もできるのでは?

「スポーツには、元来国同士が実際に戦う代わりに戦争の代替機能として行われたという歴史」がある※ とも言われる。

国際連合決議では五輪・パラリンピック中の休戦期間が設定されていて、これは古代オリンピックのエケケイリア(聖なる休戦)に倣ったものだ。五輪開幕の7日前から、パラリンピック閉幕の7日後を休戦期間としている。
東京五輪大会組織委員会会長 橋本聖氏も五輪開会式のスピーチで休戦決議期間について触れていた。

ちなみに、ロシアのウクライナ侵攻は北京五輪の4日後に開始されている。

ショスタコーヴィチはなぜ、サッカーに熱をあげたのだろう?

音楽とかけてスポーツと解く。
その心は?






……スコア(総譜・得点)が大事でしょう。

牽強付会な結論にて、この文章の幕引きを図る。

※堀田裕二, スポーツにおける国家代表と戦争代替機能~スポーツの平和創造機能を改めて考える~
https://www.sn-hoki.co.jp/articles/article2570831/

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