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人と話をするということ
3ヶ月ぶりかで美容院へ。
カットして染めた白髪が引きこもって時間だけ過ぎていく間に真っ白になってしまっていた自分に気づいた私。
人と会うという事に恐怖を感じるなんて、以前の自分には想像もしていなかった事が、今自分の身に起きている。
話すことを辞めると人と話すことさえも恐怖になるのがメンタルを病んでしまうという事だと身を持って感じている。
人と会話する事は会って話をするという事。
今の世の中会話はあくまでも社交辞令で、その場限り。
職場や学校でのやりとりはあくまでも対話で、どちらかが上でどちらかが従う形の会話でしかない。
もしかしたら家庭での会話も対話でしかないのかもしれないと最近感じる。
報告と連絡…
昔は「報告・連絡・相談」いわゆる、報連相(ほうれんそう)というルールがあったが、今はそんな言葉は死後でしかないと休職する前の勤務先で痛感しつつ、規定は規定と継続していた自分を思い出す。
誰もが平等で差別のない社会を目指す今、会話とは等話であるのが自然でありそうであって欲しいと願う。
精神科のドクターの中でも医者と患者が等話する事で共感や学び、気づきを見出して回復する事が重視されていると言われたが、この世の中お山の大将で居たい人が多過ぎる事で相手を思いやって話をすることを忘れてしまった人間が多過ぎると感じてしまう。
言葉は時に人を傷つけて追い込んでしまう目に見えない凶器と化する。
【たった一言が人の心を傷つける
たった一言が人の心を暖める】
目に見えない傷の痛みは他人には気づかないしわからないし、いつ回復するのか、どうすれば癒えるのかさえもわからない。
今の若者がコミュニケーションを取ることを嫌うのはそんな思いやりを持って接することを諭してくれる先輩がいないせいなのかも知れないと悲しみさえ感じてしまう。
人間という動物が唯一他の生き物とは違う言葉でのコミュニケーションを取ることを許された素晴らしい能力を今の時代はITだA Iだと技術に依存することで自ら発するという責任からも責任回避していることがこれからの未来にどう繋がっていくのか…
生い先の短い人間ほど余計な心配をしてしまうのかなと感じてしまった。