経常赤字と対外債務のリスク ~アジア通貨危機にみるリバランス過程~
もし、たった6か月ほどで、ドル円相場が半値まで暴落したら。
もし、絶好調だった日経平均株価がピーク時から、9割近くまで減価したら。
1997年頃に似たような出来事が、微笑みの国・タイで起こりました。
このアジア通貨危機(トムヤムクン危機)では、一体何が起きたのでしょうか。
サムネイルは(画像:Thai Bank Notes in a Pile by Karn Bulsuk/ flickr[CC BY-NC 2.0])を作者により改変
目次
■はじめに
1990年代から2000年代初頭にかけて、世界のあちこちで通貨危機が相次ぎました。
中南米ではじまった新興国危機は、アジア通貨危機を経て、ふたたび中南米に回帰しました。
具体的には、メキシコ、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、韓国、ロシア、ブラジル、アルゼンチンです。
通貨危機が起こると、自国通貨の対外的な価値が急激に下がることで、通貨が流通する経済圏に大きな混乱をもたらすことになります。
これら通貨危機が起こった国々では、ある共通点がありました。
それは、(ロシアを除いて)経常収支が赤字傾向にある、ということです。
従って、通貨危機の経緯を振り返ることは、経常赤字が嵩むとどうなるのか、経常不均衡がどのような過程でリバランスされるのかを知る上で役立ちます。
今回はケーススタディとして、1997年に起きたアジア通貨危機と、その震源地であるタイ王国を取り扱います。
■経常赤字の落とし穴
アジア通貨危機の話に入る前に、まずは経常赤字についての注意点をおさえておきましょう。
経常収支に善悪という規範的な意味はなく、経常赤字がただちに問題になるわけではない。
経常収支が赤字に転じたからといって、偏に「赤字国の景気が悪くなった」とか「海外との貿易競争に敗北して損失を出した」と解釈するのは不適切。
というお話をしました。
ただし、持続可能な範疇を超えて、経常赤字が続いてしまうと話は変わってきます。
重要なのは「赤字 or 黒字」ではなく、程度問題ひいては構造問題です。
その国の経済規模に釣り合わないほど過剰に投資がされていたり、返すあてもないほど対外負債を抱えると、当然、経済は立ち行かなくなります。
ここで経常収支の基本について、おさらいしましょう。
マクロ経済学の世界では、経常収支は次のような恒等式から表現されます。
つまり、国内需要を国内供給で満たせなければ、海外に頼ることになります。これはモノでもお金でも同じことが言えます。
たとえば国内で消費されているモノが生産できなければ、海外から輸入することになります。
また、自国に有望な事業があるにも関わらず、国内の資金需要に応えるだけの貯蓄が不足していれば、海外に出資を募ることになります。
いずれにせよ、モノとお金の動きは表裏一体であるため、経常赤字とは海外からお金を借り入れることを意味します。
したがって、海外から経常赤字をファイナンスできる限り、経常不均衡が起きていても問題にはならないということです。換言すると、国際的な効率的資源配分の達成に向けて、異時点間の貿易がされた結果、経常赤字が生じることに過ぎません。
ここで鍵となってくるのが、国境を越えて自由な資本移動ができるかどうかです。
地球全体がまるで1つの国かのように、貯蓄と投資で補い合うイメージです。
赤字主体は必要な資金を調達できるし、黒字主体は余剰資金を活用して利子を得ることができます。
ところが、資本の移動が自由ということは、外国居住者にとって資金を引き上げるのも、貸し出しを拒否するのも意のままです。
経常赤字国が抱える債務が、返済可能なレベルでないと判断されれば、国外へ資本が流出してしまいます。
経常赤字国に対して疑念が生じれば、取り付け騒ぎ、貸し渋りが起こりうるのです。
さらに忘れてはならないのが、為替レートです。
理論上、経常赤字国の通貨は需給バランスによって安くなります。
海外に対してお金を受取るよりも支払いが多くなるので、自国通貨を売って外国通貨を買う動きが強まるからです。
さらに経済に対する信用を失って、自国通貨が暴落すれば、実質的に対外債務が膨らんでしまいます。
まさに悪夢です。
このように、国家間の自由な資本移動によって支えられる経常赤字には、信用リスクや流動性リスク、為替リスクがついてまわります。
■アジア通貨危機とは
アジア通貨危機とは、アジア諸国で広がった自国通貨の大幅な下落および金融危機です。1997年に顕在化し、1998年までに危機が広まりました。
被害が大きかったのは、東アジアの5カ国(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、韓国)です。
通貨価値が暴落すると同時に、あわせて約1000億ドルもの短期資本が国外へ流出するという事態に陥りました。
とりわけ韓国は、デフォルト寸前まで追い込まれます。
これらの国々はその高い経済成長率から”東アジアの奇跡”と称賛されていましたが、楽観ムードから一転、安定期は突如として終わりを告げました。
海外資本を取り込みながら輸出主導型で成長するという経済モデルに、限界があったからです。
■危機前夜のタイ
アジア通貨危機の火元となったのは、タイ王国でした。
タイでは1980年代末から高度経済成長路線を追求し、資本の自由化が推し進められていきました。
海外から進出してきた銀行も、タイの通貨であるバーツに投資対象としての魅力を感じていました。
その理由は、内外金利差と固定相場制です。
当時のアメリカの金利は5%前後であったのと比べて、タイの金利は12%という高金利でした。
たとえばアメリカで借りたお金を、タイで貸し出せば、それだけで毎年7%分の利鞘を稼ぐことができます。年利7%というのは、なんと10年経てば2倍になる計算です。
さらに「ドルペッグ制」といって、自国通貨の為替レートが対米ドルで、1ドル=25バーツに固定されるよう、通貨当局が介入していました。
1971年のニクソン・ショック以後、世界各国が金ドル本位制(固定相場制)から変動相場制に移行していった中、新興国は外資を呼び込むために固定相場制を維持していたのです。
したがって、事実上の固定相場制によって為替リスクが限定される中、相対的に高い金利収入が期待できたため、海外投資家にとっては妙味がありました。
1993年にBIBF(Bangkok International Banking Facilities)というオフショア市場が創設され、資本規制が撤廃されると、海外からは国家予算の十数倍ものお金が流れ込んできました。
ところが、実体経済の状況が芳しくなかったので、タイの通貨バーツは過大評価されているという声がありました。
というのも、1995年に輸出額の伸び率が頭打ちになり、1996年には-4.4%まで落ち込んでいました。
すでに1990年代に入ってからは、経常収支の赤字幅が拡大傾向にあり、同じく1996年には146億ドルの赤字を出していました。
実質GDP成長率も1995年に8.1%だったのが、1996年に5.7%へと急落。
アジア通貨危機が起きた前年の経済指標が、総じて芳しくなかったことが分かります。
タイの輸出が落ち込んだ背景には、両肩にならぶ2つ大国の存在がありました。
ドル高を容認した基軸通貨国の米国と、”世界の工場”として台頭した中国です。
当時のクリントン政権により、アメリカは「強いドル政策」を進めており、ドル高を許容するようになります。
1995年から財務長官を務めたルービン氏は、強いドルが国益につながると考えていました。自国通貨が高ければ、消費者は輸入品を安く享受できるし、対米投資も活発になります。
他方、ドル高が進むとそれに連動してバーツも高くなり、価格面でタイの輸出競争力が落ちてしまいました。
また、 アジアにおける国際分業体制でも、地殻変動が起きていました。
1992年頃から中国が改革開放政策を推進したことで、東南アジアに展開していた外資企業が、より人件費の安い中国へ生産拠点を移していたのです。
当時、第2次天安門事件から巻き起こった国際非難をかわすため、鄧小平氏は中国南部の経済特区を訪れた際の「南巡講話」で、改革開放政策を徹底することを明らかにしました。それ以降、経済特区を中心に、外国資本も含めた投資に火が付き、中国経済の急成長が始まります。
■ヘッジファンドと空売り
国内経済の実情から鑑みると、通貨の価値が高く評価されていたタイ。
そこに目を付けたのが、ヘッジファンドです。
私募により集めた資金を、市況に左右されない「絶対収益追求型」の投資スタイルで運用します。
彼らは90年代から、高度な数理モデルに裏打ちされた投資手法を武器に、金融のIT化とグローバル化の波を受けて、頭角を現しました。
普通の投資では”安い時に買って、高くなったら売る”ことで売買差益を狙いますね。
しかし、絶対収益を狙うヘッジファンドは、下げ相場でも利益を出せるような手法を用います。
”高い時に売って、安くなったら買い戻す”ことができれば、儲けるチャンスも倍に増えるのです。
では、なぜ売りから入れるのでしょうか。
これには「信用取引」と「先物取引」という2種類のやり方があります。
どちらも証拠金(担保)を差し出し、レバレッジをかけられる(自己資金の何倍ものお金を動かせる)ことができますが、両者はまったく別物です。
まず、信用取引から説明します。
たとえば、ある金融商品が将来的に値下がりすると考えた投資家は、金融機関から借りて市場で売却することができます。自分の手元にない金融商品を売ることから「空売り(ショート)」と呼ばれます。
借りたモノは返す必要があるため、決済期日までに買い戻すわけで、その時の価格が安いほど投資家の利益は大きくなります。
先物取引とは、将来の決められた期日に、現時点で指定された価格で売買する契約のことです。
こちらはデリバティブ(金融派生商品)の一種であり、よりバーチャルなお金のやり取りのイメージがあります。というのも売買で生じた差額のみを決済するので、売買の都度、現物を受け渡すことはないからです。
一方、信用取引は現物取引と同じ市場、同じ価格で取引されます。
さまざまな文献に目を通すと、信用取引(空売り)と先物取引の双方から、タイ・バーツは売りが殺到していました。
たとえば先物取引。
当時のヘッジファンドはバーツが実力に比べて、かなり割高の水準であることから、固定された為替レートを維持できないと踏んでいました。
そこでヘッジファンドはまず、数か月先に1ドル=25バーツの固定為替レートで売る先物契約を結びます。
つぎに決済日まで、バーツを売り浴びせて、切り下げに追い込みます。
もし1ドル=35バーツまで下落したら、ヘッジファンドは安値でバーツを買って、先物契約の高いレートで売ることができます。
このときヘッジファンドの手元に残った、差額である10バーツが、彼らの儲けになるわけです。
■悪夢の始まり
1997年5月14日。
この日を境に、ヘッジファンドが仕掛けるバーツの空売りが、本格化していきます。
早くも同年1月には"ヘッジファンドの帝王"ことジョージ・ソロス氏が、タイバーツなど東南アジアの通貨を空売りをしていました。
このソロス氏に追随する形で、他のヘッジファンドや投資銀行も群衆行動に加わっていったと言われています。
タイの中央銀行は1ドル=25バーツの固定相場を死守するために、外貨準備を切り崩しながら、バーツを買い支えました。
さらに、バーツのオーバーナイト借入れレートを3000%に引き上げるなど、非常手段も繰り出します。
一時的にバーツ売りが鳴りを潜めますが、史上最大の介入によって6月にはタイが保有する外貨はほとんど底をついていました。
中央銀行はヘッジファンドにドルを売る先物契約が積み上がっていたため、先物ベースでも外貨準備が失われていたのです。
6月末時点で外貨準備高は324億ドル(輸入の約7ヵ月分)と発表されていましたが、実際は先物契約が234億ドルあり、 利用可能な外貨準備は100億ドル程度。
外貨準備ドルが枯渇していた中、再びヘッジファンドによる売り攻勢が強まると、もはやタイの通貨当局に打てる手は残されていませんでした。
ついに7月2日に、タイ政府は変動相場制に移行する決定を下しました。事実上の敗北宣言です。
民間金融機関が大量の投機マネーを動かすことで、一国の金融市場を混乱に落とすことができる。その意味で、これは驚くべき経済事件でしょう。
タイがドルペッグ制を諦めると、バーツの暴落が始まりました。
7月末には1ドル=32.バーツまで急落し、翌年1月にはもとの半値(52バーツ)まで下がりました。
このように、バーツの投げ売りによって、それまで過大評価されてきた為替レートの歪みが耐え切れなくなり、一気に瓦解したのが本事件といえます。
尚、タイ国内でアジア通貨危機のことを、酸味のあるスープに喩えて「トムヤムクン危機」と呼ぶそうです。
※ただし、ヘッジ・ファンドは大手金融機関や機関投資家と比べて、資本規模やレバレッジも劣り、少ないスタッフ数では市場の監視するにも制約があるため、彼らによる通貨アタックの影響は限定的であったという指摘もあります。
加えて、直接の引き金は、タイ経済の先行きに懸念をもった海外投資家が、急速に短期資本を逃避したことだという見方もあります。海外居住者は現地の金融資産を売って得たバーツを、ドルと交換します。ドル建てで資金調達していた現地の借り手も、バーツを売ってドルを買い、そのドルで債務を返済しなければなりません。こうなるとドル買い・バーツ売りの向きが強まり、当局が何も手出ししなければ、自ずとバーツが減価してしまいます。
いずれにせよ、為替市場におけるバーツへの売り圧力がごく短期間で強まったことに変わりはありません。
経常収支の赤字が嵩み、固定相場制をとっていた他の新興国も、自国通貨の切り下げを余儀なくされていきました。
■通貨危機が残した爪痕
タイ経済は通貨危機によって、どれほどの悪影響を被ったのでしょうか。
自国通貨安による輸入物価の上昇などでインフレが高進し、急激な金融引き締めが行われると、経済成長率はマイナス圏まで落ち込みました。
1997年8月には、タイから国際通貨基金 (IMF) へ支援の要請があり、IMFや世銀、アジア開発銀行などから計172億米ドルの資金援助が決定しました。
IMF(国際通貨基金)とは、1944年7月に開催されたブレトン=ウッズ会議で、IBRD(いわゆる世界銀行)と共に発足が決まった枠組みです。
IBRDが「戦後の経済復興にむけて長期的資金を援助する機関として」、IMFは「為替相場の安定化を図るために短期的資金を供与する機関として」設立されました。(『12大事件でよむ現代金融入門』p.7)
ただし、IMFからの支援を受けるために、次のような条件(コンディショナリティ)がタイに課されました。
①経常収支の黒字化、②財政収支の黒字化、③インフレ率の抑制にむけた金融政策、④外貨準備の積み増し、⑤金融改革
IMFは教科書どおりに緊縮財政や金融の引締めを講じましたが、タイ経済はむしろ悪化しました。
企業の倒産やリストラが相次ぎ、失業者が増加。
銀行窓口には、市民が預金引き出しに殺到。
公共料金等が値上げされたあげく、歳出もカットされます。
おおよそ1996年に好況のピークを経て、1997年に通貨危機が起きた後、1998年に谷底を迎えました。
たとえば1996年の経常収支は約140億ドルの赤字でしたが、1998年になると一転、ほぼ同額の経常黒字を出すまでに変化しています。
対外債務の方も順調に減少していますが、GDP成長率はなんとマイナス7%台まで落ち込みました。リーマンショック時の日本がマイナス3.6%であったことからも、いかに深刻だったかが分かりますね。
とくに甚大だったのが株価指数で、9割近くまで暴落しており、バブル崩壊の様相を呈しています。
上記の数字からは、IMF主導の下、国内均衡を維持しようと痛みを伴う構造改革が行われた結果、急速に内需が萎んだことが伺えます。
タイで通貨危機が起きたあと、アジア各国に飛び火していくわけですが、その時の反省から、さまざまな対策が講じられています。
たとえばアジア各国は有事の備えとして、外貨準備高を積み上げてきました。
およそ20年間で、タイが377億ドルから1512億ドルまで、韓国は340億ドルから3631億ドルまで外貨準備を増やしました。
外貨準備とは為替介入以外に、もし外貨が入ってこない緊急事態になっても、エネルギーなど必要最低限の物資を輸入したり、短期資金の返済に充てられます。
貿易黒字かつ資本流入が盛んな時に、中央銀行が売り傾向にある外貨を買うことで、外貨準備として貯まっていきます。
加えて、IMFを補完するかたちで東アジア地域の国々が連携し、経済危機を未然に防ごうとする仕組みづくりが進めらています。
ある国で急激に資本が流出して、外貨支払いに支障を来す状況が生じると、危機の拡大を食い止める必要があります。
そこで2000年5月にタイで開催されたASEAN+日中韓の蔵相会議において、「チェンマイ・イニシアティブ」が成立し、外貨準備を多国間で迅速かつ円滑に融通し合えるようにしました。
実態は、自国通貨の暴落時でも既定のレートで外貨と交換できる、二国間における「通貨スワップ協定」であり、それが多数締結されたことでアジア域内を広くカバーするネットワークが構築されました。
■通貨危機国の共通点
先述のとおり、東アジア以外でも、南米地域やロシアなどの新興国で通貨危機が連発し、タイと同じ道を歩むことになります。
ロシアを除いて、当該国らは経常赤字が慢性化していましたが、原因はそれだけではありません。世界最大の経常赤字国がアメリカであることから察するとおり、ただ経常赤字のみを挙げて、通貨危機が招来されると騒ぐのは早計です。
通貨危機に苦しんだ国々では、
①経常赤字の拡大のほかにも、②固定相場制と③脆弱性を抱えた債務構造という共通点がありました。
要するに、持続不可能なかたちで海外から資金を借り入れると、それは格好の売り材料を用意したようなもので、通貨危機の発生リスクが相対的に高まることになります。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
経常赤字を安定的にファイナンスし、持続可能性を高めるためには、経常収支と表裏の関係にある金融収支の構成項目にも目を向けなければなりません。
特に③については、「ドル建てで短期資本を調達して、現地通貨の長期投資に充てる」という二重のミスマッチが起きていました。
●「満期ミスマッチ」
資本は、返済期限が1年未満の「短期資本」と、それ以上の「長期資本」に大別されます。
本来は、リスク許容度に応じて資金調達先と投資先を適切にマネジメントすべきでした。
ところが当時の新興国は、現地での設備投資やインフラ整備、工場の建設、企業の設立など、回収までに時間を要する長期投資に傾斜していました。
他方、短期で貸しつけられた資金は、回収スピードが速く、貸し手の都合に左右される”逃げ足の速い”資本でした。
対外借入は相対的に高い引き揚げリスクに晒されますが、それが短期であれば常にロールオーバー(借り換え)を継続しなければなりません。
●「通貨ミスマッチ」
現地の金融機関は、国際金融市場から外貨建てで借入れた資金を、国内企業に現地通貨建てで貸し付けていました。
もしドルで借り入れていた場合、現地通貨の対ドル相場が下落すれば、ドルを返済するために必要になる現地通貨の支払額が増えてしまいます。
対外債務が膨らんでしまい、返済に追われて経済成長に必要な投資が行えなくなれば、更に外貨の調達が困難になるという悪循環に陥る恐れもあります。
もし新興国で自国通貨での債券市場が発達し、長期かつ安定的なファイナンス手段がとられていたら、話は違っていたかもしれません。
たとえば日本の国債市場では、自国通貨建ての国債が、自国民の余剰資金によって安定的に消化されています。
また、長い目でみて継続的なキャッシュフローが期待できるのは、直接投資の「グリーンフィールド投資」でしょう。資金の出し手も腰を据えて投資に当たるため、一から土地の取得や、現地労働者の雇用に加えて、部材調達や販売網の開拓などが行われます。ちなみに直接投資には「ブラウンフィールド投資」というタイプもあり、こちらは既にある投資先の企業を買収するクロスボーダーM&Aを指しています。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
実は、アジア通貨危機のさなかに同じく投機売りが起きたものの、比較的穏やかだった国・地域があります。
それがシンガポール、台湾、香港です。
香港については、香港ドルの固定レートを守り抜いています。
当時、輸出主導型で目覚ましい経済成長を遂げていたことから、韓国も合わせて「4つの虎」とか「四小龍」と呼ばれていました。
なぜ韓国とはちがって、これらの国々には抵抗力があったのか。
それは通貨防衛の弾薬となる外貨準備が十分で、経常収支は黒字体質、実質GDP成長率も順調。さらに近隣地域に直接投資する対外債権国の立場にあったことが理由に挙げられています。
アジア通貨危機から20年以上が経っても、2018年にトルコのリラ、アルゼンチンのペソが、2019年にレバノンのポンドが通貨暴落に苦しみました。
直近では、2022年頃からエジプトのポンドが急落し、2024年3月になってもIMFからの支援と緊急利上げで対応に追われていました。
これらの国々で起きた通貨危機でも、経常赤字の拡大、対外債務の膨張、政情不安などのカントリーリスク、米国の利上げ、インフレ率の高騰などが引き金となっています。
■通貨危機の教訓
アジア通貨危機から学ぶべきことの一つは、
経済が発展途上にある国は、早い段階から資本移動の自由化をすべきでない。
ということでしょう。
国家がファイナンスする方法は、国債発行(国内外問わず債券市場から調達)、増税(税金の引き上げ)、対外収益(海外から外貨を稼いで輸入代金に充てる)、対外債務(海外から資本を輸入する)などが挙げられます。
このうち90's-00'sに通貨危機が起きた国々では、金融市場の門戸を開放して、対外債務に頼っていました。
しかしながら、忘れてはならないのが、外国投資家による資本流入の急停止(サドン・ストップ)です。短期資本のウエイトが大きい中、過剰に資本流入すれば返済が難しくなり、海外投資家からの信認が損なわれます。こうなれば資本の逆回転が起こり、投機売りが発生しやすくなります。
これが自由な資本移動に伴うリスクです。
加えて、固定為替制にすることにもリスクを伴います。
外国資本を呼び込むために自国通貨をドルに固定させていたため、ドル高が進むと自国通貨の為替レートも上がってしまいます。
また、ファンダメンタルズから乖離した為替レートには綻びが生じて、いつか耐えられなくなります。その結果、外国資本の出入りもコントロールできなければ、為替投機が発生して、結局は名目為替レートが乱高下する羽目になります。
なによりも、自由な資本移動と固定為替制を維持しようとすると、金融政策の独立性を犠牲にすることが分かっています。
というのも国際金融論では、国家が通貨政策を取る時に、①安定した為替相場、②自由な資本移動、③金融政策の独立性のうち、必ずどれか一つを諦めなければならない、という考え方があります。
この「国際金融のトリレンマ」に即して考ると、岩田規久男氏によれば、アジア通貨危機が起きた新興国は①②をとるために、③を手放したと言います。
ドルペッグなど固定相場制をとっている国々は、為替レートを調整するために、ドルに合わせて金利をコントロールしなければなりません。投資家が高い利回りを求めて資金を移動させることから、資本の流出入を防ぐために、金利差を一定に保つ必要があるからです。
つまるところ、変動相場制であろうが、固定相場制であろうが、基軸通貨ドルの影響からは逃れることはできないのです。
安定した為替相場をあきらめて、変動相場制に移行した後は、「経常収支の赤字国も国内均衡を優先して失業率を引き下げるような金融緩和政策を採用することができるようにな」りました。(『国際金融入門 新版』p.215)
変動相場制によって自国経済の状況に応じた、柔軟な金融政策が採れるということですね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
タイが経験した金融システムの混迷から、通貨危機というのは絶対に避けるべき事態ということが分かりました。
外貨準備が不十分で、自国通貨の暴落のために物資が満足に輸入できなくなれば、金融市場のみならず国民生活にも甚大な損害をもたらします。
「慢性的な経常赤字のリバランス過程には、痛みを伴う構造改革を強いられかねない」という教訓を覚えておきましょう。
■主要参考文献
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?