日本の国際収支 ~世界トップクラスの対外純資産が意味すること~
■はじめに
日本の国際収支についての報じられ方は、紋切り型の印象があります。
「デジタル赤字」を問題視してIT投資を喚起したり、対外純資産が世界一であると国威発揚に利用されるばかり。
情報の受け手である私たちも、横並びの論調に流されるままではないでしょうか。というのも、日常で庶民がやり取りする金額とは、あまりにスケールが違いすぎます。
これまで漠然としたイメージで語られてきた数字に、何の意味があるの考えていきましょう。
なお、日本の経常黒字については、↓の記事も合わせてご覧ください。
■グロスでみた日本の経常収支
産業の空洞化、輸入品の増加は「国内における雇用の受け皿がなくなってしまうのではないか」という懸念があります。
日本はもはや貿易黒字ではなく、貿易赤字に転じています。2011年頃から貿易赤字が定着し、2022年度は赤字幅が過去最大でした。
稼ぎ頭になっているのは、直接投資や証券投資をふくむ第一次所得収支です。
現在の日本は、過去に行った投資の”あがり”で稼いでいる債権国です。
この経常収支の構成変化から、しばしば「日本は貿易立国から投資立国に移行した」とも形容されます。
それだけ聞くと、国内の生産拠点が海外へ移り、「産業の空洞化」が進んでいる印象を受けます。
しかし、2023年の輸出額が過去最大であったように、グロスでみると100兆円超の規模を誇っています。
グロスの金額ベースで見れば、輸出が減った分、直接投資が増えたわけではなく、むしろ投資収益と輸出の双方で増加しています。
従って、貿易赤字の増幅をもって、産業の空洞化が進行し、雇用機会が奪われているとは言えません。
■キャッシュフローからみた日本の経常黒字
ただし、これをもって日本の国際収支構造に問題がないとは言い切れません。
統計上の数字だけではなく、実際のキャッシュフローを見るべきという意見もあります。
国際収支統計は、実際のモノやおカネの動きに忠実ではありません。
たとえば直接投資のうち、配当金として本国に送られなかった部分は「再投資収益」に計上されます。
この時、たとえ資金移動なくとも、統計上は国内にいったん戻され、改めて国外へ再投資される形になります。
統計上では、再投資収益として受取になったお金は、その分が経常黒字に貢献する。一方で、再投資収益として計上されたお金は、本国の親会社に帰属するのではなく、海外子会社の内部留保として存在する。
という風に、帳簿の数字と現実世界にはギャップがあるわけです。
ほかにも実際の資金の流れ(キャッシュフローベース)から経常収支を見つめ直すと、別の姿が浮かび上がってきます。
現地に残る「再投資収益」以外に、第一次所得収支には「証券投資収益」があります。ここで稼得された利子や配当金も同様に、複利効果を図って、外貨のまま再投資に回されている可能性が高いとされます。
このことから2022年の数字で、第一次所得収支黒字の7割弱が自国通貨に回帰してこない、という試算があります。
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ところで、2022年-2023年は歴史的な水準までに円安が進行しました。
「経常黒字は外貨の受け取りが多いことから、為替レートは円高に向かうだろう」という考え方からは説明できません。
唐鎌大輔氏は著書『仮面の黒字国』で、粘着質な円安の背景には内外金利差のほかにも、こうした「戻らぬ円」の存在があるのではないか、という議論を展開しています。
積極的に対外直接投資へ打って出ているのとは対照的に、日本の海外からの「対内直接投資」は、名目GDP比で5.4%(2022年末)と北朝鮮以上に低い状態にあります。この数字はOECD加盟国38ヶ国の中で最下位、UNCTAD統計で198カ国中でワースト3だそう。
熊本県のTSMCや、群馬県のコストコが地元平均より好待遇で求人を出したことからも、対内直接投資は雇用創出を期待できます。
また、純輸出の増加を通じてGDPを成長させるとともに、円安圧力が弱まることも効果もあるそうです。
実際のところ、世界でサプライチェーンの再編が進む中、日本政府は2030年に100兆円という目標を掲げて、対内直接投資を呼び込んでいます。
※ただし、中野剛志氏による「デフレで資金需要がなく、カネ余り状態にあるので、この対内直接投資を促進する必要などありません。にもかかわらず、この対内直接投資の少なさが市場の低さから市場の閉鎖性を示す証拠として喧伝され、資本市場の規制緩和が進められる可能性があるのです。」という批判もあります。
アイルランドのように、国内で発生した収益が、誘致した外資企業の本籍地にもっていかれる場合もあります。
■世界トップクラスの対外純資産が意味すること
一部のメディアからは、対外純資産が首位であることから「日本は世界一のお金持ち国家」であることがアピールされてきました。
ところが、2024年3月末にドイツに抜かれて、世界2位に転落したそう。
その前年には国内総生産(GDP)でも同国に準ずる、世界4位に後退しました。
ただ、私たちが気になるのは、国家間の相対的な順位などではないと思います。
「なぜ世界最大級の対外純資産というステイタスを誇っているわりに、一般庶民の暮らしぶりは良くならないのか」
という対外純資産という抽象的なモノサシが、生活の豊かさと乖離する理由ではないでしょうか。
その答えは、次の3点に集約されると考えます。
①平常時は、対外負債がないことの有難みを感じにくいから
②対外純資産は経常黒字と同じく、国内経済の豊かさを投影する鏡ではないから
③家計とは直接的に関係のない資産が多いから
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①平常時は、対外負債がないことの有難みを感じにくいから
そもそも対外純資産とは、対外資産と対外負債を相殺して残った部分を指します。つまり、対外資産に対して対外純資産が多ければ、対外負債は少なく済んでいるということです。
諸外国から負債の取り立てに怯える必要がないのは、日本国民にとって見えにくい恩恵であると言えます。海外の短期資本に依存していると、急速な引き上げが起きた際に、金融経済のみならず実体経済に大きな痛みをもたらすからです。
むしろ日本は債権を保有している側なので、債務国から利子や配当金を得ることができます。
また、仮に海外勢から日本円に売りが仕掛けられても、大量の外貨建て資産があるため、外貨売り/自国通貨買いという防衛策を講じられる余地が大きいはずです。
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②対外純資産は経常黒字と同じく、国内経済の豊かさを投影する鏡ではないから
では、対外純資産を別の側面から見てみましょう。
対外純資産とはストック(ある時点での残高)であり、フローである経常収支が積み重なった結果です。
国内経済がデフレ不況によって停滞し、経常収支が黒字であり続ければ、対外純資産も蓄積されることになります。
つまり、対外純資産として積み上げられたお金は、これまで日本人が貯蓄ばかりして投資をしなかったこと(貯蓄>投資)、国内で有効活用されなかった資本が海外に流出していることの証左とも言えます。
そこから推測されるのは、日本国内に期待収益率の高い投資機会が乏しく、企業が海外投資に向かったという残念な姿です。
これは先述の「戻らぬ円」問題にも繋がりますが、国内経済の期待が低く、海外で稼いだ利益が国内に還流しなければ、ますます日本経済の成長が描きにくくなることでしょう。
本来は国内における労働者の賃金や、設備投資、研究開発等の原資となるべき資金が海外市場に流れていった、とも捉えられます。
※ただし、対外直接投資が国内設備投資を代替して、国内における生産基盤の縮小をもたらすわけではないという見方もあります。
実際、対外資産負債残高の内訳をみてみると、とくに直接投資のアンバランスさが目立っています。ここからは海外からの対内直接投資が、対外直接投資よりもずっと低位であったことが伺えます。
ただ、負債側の「証券投資」が示すとおり、同じ投資といっても、株式や債券はそれなりに買われています。
国内居住者が発行した506兆円分にも上る証券が、外国人に保有されています。
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③家計とは直接的に関係のない資産が多いから
結局のところ、分配の問題に行き着きます。
例えば、国内経済をあらわすGDPの分配面において、雇用者報酬(労働者)と営業余剰・混合所得(企業)と純間接税(政府)の比率が分析されています。
国内にしろ国外にしろ、企業が利益を従業員に分配せずに、内部留保してしまうと、経済の好循環が回りません。
対外資産の内訳についても、同じようなことが言えます。
対外純資産は国内の居住者が保有していることは事実ですが、海外からの稼ぎがどの部門に配分されるかは、別の話になります。
というのも、対外純資産=家計貯蓄ではありません。対外純資産には、企業部門と公的部門(一般政府や中央銀行)の持ち分も含まれます。
部門ごとに資産の保有状況を知るためには、『部門別の金融資産・負債残高』など別の統計が必要になります。
対外資産負債残高の内訳から分かることは限られていますが、少なくとも外貨準備や直接投資の収益は、直接的に家計へ還元されることはありません。
たとえば「外貨準備」。通貨当局の管理下にあり、外国為替特別会計や日本銀行が保有する資産が計上されています。
目的は、国際収支のファイナンスや為替介入であるため、家計部門の都合に合わせて使えるものではありません。
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話は少しそれますが、外貨準備をもっと柔軟に運用してはどうか、という意見も出ています。
直近では、円安による物価高の対策として、“政府の埋蔵金”こと「外為特会」の活用が俎上に載せられていました。
外為特会(外国為替資金特別会計)は、外国為替相場の安定のために設けられたもの。
その仕組みとしては、為替介入にて取得した外貨を「資産」、円の調達のために発行した政府短期証券を「負債」として保有します。
資産側の利子収入を「歳入」、政府短期証券の利払いを「歳出」として計上し、歳入から歳出を引いた差額が、毎年度の剰余金となります。
この外為特会の剰余金である、米国債などの利子収入は、一般会計に繰り入れられています。
インカムゲインは財源になっているわけですが、キャピタルゲインを利用するとなると難しくなります。
外貨準備を売却して実現益にする必要がありますが、為替相場への不当な操作として認定される恐れがあるからです。
外貨準備を売却して円資産に換金できないという批判をかわすためか、国民民主党が出した、国民1人当たりに一律10万円の「インフレ手当」の財源は、外為特会の含み益でした。
当然、円高になれば評価損のリスクもあり、財務省は「そんな事例は過去にない」と一蹴。
ほかに考えられるのが、資源の輸入代金として外貨準備を使う方法です。
たとえば、石油会社がドル建てで燃料代を支払いをするシーンを思い浮かべてみましょう。
もし市場レートよりも有利な交換比率で、政府からドルを借り入れることができれば、石油会社は自国通貨安の影響を被ることなく、燃料を安く調達できます。
これは実質的に、燃料費の小売価格を下げることになり、外貨準備が含み益のまま消費者に還元されることになります。
■主要参考文献
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