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経常収支に勝ち負けはあるのか

米国ピーターソン国際経済研究所は、2018年に貿易赤字に関する世間一般にある認識の誤りについて指摘するレポートを発表した。
貿易赤字は「国家間の金銭の貸し借りそのもの」と指摘し、貿易黒字や赤字は単なる「勝ち」や「負け」ではないと主張する。
世界的な貿易戦争は、貿易の全般的な減少、インフレ、生産性の低下を引き起こし、全ての国を貧しくさせ、どの国も勝つことがないと主張する。

経済産業省『通商白書2019』 「コラム7 貿易赤字に関する誤解(米国のシンクタンクレポート)」第2部第2章第3節 貿易制限的措置の弊害

「エネルギー高により貿易赤字が膨らむことで、○○兆円の国富が流出している」と聞けば、日本の富が海外に収奪されているような印象を受けます。
しかし、企業の決算における論理を、国全体の経常収支にそのまま当てはめてよいのでしょうか。
本来、海外から物品サービスを輸入することによって、それだけ私たちの暮らしは豊かになっているとも言えます。
反対に、外資企業によって国内のリゾート地が買い占められても、お金を受け取ることになります。
経常収支とは、対外的なお金のやり取りの結果だけにフォーカスを当てているに過ぎません。
そのことを踏まれた上で、経常収支にどんな意味があるのかを再考します。


■トランプ旋風にみられた重商主義の復権

2016年に共和党政権が誕生すると、「貿易赤字は負けで、貿易黒字は勝ち」とする重商主義(貿易差額主義)的な考え方が幅を利かせるようになりました。
ドナルド・トランプ氏は自由貿易が失業を増やすという理由で、これまで築かれてきたグローバルな経済体制に待ったをかけます。

大統領自らが交渉手腕を発揮して、報復措置をちらつかせながら貿易不均衡の是正を迫る。ラストベルト(さび付いた工業地帯)の住民など、既存のエリート層から”忘れられた者”たちにとっては、さぞ力強いリーダーとして記憶されたことでしょう。

しかし、国家を運営することは、企業を経営するのとは訳が違います。優れたビジネスマンが剛腕を振るって、国を建て直すというストーリーはあまりに短絡的すぎました。

経常収支や為替レートは基本的にゼロサムであるため、当事者国が同じベクトルを向けば、摩擦は避けられません。
米中のように対立がエスカレートすれば、貿易戦争、通貨戦争、近隣窮乏政策という発想に行き着きます。
もし対立が先鋭化すれば、1970年代に起きた日米貿易摩擦によるジャパン・バッシングのように、お互いに負の国民感情をもたらし、政治上の問題にまで発展してしまいます。
保護主義によるブロック経済が先の大戦をまねく一因になった、という反省を忘れてはなりません。

Donald Trump official portrait

■黒字国の日本でも心配される経常赤字

日本はアメリカと違って、30年近く経常黒字が続いていますが、別の理由から経常赤字に危機感をもたれています。
それは、
少子高齢化は家計貯蓄を減少させるため、このまま経常黒字を維持するのは厳しい。
財政赤字のまま経常赤字になると、資金調達を海外に依存することになる。
というものです。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

日本の財政問題について「日本はギリシャと違って財政破綻しない。自国通貨建ての国債が、自国民によって消化されているからだ」という話をよく耳にします。
これは経常収支と財政収支の関係性から説明がされます。

経常収支が黒字のもとで財政赤字が積み上がっているパターンと、経常赤字と財政赤字とが並存しているパターンでは、話が大きく変わってきます。
というのも、後者のいわゆる「双子の赤字」状態になると、海外部門が国債を購入することで2つの赤字がファイナンスされることになります。
まさにソブリン危機を起こしたギリシャは、財政赤字のみならず経常赤字を抱えており、外的圧力から財政規律を求められる立場にありました。

経常収支=政府の財政収支+民間の貯蓄投資バランス」。
この恒等式から、日本の経常収支が黒字であるのは、民間部門の黒字が政府部門の赤字を上回っていると言えます。
換言すれば、日本は国内貯蓄でまかなえる範囲内でしか、財政赤字を増やしていません。

ところが、将来的に日本の経常収支が赤字に転じれば、それは国内の民間部門(家計+企業)がもつ余剰資金によって国債が購入しきれなくなり、海外投資家にも頼ることになる。
いまは経常黒字によって長期金利が抑え込まれているから問題になっていないが、財政に対する信任を失えば、シビアな外的圧力にさらされて政府の利払いが嵩んでしまうのではないか、という懸念があるわけです。

※だからといって「経常黒字をキープするために財政規律を引き締めるべきだ」とか反対に、「財政赤字から抜け出すために、経常黒字と民間貯蓄を促すべきだ」とは一概に言えません。
事後的に成立した恒等式は、左辺と右辺の間にある因果関係を示すことできず、改善の一般的方策を示すことはできないからです。
そもそも、財政黒字を政策上のターゲットにすべきか、という根本的な問がありますが、ここでは触れません。

引用:財務省『利払費と金利の推移』財政に関する資料

■経常収支に善悪はあるのか

そこで、次のような疑問が浮かんできます。
そもそも、貿易赤字あるいは経常赤字というのは絶対悪なのでしょうか。
逆に、経常収支が黒字であるのは、手放しに善いことだと言えるのでしょうか。

結論としては、経常収支そのものに善悪といった、規範的な意味を持つわけではありません。

円安をもって国力の低下とする、俗説はいまだに根強いものがあります。
しかし、為替レートを予想するのが困難を極めるように、内外金利差や投機的な動き、相場とは無関係な需給バランスなど、決定要因はさまざまです。

これと似たようなものに、貿易赤字や経常黒字の縮小というデータを切り出して「日本の稼ぐ力が低下している」という言説があります。
しかしながら、単に赤字・黒字という言葉の響きから「経常収支黒字=国益、競争力の向上」、 「経常収支赤字=国損、競争力の低下」と考えるのは短絡すぎではないでしょうか。

たしかに民間企業が黒字経営であれば、素直に儲かっていると言えるでしょう。
しかし、異なる性質をもつ政府部門を含んだ国家と、民間企業を同列で語ることはできません。
たとえ国=政府が”儲かった”として、公務員はサラリーマンのように給料が上がることはなく、誰かに配当金が出ることもない。
経常黒字の分だけ、日本人が外貨を稼げたとして、それが国民の所得増加につながるわけでもありません。

逆に、経常赤字に転じそうになった際も、いたずらに悲観することはありません。
それどころか無意味な緊縮財政に走ったり、各国が重商主義に傾いてしまう方が問題ではないでしょうか。
関税をかければ、消費者は負担が増すばかりか、選択肢が狭まります。
輸出競争力をつけために、むやみに通貨の切り下げをすれば、輸入コストを上昇させて国民に負担をかけることになります。
その上、海外による赤字のファイナンスを避けるという名目で、不景気のときに政府部門の赤字幅は縮小すれば、むしろ経済が停滞し、民間貯蓄が減ってしまう可能性もあります。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

余談ですが、「経常収支=稼ぐ力」という表現に違和感があるのは私だけでしょうか。
そもそも、"ウチの旦那の稼ぎ"と言うと、"収入"とか"年収○○円"とかを想定されると思います。輸出と輸入、受取額と支払額の差分を"稼ぎ"に当てはめるのは無理がないでしょうか。
家計のアナロジー使うならば、輸入はコストに加えて、消費にも相当します。たとえ収入が少なくとも、出費を切り詰めれば、家計は黒字にすることができます。
その意味で、「経常収支=貯める力」という喩えの方がしっくりきます。

■経常収支から一国の経済の良し悪しは分からない

1990年代はじめのバブル崩壊後から続いた、いわゆる失われた30年を振り返ってみましょう。
日本は1996年以降、経常黒字をキープしてきましたが、豊かになったどころか、経済の低迷に長らく苦められてきた記憶はありませんか。

そう、「国内の景況感」と「経常収支の符号」が揃うとは限らないのです。

理論的にも、対外黒字が必ずしも、国民に利益がつながるとは言えないことが分かっています。
経常収支とは「国内総生産−国内総需要「貯蓄−投資」で決まります。
たとえば、国内が好景気であることから、内需に生産が追い付かず、供給不足を補おうとすれば経常赤字になります。
逆に、国内が不景気で、内需が縮小して供給過剰になれば、経常黒字に転じます。
しばらくデフレが続き、民間部門が手元資金をため込んだ結果として、経常黒字にもなり得るのです。

経常黒字だとしてもデフレに陥っていれば、まずは国内の不景気をなんとかしなければなりません。
つまり、経常収支というのは単なる経済活動の結果に過ぎず、経常黒字そのものは政策目標にはなり得ない、ということです。

国によって経済状況が異なるため、「経常赤字は対GDP比で○○%以内にすべき」というような、経常収支それ自体に適正なレベルがあるわけではありません。
それよりも肝心なのは、経済成長率、失業率、物価水準などの指標でしょう。

■経常収支の不均衡から享受できる利点

理屈の上では、世界中の経常収支を足し合わせるとゼロになります。
すべての支出には出処があり、「誰かの出費は、誰かの収入」だからです。

国境を越えて経済取引がされる限り、経常収支が赤字になる国と、黒字になる国がある。ただ、それだけ。
たとえ帳簿のうえではゼロサムであっても、当事者国同士でプラスサム(互恵的)なやり取りができていれば、なんら問題はありません。

むしろ、ある程度の経常赤字を許容することで、良いこともあります。
その利点とは、経常黒字国から経常赤字国へお金を融通すること、つまり借金ができるということです。
難しい表現をすれば、「経常収支不均衡は各国の経済主体が異時点間の効用最大化を目指して、生涯所得を各期の消費に振り向けた結果生じるものと解釈することも可能」ということです。

これはどういうことでしょうか。

まずは借金をすることの意義を考えてみましょう。
たとえば、住宅ローン。もしも、お金を貯めてから家を買うとなると、ようやく夢のマイホームを手に入れる頃には、すっかり年老いてしまいます。
生涯にわたって住み続けることを考えれば、できるだけ早く家を購入できることに越したことはありません。
要するに、将来得られるはずの収入を先取りすることで、いまの所得以上に出費できるのが、借金の本源的な価値といえます。

異なる時点での資金を移動させる、金融取引というのは国家間でも成り立ちます。
ただし、自国内に限定した閉鎖経済では毎期の生産以上に消費ができません。資本移動が自由な開放経済であるからこそ、異時点間の取引ができます。
加えて、財サービスの流れと資本の流れは、表裏一体の関係にあります。
したがって、輸出する以上に輸入するということは、海外から借り入れることを意味します。

異時点間貿易とは、現在収入のない学生が、親から仕送りを受けて勉強 し、将来収入が得られるようになった時に 、収入の少なくなった親に仕送 りをするようなもの」という喩えから分かるとおり、各国のステージに応じて柔軟に資金を融通しあえれば、両国にとって望ましい選択の余地が生まれるでしょう。
その結果、適切なタイミングで消費あるいは投資ができるチャンスが巡ってくるわけです。

いまや経常黒字の常連国である日本も、戦後しばらくは経常赤字が続いたように、国によって経常赤字の時期があれば、経常黒字の時期もあります。
かつて経常黒字国に赤字ファイナンスをしてもらったからこそ、今の日本があると言えます。

この点でイメージしやすいのが、1957年に提唱されたクローサーの「国際収支の発展段階説」です。
財サービス貿易で稼いだお金を投資し、それが第一次所得収支としてプラスのリターンを得られると、債務国から債権国へ発展することなります。
※発展段階説には、貿易収支とサービス収支が同じ方向にあるわけでない、必ずしも6つの段階を不可逆的に踏むわけではない、という指摘もあります。

第Ⅰ-1-3-2-14表 国際収支発展段階説

経済成長の余地がある新興国は、一時的に債務を負ってでも有望な分野に投資をすべきです。
そのような経常赤字国が存在するからこそ、少子高齢化の進んだ先進国でも、これまで築きあげてきた資産を有効活用して稼ぐことができます。
このように世界には赤字主体でもよい国と、そこに資金を投じる黒字主体の
国があり、お互いが持ちつ持たれつつの関係にあります。

また、短期的に経常収支が赤字に転じたからといって、無駄遣いを粗探する事業仕分けや、資金の出し惜しみに走れば、かえって機会損失につながりかねません。
単年ベースの短期思考にはまり、企業が不採算部門を縮小するように、産業構造をリストラしようと考えるのはナンセンス。
もっと長期的なビジョンをもって、国内経済の実情に焦点を当てるべきでしょう。

以上のことを頭に入れて、経常収支の符号から勝ち負けを決めるような、皮相浅薄な思考に陥らないよう、気をつけていきましょう。

■主要参考文献

・岩本武和『Ⅲ 国際収支の調整 (Balance-of Payments Adjustments)』京都大学(2013)
・萩原景子『経常収支不均衡の調整過程:近年の理論的分析の展望』日本銀行金融研究所/金融研究(2008)
・松岡和人『異時点間貿易理論について』 四日市大学論集第3巻第2号(1991)
・奥田宏司『経常収支,財政収支の基本的な把握  ─「国民経済計算」的視点の意義と限界─』立命館国際研究(2013年10月)
・経済産業省『通商白書2017』第1部第1章第3節世界の主要国・地域別対外経済関係
・藤井英次『コア・テキスト 国際金融論 第2版』新世社(2013)
・中野剛志『TPP亡国論』集英社新書(2011)
・唐鎌大輔氏『仮面の黒字国』日経プレイミアムシリーズ(2024)

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