煙の詩。
こんにちは。
いつの間にか五月になって、
ゴールデンウィークも終わって、
平成から令和になってましたね。
わたしは相変わらず元気でした。
みなさんはどうお過ごしでしたか?
さて。
くりこさんとの共同マガジン「ペチカ」の時間です。
前回のくりこさんのnoteが、こちら。
むふふ。驚いてましたね。自分でもびっくりです。
でもね、なんかね、
「詩を書いてきて」なんて、勢いでとんでもない宿題出しちゃったんだけれど、
本当は詩って人に言われて書くものでもないですし、
詩に限らずnoteは書きたいときに、筆が進むときに書く、
と思っているから、くりこさんがちっともnote書いてくれないな、
ってのは、筆が進まないんだよなあって思っちゃって。少し、反省しました。
くりこさん、いや読者さんに嫌われる覚悟で言うとね、
わたし、じぶんが思っていることは
他人もそう感じているに違いないっていう変な過信があって。
そんなこと、絶対にないし、
みんな違うことが当たり前なのに、なんとなく
じぶんの好きな人は、じぶんと同じ感覚を持っているって、
思っちゃうの。
だからね、詩を書くことをしてこなかったくりこさんに、
いきなり何も言わずに書け、とか言っちゃってね、
裏切っちゃってね、ごめんなさいって思って。
なんか泣きそうになってきちゃった。ふー。
えっとね、くりこさんの詩、みなさん読みましたよね。
なんかね、あったかいの。ほんわりしているの。
くりこさんが詩を見せてくれたら、
どこがいいか、レトリック的に説明しようかなって思ったんだけど、
全然、できませんでした。書けって言っときながらね。へへ。
でもこれじゃね、記事になりませんから、
個人的にいいと思ったところをね、いいます。
まず、くりこさんの詩は、温度がちゃんとあります。
最初に「ペチカ、ペチカ。」と繰り返す。これは詩の技法でも
よく使われるものです。
その次に「わたしをあたためるもの。」とくる。
読者はその一節を読んだだけで、想像できます。
「ああ、この詩はあたたかいものでできているんだね」と。
その後に続く一節一節の流れも、見事です。
ふくらんだ気持ちがプラネタリウムになって
じぶんのなかに光があることに気づく。
集めた星を焚き口へ投げたら、
ぼっ!と火がよろこんだ。
この一節を読む人の視線が、
プラネタリウム→光→星→焚き口(暖炉)→火
と、上に向いていたのが、だんだんと下に向いて、
うつむく。
この視線の持っていき方が非常に自然で、かつ繊細です。
「火がよろこぶ」ことを知った「わたし」は、
「ちいさなきみ(=彼女)」に対して、優しく語りかけます。
うれしさもさみしさも、まるごとくべてしまおう、
熱エネルギーにはなんの感情もなく、ただ平和があるだけ。
そしてまた、「星(=じぶんの中の光)」が生まれていく。
それってさ、
酸いもあまいも全部全部じぶんの命そのものになるんだよね。
あったかいなあ。やさしいなあ。
…なんてね、くりこさんの詩を読むと、
変に専門家気取りしてしまって止まらないんです。
勝手に、「ちいさなきみ」はわたしなのかな、とか思ったりして。
好きだな、好きだな。
何回読んでも泣けちゃうんです、本当に。
本当に止まらなくなっちゃうので、感想の完全版みたいなのを
個人的にnoteで書きたいくらい。わはは。
温度感を文字で出すのって、けっこうむつかしかったりします。
くりこさん改め、ゴーストさんの詩は、ことばは、
体温みたいなものがこちらに伝わってきて、
じんわりじんわり、読者のこころもあたたまってゆく。
読後感も、いいよねえ。
「わたし」から、「わたしたち」になる、とかね。
もう、キリがないので、やめときますが。
えっと。
そう言った感じで、わたしもね、詩を書いたんです。
くりこさんのを読む前に書いたものもあるんだけどね、
これはもう負けてらんない(?)って思って、
まっさらにしてあたらしく書いたのです。
タイトルは、「まじわらない、という奇跡」です。
「ペチカ」という言葉から、わたしは暖炉から出る
煙や、煙突掃除屋さんを思い浮かべました。
そこから着想した詩です。
同じ言葉からスタートしても、人によって
まったく違う詩が生まれるのって、面白いよね。
それではどうぞ。
////
「まじわらない、という奇跡」
煙が、吹き抜けてゆく。
薪をくべた瞬間に えんとつの中を
走ってゆく まるでじぶん自身を風だと
信じきっているかのように
まっすぐ 前を向いて 空に 空に
当たり前のような顔をして
煙は外に出て
風と一緒に 歩いたり遊んだりした
そして気づく
じぶんは 風じゃないと
じぶんは 風にはなれない と
まっくろな煙と透明の風
正反対だ、きみはきれいだ
煙は 汚れている
わたしは きみとは違う と
こぼれない涙を 流して
**
風がきいた
あなたはどこからきたの
煙は
あの赤い屋根のお家からきた
おかあさんが焼いてくれた
わたしは パンと一緒に生まれて
パンは みんなによろこばれて
でもわたしは ゆらゆらと彷徨ったまま
わたしはゴースト みんな知らない
みんな 知らなくっていい
風は答えた
わたしは、生まれたところを知らない
もうずっと、気がついた時から
ひとりぽっちだった
だから、僕はきみがうらやましいよ と
そのとき。
煙はなにも言えなかった
そんな風に思われることなんて
思っていなかった
にごっている じぶんの姿 こころ
そのすべてを 愛したいと思った。
そして じぶんが生まれ落ちた時の
やわらかさにも似た熱を、煙は思い出した。
**
風と煙、決して交わらぬことはない
けれども けれども
煙は知っている
パンが焼けていくそのふくらみを
じわじわとあたたかさを身にまとうことを
そのよろこびを 多幸感を
風は知っている
自由に飛びまわるたのしさを
誰にもしばられない生き方を
世界中の友たちと一緒に、とびまわれることを
知っている ふたつの空気は知っている
まじわらずとも お互いを、愛を、
奇跡と呼ばれるものたちを。
////
はい。終わりました。笑
あの、わたしの詩ってかなりニュートラルというか、
あまり温度感がないなって個人的に思ってて。
なので、くりこさんの書いてくれたものと、
いい意味で反対になった気がします。
それにしても長くて読みにくいかもなあ。
まあ、いいか。詩は自由なんだもん。きっとね。
さーて。さてさて。
くりこさんが前回のペチカマガジンで盛大にネタバレ(?)
してくれた通り、
次回からはいよいよ「くりこさんとの対詩」!です。
再三言っているかもしれませんが、対詩について。
対詩とは、ふたりが3〜5行の詩を交互に書きつぎ、
ひとつの作品を作っていく詩のスタイルです。
(ナナロク社 HPより抜粋)
とっても参考になる本の一つに、
谷川俊太郎さんと覚和歌子さんの共著「対詩 2馬力」があります。
これ。とってもオススメの本です。
ふたりとも詩の書き方とか考え方が違うんだけど、
お互いに書いてゆくことで交じり合っていくというか。
面白いんだよねえ。奥が深いんだよねえ。詩。
あっしまった。この本くりこさんに貸してあげたらよかった。
タイトルで検索したら出てくるかも。
ちなみに出版社はわたしの大好きなナナロク社です。
(どうでもいい情報)
ああ、くりこさんとの対詩、楽しみだなあ。わくわくするな。
くりこさんも、みなさんも、
わくわくドキドキしてくれていたら、うれしい。
*
ペチカ、ペチカ。
薪も、光も、星も、命も、涙も、血も、
かなしさも、つめたさも、うれしさも、やわらかい何かも
ぜんぶ、わたしたちであたためるから。
わたしたち、瞼をふるわせて、じっと炎を見つめてゆくから。
ペチカ、ペチカ。
わたしたちをあたためるもの。
サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。