対詩をしました。
こんにちは。
ペチカ、ひさしぶりの更新です。担当は、こばやしです。
もうすぐ今年もおわりますが、みなさんお元気でしたか?
わたしは、仕事をやりながらすこしづつ元気を取り戻しています。
いろんなことがあったなあって思いながら、肩の荷をそっと下ろしたくなるような、そんな季節ですね。
さて。前回はくりこさんと対詩をやってみよう!ってところで終わりました。で、で、あのあと、対詩をやってみたんですね。
一日で対になる詩が書ける時もあれば、何ヶ月も間が空いてしまうときがあって。お返事がないときは、くりこさんはもう、ペチカのことはいいやって思ってしまったのかなあって、不安になってました。でも、ちゃんと詩はかえってきた。それがうれしくて、ほっとしました。
というわけで、早速!
今回は、あえて誰がどこまで書いたかわからないようにしてみました。
たっぷり長い詩になってます。
タイトルは「愛の光」です。(きゃー!)
「愛の光」
ながいながい髪が
はらりと
落ちて
下を向いた
まるで、
東京の街みたいだ
みんな
いつかはいなくなる
家に戻っていく
灯りがともる
わたしは、ここに、いる
それだけが、正しくて
それだけが、
わたしのいのちを暖める
*
ちょうど耳たぶにおさまる髪
羽を休めるようにくるり
ずっと同じ長さだったみたいに
君に会ったとき、
まだ髪はずっと長かったな
どうしてだろう
風が吹くと、ひやり
おでこが晴れる
100年後、
同じようにここに立つひとは
誰ひとりいないのだろう
きっとどの街にも
きみを育てた街を愛そう。
わたしの見知らぬ場所も
どんなときも、
心のコップを満たすのは、
わたしであり、きみだ。
*
いまをみつめること
季節がかわること
いまをみつめる瞳を信じること
うしろを向いても大丈夫なこと
髪も、みみたぶも、おでこも
きみのすべてがきみであるように
ここに存在していること
愛そう
ねえ だいじょうぶだよ。
*
さいしょに出会ったきみは
白樺の梢のように
清廉として
はかなく見えた
あれから半年以上が経つ
「ぜんぶ大丈夫だよ」
と冬の日におくったわたしに
この夏きみが反射した
大きくあたたかく
キャッチボールは愛
愛することは
無限にできる気がしてる
そうだ、いつだって
一輪の花を挿してくれるみたいに
きみの、夢みたいな
やさしさが
なにもかも知っているようで
なにもかも知らない顔をする
あなたが、あなたこそが
愛だった。
そうだ、花束をつくってよ
とびきり可憐で壮大な
それでいて無敵な
やわらかくしなやかな
花束を、わたしに、どうか。
*
花を抱えて立ち寄ると、
いつもちょうどいい陽だまりを
きみはつくって笑うんだ
わたしが傷ついて
泣いてたことも知った上で
花瓶に水を差してよろこぶ。
季節が変わるたび
きみだけに贈りたい花と出会う
花は愛を野暮にしないから
瑞々しくて、儚くて、
澄んだいのちを、
きみに。
どんな宝石より、
つぼみがまばゆく光っている。
*
花がある
花がある生活がある、
生活があるあなたがいる
夢みたいだな、
奇跡かもしれないな
いのちをとりこむこと
それこそが、
あなたを、わたしを肯定する
ただひとつの光です。
儚さも涙も慈愛もすべて抱えた、
混ざり混ざった愛の光です。
つぎの季節を思いながら
わたし、いのちの光をあつめるから。
詩は、ことばは、自由で素直です。半年かけて終わらせた対詩は、半年分のわたしたちの機微に触れられる、繊細でうつくしい宝物になりました。このぶぶんを書いたときは、こう思っていたんだよなあ、こう考えていたんだよなあって、相手のこと、手に取るようにわかる。ことばは生まれた瞬間、ことばとしていのちを全うする。自由さと素直さが重なり合って、鮮度の高い「作品」になる。
わたしはやっぱり、詩が好きです。改めてそう思わせてくれた対詩でした。
この一年、ふたりが「ほぼ日の塾」で出会ってから、わたしは復職をしたり、くりこさんは会社を辞めてフリーランスになったり、ほんとうにいろいろなことがありました。そんな激動の2019年も、もうおわり。
2020年が…ううん、これから先の人生なんてわからないけれど、わたしたち、生きることに素直になろうね。笑ったり泣いたりしようね。
くりこさんと、対詩ができてよかった。くりこさんも、そう思ってくれてるといいな。
じつは、2020年、新年早々くりこさんに会えるのです。けっこうひさしぶりなので、たのしみだなあ。
ペチカ、年内の更新はこれが最後です。(たぶんね)
みなさま、どうかよいお年をお過ごしください。
また来年お会いしましょうね〜。
こばやし
サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。