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対詩をしました。


こんにちは。
ペチカ、ひさしぶりの更新です。担当は、こばやしです。
もうすぐ今年もおわりますが、みなさんお元気でしたか?
わたしは、仕事をやりながらすこしづつ元気を取り戻しています。
いろんなことがあったなあって思いながら、肩の荷をそっと下ろしたくなるような、そんな季節ですね。

さて。前回はくりこさんと対詩をやってみよう!ってところで終わりました。で、で、あのあと、対詩をやってみたんですね。
一日で対になる詩が書ける時もあれば、何ヶ月も間が空いてしまうときがあって。お返事がないときは、くりこさんはもう、ペチカのことはいいやって思ってしまったのかなあって、不安になってました。でも、ちゃんと詩はかえってきた。それがうれしくて、ほっとしました。

というわけで、早速!
今回は、あえて誰がどこまで書いたかわからないようにしてみました。
たっぷり長い詩になってます。
タイトルは「愛の光」です。(きゃー!)


「愛の光」

ながいながい髪が
はらりと
落ちて
下を向いた

まるで、
東京の街みたいだ

みんな
いつかはいなくなる
家に戻っていく
灯りがともる

わたしは、ここに、いる
それだけが、正しくて
それだけが、
わたしのいのちを暖める



ちょうど耳たぶにおさまる髪
羽を休めるようにくるり
ずっと同じ長さだったみたいに

君に会ったとき、
まだ髪はずっと長かったな
どうしてだろう

風が吹くと、ひやり
おでこが晴れる

100年後、
同じようにここに立つひとは
誰ひとりいないのだろう
きっとどの街にも

きみを育てた街を愛そう。
わたしの見知らぬ場所も

どんなときも、
心のコップを満たすのは、
わたしであり、きみだ。



いまをみつめること
季節がかわること
いまをみつめる瞳を信じること
うしろを向いても大丈夫なこと
髪も、みみたぶも、おでこも
きみのすべてがきみであるように
ここに存在していること

愛そう

ねえ だいじょうぶだよ。



さいしょに出会ったきみは
白樺の梢のように
清廉として
はかなく見えた

あれから半年以上が経つ

「ぜんぶ大丈夫だよ」
と冬の日におくったわたしに
この夏きみが反射した
大きくあたたかく

キャッチボールは愛

愛することは
無限にできる気がしてる

そうだ、いつだって
一輪の花を挿してくれるみたいに
きみの、夢みたいな
やさしさが
なにもかも知っているようで
なにもかも知らない顔をする
あなたが、あなたこそが
愛だった。
そうだ、花束をつくってよ
とびきり可憐で壮大な
それでいて無敵な
やわらかくしなやかな
花束を、わたしに、どうか。



花を抱えて立ち寄ると、
いつもちょうどいい陽だまりを
きみはつくって笑うんだ

わたしが傷ついて
泣いてたことも知った上で
花瓶に水を差してよろこぶ。

季節が変わるたび
きみだけに贈りたい花と出会う

花は愛を野暮にしないから

瑞々しくて、儚くて、
澄んだいのちを、
きみに。

どんな宝石より、
つぼみがまばゆく光っている。





花がある
花がある生活がある、
生活があるあなたがいる

夢みたいだな、
奇跡かもしれないな

いのちをとりこむこと
それこそが、
あなたを、わたしを肯定する
ただひとつの光です。
儚さも涙も慈愛もすべて抱えた、
混ざり混ざった愛の光です。
つぎの季節を思いながら
わたし、いのちの光をあつめるから。

詩は、ことばは、自由で素直です。半年かけて終わらせた対詩は、半年分のわたしたちの機微に触れられる、繊細でうつくしい宝物になりました。このぶぶんを書いたときは、こう思っていたんだよなあ、こう考えていたんだよなあって、相手のこと、手に取るようにわかる。ことばは生まれた瞬間、ことばとしていのちを全うする。自由さと素直さが重なり合って、鮮度の高い「作品」になる。

わたしはやっぱり、詩が好きです。改めてそう思わせてくれた対詩でした。

この一年、ふたりが「ほぼ日の塾」で出会ってから、わたしは復職をしたり、くりこさんは会社を辞めてフリーランスになったり、ほんとうにいろいろなことがありました。そんな激動の2019年も、もうおわり。
2020年が…ううん、これから先の人生なんてわからないけれど、わたしたち、生きることに素直になろうね。笑ったり泣いたりしようね。

くりこさんと、対詩ができてよかった。くりこさんも、そう思ってくれてるといいな。


じつは、2020年、新年早々くりこさんに会えるのです。けっこうひさしぶりなので、たのしみだなあ。


ペチカ、年内の更新はこれが最後です。(たぶんね)
みなさま、どうかよいお年をお過ごしください。
また来年お会いしましょうね〜。


こばやし


サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。