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『アディクトを待ちながら』を観てきました

すごく久しぶりの更新になってしまいました。書き慣れないとなかなか継続的に記事を書き続けるのは難しいものですね。
今回は仕事のことではなく(とはいっても関連しているのですが)、映画を観た感想を残そうと思って言葉を綴っています。(ネタバレを含むのでご了承ください)

観た映画は『アディクトを待ちながら』です。X(旧Twitter)で見つけて、たまたま日程が空いてて、行った日がたまたま舞台挨拶のある日で…などいろいろなタイミングが重なって、良い時間を過ごすことができました。

大雑把な内容としては、
ある依存症の当事者グループがゴスペルのコンサートを開くことになる。そこに"スペシャルゲスト+ピアニスト"として、高知東生さんが演じる「薬物依存からの回復を歩む元スター歌手:大和遼」が参加。本番当日、大和が会場に来ない。開演を遅らせて大和を待つことにする。会場内では当事者側のさまざまな想いが渦巻き、彼らの背景と共に表現されていく。一方、外では雨の降る中で待たされている客たち(家族、ファン、マスコミ、YouTuberなど)が、おそらく多くの「一般人」がアディクトたちに抱くであろうリアルな感情(偏見、批判、無理解、寄り添い、応援、理解など)を次々と投げかけていく。最後の最後で大和が登場し、そこでのアディクトたちの反応、客の反応、それぞれに対する大和の反応が描かれていく。
といったもの。(ネタバレを極力さけるため、とても簡略化しています)

以下、率直な感想です。(ややネガティブなことも書いていますが、決して作品を悪く言う意図はありません)

全体的にはアディクト側は“キレイすぎる”と感じました。正当なアディクトの反応しか描かれていないなと。これはある種の“理想形”で、実際の現場ではこうはいかないなと思います。私が関わっていた現場を振り返っても、やはり「こんなきれいにはいかないな」と思います。なぜそう思うかは感想からそれてしまうので、詳細には書きませんが、現場には「本当の依存症」と「依存症のように見えるもの」がごちゃ混ぜになっているからです。本当の依存症だけが集まるグループならば、この映画のようにいろいろな想いが渦巻きながらも、確実に一歩一歩回復の道を進んでいけると思います。だから"理想形"であり、"キレイすぎる"と感じてしまいました。

一方、外で待つ客たちの表現はむしろリアルでした。外側の世界の人たちがアディクトたちに抱くであろうさまざまな印象が、みごとに詰まっていました。あの短い尺の中でいろいろな背景を抱えた人たちが抱くそれぞれの「アディクト像」をこうもたくさん表現させるかと、驚きました。脚本家が多様な視点を持っている証なのだと感じました。
とあるゴスペルメンバーの両親が来ているのですが、厳格な父親は母親に連れてこられてしぶしぶ来ています。待たされている客たちが「大和遼は再犯したから来ないのではないか」と騒ぎ出します。その騒動のあと、もしその父親に何か言わせるとしたらどんな言葉が出てくるだろうか?この脚本家はどんな父親像を表現するのだろうか?といろいろな想像ができました。これはカウンセラー目線ですが、もし父親のセリフがあったとしたら、そこにはおそらく脚本家の内面が投影されたのではないかと推測してしまいます。

最後のサプライズ演出があった2つのシーンについて。(会場内の最終シーンと外の最終シーンでは、どちらが先に撮影されたのかが分からないので、その順番によっては、役者さんたちの心の在り方は違っていたのかもしれません。そこは考慮しないで感じたことです)
会場内のシーン。アドリブだからこそ、3人の役者さんがそれぞれ、どのような親子観=「あるべき親子の姿」を持っているのかが、ストレートに表れていると感じました。一見すると、大和遼、センセイ、幸生(センセイの息子)の3人の思惑はアドリブの中で上手く噛み合っているように見えます。しかし、深いところでは気持ちはズレていることも感じられます。そのズレが結果的にリアリティに繋がり、アディクトたちを取り巻く現実が、悲しさやつらさや悔しさなどと共に伝わってきます。
そして、外のシーン。雨の中を長時間待たされた客たちの前で、待たせた張本人である大和遼がお詫びの言葉を述べます(ここまでは台本あり)。そこに向けられるもう一つのサプライズ演出です。ここでは大和遼というよりも、高知東生さんご自身が「今の自分がどうありたいか」をありのままに語り、そして「社会がアディクトたちをどう見てほしいか」を願う気持ちが素直に表現されていしました。依存症のことを知っている人にはもちろんのこと、知らない人にとっても、非常にメッセージ性の高いエンディングになったと感じました。

総じて、とても心に残る、興味深い作品でした。何かの奇跡的な機会に恵まれたら、監督・脚本のナカムラサヤカさんと「ナカムラさんがどのような目線でこの世界を見ているのか」みたいなことをテーマに、一度お会いして語り合ってみたいなと思いました。職業からくるシンプルな興味関心です。

最後に、アディクションの世界は、やはりその子ども側の様子が描かれないのだなと改めて感じました。この映画では少し登場しますが、ごく僅かな部分しか表現されていません。アディクトの子どもたちのリアルが表現されるようになることを切に願います。

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