武器教練 Wapenhandelinghe ~「ドリル」の起源ともいわれる近代軍事マニュアルの萌芽
ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン七世の監修のもと、画家ヤーコプ・デ・ヘインが版画を制作し、1607年に刊行された “Wapenhandelinghe” 『武器教練』。ここでは「ナッサウ伯の軍制改革」の集大成ともいうべき、歩兵の軍事訓練マニュアルをご紹介します。この時代の軍制改革に興味があるなら、必携の書。というか絵本。
中身は当時の司令官たちがこぞって入手し、実際に兵たちにこれを用いて訓練したそのものの内容です。火縄銃・マスケット銃・パイク(長槍)の3種類の武器の使い方が、順を追って載っています。
オリジナルの記事はこちら。オリジナル記事には書評や別の武器教練についても記載しています。
ヤーコプ・デ・ヘインの『武器教練』
冒頭にリンクを挙げた1608年版の表紙(連邦共和国の紋章とマウリッツの個人紋章入り)がいちばん有名なものですが、こちらは同じオランダ語版でもやや装丁が違います。出版年が1年早いので、こちらがオリジナルかもしれません。彩色版は手彩色とのことなので相当な高級品ですね。
ヤーコプ・デ・ヘインの『武器教練』(1607)は、正式な名称は『オランイェ公にしてナッサウ伯、ヘルデルラント・ホラント・ゼーラント・ユトレヒト・オーフェルエイセル等の州総督にして陸海軍総司令官マウリッツ閣下の命による火縄銃・マスケット銃・長槍の武器教練』といい、ナッサウ伯マウリッツに対し献呈されたものです。表紙にはマウリッツの個人紋章だけではなくオランダ共和国七州(表題にはないフリースラント・フロニンゲンも含む)の紋章も描かれていて、オランダ由来とのイメージが強いです。
この操典のもとは、1599年頃ヨハン七世が手ずから描いたスケッチです。それを、ヨハン七世が知り合いの版画家であるデ・ヘインをマウリッツに紹介して、出版用に編纂しました。スケッチの描かれた1599年頃には、オランダでも既にこのような教練が導入されてから10年近く経っていますから、自分たちで使用するためというにはあまりに時期が遅く、最初から拡散目的での出版と思われます。オランダやマウリッツの名前を前面に押し出したのは、「ニーウポールトの戦い(1600)」をはじめとして、その効果が派手に出ていたというネームバリュー(ある種のブランドマーケティング)によるものでしょう。
『武器教練』の各国版
このデ・ヘインの教練書の出版ののち、その各国語訳も含め、次々と類似の教練書が出回るようになりました。
当時オリジナルが刊行されるとすぐに、表紙と命令文言が各国語版に訳されて普及しました。ここでは英語版とフランス語版を挙げています。オランダ七州を表していた中央の紋章が、英国王の紋章と仏国王の紋章に変わっています。表紙のフォントが違っているほか、色味も国に合わせてあり、天使の描き方もそれぞれ微妙に違うような。
中身のカラー版サンプルを3枚ほど。
「マニュアル」なので、出版の第一の目的はもちろん武器の使い方です。加えて後世の我々からすると、当時の服装や武器などの装備を参照するにも非常に有用な史料といえます。この117枚の版画は、それぞれ別人をモデルに描いています。少なくとも同じ人物の連続ポーズではなく、新兵から古参兵まで、着ているものや持ち物もそれぞれ少しずつ違うので、そのバリエーションを楽しむことができます。実物の兵士たちが本当にこれだけカラフルなものを着ていたかはわかりませんが、やはり彩色版のほうが見ていて楽しいですね。
リンク
Google Books(1608年版)
Wikimedia(1607年版)