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話しかけられるという脅威について
移動の多い仕事柄、住む場所といえば初期費用も家具購入も必要のない場所を選ぶようにしている。
そうなると自然と選択肢がシェアハウスとなるのだが、シェアハウスはいい。初期費用はかからないし、家具はそろっているし、人間がたくさんいることによって空き巣や霊の恐怖からも逃れることができる。キレイ好きの人は他人が汚したものを見るや否や発狂しだすが、そこまで神経質でない人間にとっては、互いに干渉しえない距離感は恋人や友人と暮らすよりもはるかに気楽である。
だが、他者との生活において不愉快なことが「ひとつ」だけあった。
それは『話しかけられる』ことだ。
家の人間と遭遇すると、必ずといっていいほど話しかけられる。ひとり料理を楽しんでいる最中にエイヤサッサと他者が来て「○×%&$…」と話しだす。とても恐ろしい。
なぜ彼等は人に話しかけるのか。話す目的はなんなのか。なんのために話すのか。他人に話しかけるのにエネルギーは必要ないのか…………………、など、さまざま疑問が頭に浮かぶ。
おそらく彼らはそんなことつゆも考えておらず、『目の前に人間がいた』という事実だけで『話す』というアクションフックが実行されているようだ。
なぜそのようなリターンが走るのか。
まず前提として、彼らは何ごともなく人と話すのが好きそうだ。人と話すことだけでなく、『人』そのものが好きそうだ。『人』そのものが好きなのであるから、おそらくちょっとした理由で特定の誰かを嫌いになることもあるだろう。(ここは妄想である)
自分はというと、もちろん『人』が好きではないので、「人が大好きなんです!」と言わんばかりに歯をむきだしにし、常に誰かと会話しているような人間とは当然相性が合わない。
しかしながら、腹が減ったとキッチンに降りていくと、たいていは誰かが現れて、なにかを話そうとしてくる。(ああ、こんなにも人がいない時間帯を狙って降りているのに!)
こちらが全力で『話しかけてくれるな』オーラを放っていようが、彼らはお構いなし。
いま話かけてもなの大丈夫なのだろうか・・・
そもそもこの人は話したい人間なのだろうか・・・
常にこのようなことを考え、徹底的に推理し、感性を研ぎ澄まして他者を見つめよ…と言っているわではないが、「話したくなさそうな人間に話しかけるのはマナー違反なのでやめようね。」こういった観念が、この世にもう少しだけ認知されればいいのになぁ…。と、ちょっとだけ願っている。
最期に「The Sound of Silence(Simon & Garfunkel)」より抜粋したリリックをシェア:
❝ And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing song that voices never share
And no one dared disturb the sound of silence❞