ファッションも料理も「たて」が大切
10年ほど前に読んだ大草直子著『おしゃれの手抜き』の一文が記憶にある。
洗いたて、おろしたて。「たて」を大事にする。
料理にも当てはまりそう。1人または対象者の有無で食事スタイルは変化する。どのケースでもわざわざ「今日はまっずい料理を作るのだ!」と燃える人は極少数だと推察する。
前述のファッションに当てはめると、ヨレヨレの汚れた服を着ると心象が悪くなる。ところが服のシワを伸ばす、ブラシをかける、シミを取るなどの準備をすることで清潔感につながり、相手へのよきメッセージに変わる。
料理はできれば「おいしく」「きれいな盛りつけで」「できたて」を食べて欲しいし、食べたい。切望しないまでもそこそこは期待するのではないか。
それらを実現するには、準備はもちろん思いやりが必要。ファッションも料理も似ている。
前職は帰宅時間がバラバラで、家族と夕食をともにした記憶がない。単なる記憶喪失かもしれないが、ウィークデーの夕食光景が浮かんでこない。冷めた食事は当たり前で、不平不満すらなく「こんなもん」程度でなんとも思わなくて、その不感症こそが今から思うと問題である。家族はもっと味気なかっただろう。
今は毎日会話しながら、多少難ありでも温かい(冷たい)料理を食べられる。幸せだ。時間を見計らって仕上げるのは「たて」を求めるから。これが相手へのメッセージであり、思いやりだろう。
炊きたて、揚げたて、焼きたて、しぼりたて。
料理にはいろいろな「たて」がある。
毎回の「たて」は難しくても料理は相手(自分)を思うことなのだから、残りの人生であと何回食事ができるかわからないからこそ、まだ知らない「おいしい」を求めながら楽しく愉快に「たて」を味わいたい。