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二級酒でも大吟醸の味がする。

オーディオブック(audible)を毎日聴いている。
普段は選ばない本や興味があって試しに聴いてみたい本まで、さまざまなジャンルを読み聞かせ感覚で楽しむ。

オーディオブック+家事の同時進行は思わぬ福音をもたらす。いいペースで作業が進むのだ。掃除機と炒め物以外は大体聞こえるので、流しっぱなしが多い。



小説とエッセイは食にまつわる場面が多々出現するから、耳が瞬時に反応して「おいしい」と喜ぶ。
数字や単語はきっぱり忘れるのに、琴線に触れるフレーズはリフレインして頭に胸に刻み込まれる。

ぶつ切りよりも「つながり」は記憶が生き延びる。イメージしてつなげるって効果大だと思う。

(ただし、ソーセージを思い浮かべたのは単なる食い意地のせい↓)

ソーセージも記憶もつなげてなんぼ。
(モクモク直販サイト様からお借りしました)




さて、直近の耳読で記憶に残った場面↓

主人公の医師(イチ)が患者の看取り後に気持ちの整理がつかない。そんな時に妻(ハル)がかけた言葉に心がほどける。

「……どうかしましたか、イチさん」
黙っている私を案じた細君が言った。
「また誰か亡くなったのですか?」
あいかわらずの慧眼である。思わず苦笑する。

「ハルはすごいな」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ではある。ただ、これが仕事と分かっていても、なかなか心の落ち着く先が見つからぬ。こういう時は、例のごとく九兵衛で美酒をかたむけてから帰るのがよいかと思ってな……」
「私もご一緒しても良いでしょうか?」
やさしい声である。

「そうしてもらえるとありがたい。ハルと飲む酒は、二級酒でも大吟醸の味がする

夏川草介著『神様のカルテ』
4travel.jpより引用



小説の一節とはいえ、うらやましい。
寄り添う人と場所と味。密接なつながりを感じる。
こんな風にしみじみとした情感がほとばしる飲食の場面に一度は身を置いてみたい。

わたしの場合は、お互いにしゃべり倒して「これ、おいすぃい〜!」と明るく勢いよくテンションぶち上げの場面が大多数だ。

一方で、置かれた状況に揺さぶられてゆっくり味わえない残念な場面も走馬灯のように次々と現れた。

お別れ間近のランチは悲しくてせつなくて味わいがボケた。
仕事絡みのランチは気になって味わえない。
団体行動は時間が気になって味どころではない。


椎名誠著『全日本食えばわかる図鑑』に、
「ハバツ課長のカレイ煮定食」という話がある。
ストーリーは失念したが、派閥に翻弄されるサラリーマン課長の悲しみに満ちたランチタイムについてだったかな。(かなり薄ぼんやりの記憶で失礼します)

あるあるかもしれない。食は喜びだけではなく悲しみにも満ちている。でも、今のわたしには派閥も昼食の気遣いもない。




飲食にはいろいろなシチュエーションがある。

心情はもちろん人や置かれた環境で、どうも隠し味があるようだ。

「二級酒でも大吟醸の味がする」
そんな風にいわれる人がうらやましい。

ソーバーキュリアス(Sober Curious)であっても、その時が来たら喜んで二級酒を舐めるだろう。


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