アイスコーヒーとキャベツの思い出に浸る日
大人になってからは、たとえ嗜好に合わない食べ物に出くわしても場を荒らさずに、あきらめと自制心を発動してすり抜けてきました。
しかし、子どもはあからさまで正直です。好き嫌いがはっきりしていて、もっとくれくれ、食べたくなければ鬼の形相で拒否権行使に走ります。それがいつの間にスルーできるようになったのか。
最近よく脳裏に浮かぶのが祖父母との思い出。
なぜかしょっぱくなる記憶を記録します。
◽️じいちゃんとアイスコーヒー
水筒よりも「タンブラー」っていった方がオシャレに聞こえるね。じいちゃん知ってた?
違いがよくわからないんだけど、わたしが毎日使うのは水筒だ。密閉できて温度の変化が少ないの。だから猛暑でも冷たく飲めるんだ。
あのアイスコーヒーには何を溶かしていたの?
子どもだから薄く甘く配合してくれたんだね。
おいしくておいしくて、おかわり自由で、おねえちゃんと一緒に7杯飲んだのをよく覚えてる。
じいちゃんお手製のアイスコーヒー。
きっと私たちはじいちゃんが飲んでるのを見て欲しがったんだね。子どもに飲ませてよかったの?お母さんには内緒だったよね?わたしは黙っていたよ。
じいちゃんは孫から見ても物知りで字がきれいでかっこよかった。もうひとつ、アイスコーヒー作りが上手だった。お客さんに出すみたいにインスタントコーヒーで丁寧に作ってくれたね。
今もずっとコーヒーが好き。
じいちゃん仕込みの「ベロメーター」だよ。
コーヒーの苦味には強かったみたい。
そうそう、大切なことを忘れてた。
アイスコーヒーって別名があるの。
「コールドブリュー」だって。
でもね、こちらはコーヒー豆を水に入れてエキスを出すらしい。インスタントコーヒーとは違う方法で作るんだって。じいちゃんに飲ませてあげたいな。
「わしのコーヒーがうまい!」っていうかもね。
実はじいちゃんのアイスコーヒーを超えるものにまだ出会っていないんだ。田舎の大きな家のじいちゃんの部屋で飲むコーヒーは、大人になったみたいでカッコよかった。
また飲んでみたいけど、あの家はなくなったし、じいちゃんはいないし、永遠に飲めない。
◽️ばあちゃんとキャベツ
まんまとだまされたと思った。少し怒った。
ばあちゃんはちっとも悪くないのに。
その日は「今日のご飯は何?」から始まった。
「かんらん」とばあちゃんはひと言つぶやいた。
わたしは無邪気に姉の元へかけ寄り、「〇〇ねえちゃん、今日のご飯は『かんらん』だって!」と手柄を取ったように報告した。姉がほくそえんだように見えた。
しかし現実は厳しい。
ばあちゃんと3人で囲んだ食卓を見下ろすと、ちゃぶ台にキャベツの煮物がある。
「あれ?『かんらん』は?」
そもそもわたしは「かんらん」が何者か知らないのだ。
「ばあちゃん、これ『かんらん』じゃない!キャベツ!」の訴えに、ばあちゃんは顔色ひとつ変えず静かにいった。
「これが『かんらん』じゃ。」
姉もわたしも同時にうなだれた。
希望が絶望に変わる瞬間だ。
「かんらん=キャベツ」どこの小学校低学年や幼稚園児が知っているか!
即座に現実へと戻り、「たしか昨日も『かんらん』を食べた」と冷静に振り返りながら腹を決めて箸を取り、「かんらん」の煮物を腹におさめた。
ばあちゃんへのオマージュで、今日は「かんらん(甘藍)の麹蒸し」
加熱したらクタクタで驚くほど量が減った。
ばあちゃんに食べさせてあげたいな。
「青菜は男に見せな」
ばあちゃんから教わったことわざだと母から聞いている。疑われないように気をつけねば。
◽️じいちゃん+ばあちゃん
じいちゃんのちょっと山っ気のあるファンキーなところ、ばあちゃんの絶望的方向音痴をDNAでいただいた。生まれてからずっと大切に可愛がってくれてありがとう。ありがとう。ありがとう。
お二人の娘さんと暮らしています。
お互いに最後の日まで仲よく楽しく、時々思い出しながら生きてみます。
また会いましょう。
その時は「アイスコーヒー」と「かんらん」を持って行くからね。