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昔の画像で出ています。
ひと昔前は料理やお菓子パンづくりにおいて、nice taste+そこそこの見た目をめざしていました。
少なくとも今のわたしからはかけ離れていて、不器用は当時から変わらないにしても丁寧に作ろうとする気持ちはあったのです。実力以上のレシピへの挑戦も時々はしていたように思います。
ようやく心身共に余裕が生まれましたが、肉体改造(贅肉を締めたい)からの調理離れ、特にスイーツとはほぼ絶縁状態になり、ようやく今年に入って時々ですが作り始めました。
そこでガクブル。どうも過去との乖離が激しいみたいなのです。
「昔の名前で出ています」
調べてみると昭和50年代に流行った曲で、小林旭さんが歌っています。ご存知ですか?
ある女性が名前を変えて転々としながら(京都、神戸、横浜)、恋しい人に「昔の名前で(酒場に)出ているから探してください待っています」と伝えるせつない歌。
ちなみに京都「忍」、神戸「渚」と名前を変えてきたけれど、今はあなたが知っている名前(横浜「ひろみ」)で出ていると。
昔の曲は抜群に歌詞がいい。行間を読ませるし、わかりやすくて歌いやすそう。曲名はドラマチックで想像をかき立てます。
noteも同じで、ファーストインプレッションはタイトルですものね。曲名、タイトルは命かも。
「昔の画像で出ています」
久々にパソコンの画像を見ると、十数年前のレトロ画像が現れた。
最近はかなりの確率で記憶が飛ぶのに、なぜか次々と思い出す。「これはあれで、それはこれで」
名前をいえ、名前を。
自分にしかわからない苦楽があふれてる。次々とよみがえる。これが振り返りなの?
老境を語るにはまだまだ早い気はするけれど、轍の距離は長かった。歳は嘘をつかなかった。
いざnoteを書いてみると、かの日々がベースになっているのは間違いなくて、肯定も否定もする必要はなくそのまま受け止めています。
たまに過去を思い出しつつ、1週間、1ヶ月、半年、1年、3年、5年、10年先となるべく大きく先を考えるトレーニング中。あまりにせせこましく場当たりで考えずに過ごしてきた反省からです。
過去も未来も「今どう生きるか」にかかってる。
◻️密造今昔
その昔↓
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パン教室で「バタートップ」の意味を知る。
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4層?しかもパイ生地ベースなんて今は作れない。
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それなりに取り組んだ形跡はある。
時を経て近年↓
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型にくっつき、生地は溢れて焼けムラ発生。ごめん
緊張感がなさ過ぎる。哀れ。
結果のイメージがないと見事にこうなる。
今後のテーマは食における「緊張と緩和」
いい具合のブレンドで楽しみたいのですが、どうしても緊張感がないので時にはカンフル剤を打ち込まないといけない。第二のくまちゃんうさちゃんを作らないために。