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目には見えないもの
God is a concept by which we measure our pain.
1970年に発表されたJohn Lennonのアルバム「ジョンの魂」のなかの、”God”の冒頭の一節。
赤ちゃんは鳥が運んでくるの?
神様はどこにいるの?
そうやって、母を困らせたことを今でも鮮明に覚えている。
Johnの歌詞は別として、不思議なものに対する直感やひらめきがあったとしても、分からないものとして置き去りにしてきたと思う。
通り過ぎる風景として捉えていたし、しかし一方でそういう書籍、たとえば立花隆の「臨死体験」などを読んだこともある。
無視してきたわけでもなく、不明なものとして神聖視していたのかもしれない。
8年くらい前に不思議なことがあった。
当時、娘たちは目黒に住んでいて、時々僕たちは大分市から遊びに出かけた。
何日目かの午後、出かける筈もなく、お店に入る訳でもなく、偶然に立ち寄ったコンビニにそれはあった。
しかも一番前に置かれていた。
僕たち夫婦の名前の入ったコーラの壜が並んでいた。
偶然のできごとにしては、あり得ないことだった。
時は過ぎて、数ヶ月前にそのことを思い出した。
そこに畏怖に似たようなものを覚えた。
気づくのに相当な時間を要した。
あれは僕が大好きだった義父のご褒美のメッセージだったのだろうか。
そういう尺度でいろいろ考えてみると、生死に関わる体験や不思議なことがあった。
谷川岳での数百メートルの滑落からの生還、交通事故の回避等々。
以前、リサ・ランドール博士の「ワープする宇宙」を読んだ。
難解な本だったが、とても興味深く、三浦梅園と似ているとも思った。
素粒子まで突き詰めると、物質はどうなのか、宇宙はどうなのか。
興味は尽きないが、僕は宇宙の前の一粒の生物に過ぎない。
妻と話しながら、自然への謙虚な気持ちが湧き上がると同時に、人間は何も分かっていないことが分かったのだ。
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