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吃音症だった話

人間誰でも辛い過去がある。

私も今は営業マンとして一人前になったが、過去、吃音症を抱えていた。

今では信じられないくらいに克服した。
当時は本当に、30年生きてきた中で1番じゃないかってくらい辛かった。

思い返したくないが、吃音症を抱えていて辛い人に届くことを願い、この記事を書こうと思う。


あれは小学校2〜3年生の頃、国語の授業で音読があった。
1行読んだら次の人、読んだら次の人、とまわって行く。

ドキドキしながら教科書をめくり、次か次かと待っていた。

俺の番だ。


ただでさえ緊張する場面なのに、1人で音読し、俺の声を教室中の人が聞いている。
そう思ってからは、もうその状況に飲まれていた。
声が出ない。出たとしても、1文字目が何回も出てしまう。


たとえば「走れメロス」であれば、冒頭に「メロスは激怒した。」から始まるが、

「めめめめめメロスは、げげげげげげきき、きどした。」
といった感じだ。

周りからみたら、普通に喋れてない、緊張しすぎだと思うだろう。

違う。

本人はいたって真剣だ。もっと上手く音読をしたい。でもどうしてもダメ。
噛むとはまた違う、言葉が出ないのだ。


吃音症とはこんな症状だ。
言語障害などとも言われている。
治し方は悲しいことにないらしいが、私もそれに向き合い、そして克服した人間の1人だ。


先ほど小学生のときのエピソードだが、中学生になってもその症状は続いた。
もう一生続くんだなと、悲しくて悔しくて何度も泣いた時期。

ずっと野球をやっていたのだが、試合中の何気ない声は問題なく出せる。

しかし、吃音症を持っている人は、特定の場に非常に弱い。

野球の試合の前の審査があり、道具が規格を満たしているか、グローブの紐がほつれていないか。背番号がちゃんとついているのか。などを見られるのだ。

最後に、みんなで整列し、背番号を審判さんに呼ばれたら返事をして振り返り、自分の名前や住所、生年月日を審判さんに向かってはつらつと言う機会があったのだ。


小学校のトラウマがある状態でのその審査はもう地獄のような辛さ。
背番号を呼ばれて、反射でハイ!と言えるが、それ以降は言葉が出ない。
審判さんに心配されながら、噛み倒しながらどうにか最後まで言い切る。いやもう、言い切れてはいないのだ。
しかしやるしかなかった。名前なんて当たり前だがわかってる。住所なんか知ってるに決まっている。誕生日なんかもちろんわかってる。
声が出ない。なぜ?と思うほどに喉や胸元が固くなり、声が出せない。


監督には呆れられ、先輩にはちゃんとやれと言われ、同級生に笑われ、後輩になめられる。
スポーツをやっていた人にはわかると思うが、上下関係、礼儀、挨拶などは、スポーツ以前に大事なものであり、そういうのを重んじている。
人間として当たり前のこと。
それが出来ないのが悔しくて悲しくて、どこにもぶつけられない気持ちだった。


試合前に審査するのも、フェアプレーをするため、安全に試合を進めるための必要なプロセス。
それは中学の3年間続いた。
毎日ではないがそれが憂鬱で仕方なかった。
と同時に、ちゃんと話せない自分が憎かった。


ただ、特定の場が弱いだけで、普通には喋れてはいた。
重度の吃音症を抱えている人は、日常会話すらままならないが、幸い私はそこまでではなかった。
学級委員になるタイプだったし、キャプテンだってやってきた。友達もたくさんいたし、彼女だって割と途切れないタイプ。歌は上手かったし、人前に出るのはどちらかというと好きだった。
ただ、決まった場所で決まったタイミングで、決まったセリフを言うのがびっっくりするほど苦手なのだ笑


克服した話に入る。

自分のこの言語障害に気づいてから、どんな時にどんな精神状態だと引き起こされるか学んだ。毎日学んだ。



周りや、抱えてない人からすると
緊張してるから吃るんだよ、と言われるが、吃音症の人は逆。
吃るから緊張する。声が出ないとわかってるから、言葉を変えてしまったり、変な動きをしてしまったりして声を出すから周りから変なふうに見られる。変な動きとは、私は利き手を下に振り下ろすような動作や、足で地面を踏みつけるような動きのことで、そうすると自然に声が出たのだ。

私はあることに気づいた。

①話す前に、口の動きを想像してからゆっくりと動かす

そうすると声が出やすい。声が出なくなりそうになったら少し黙って、考えたフリでもいいので、喋れるようになるまで少し待つ。話さなきゃ話さなきゃ、、となるから詰まるわけで、話せる状態を保てば意外とすんなりいける。

また、音読だと読む言葉が決まっているが、社会人になれば決まった字を読み上げることはそうそうない。
つまり、

②言い換えのレパートリーを増やしておく

話しやすくなるコツだ。

きのう⇨さくじつ
もういちど⇨さいど
くだもの⇨フルーツ

もうなんでもいい、日本語のいいところだよね。
同じものを指してるのに、まったく違う音で伝わる。

話しやすい言葉で話して行くうちに、スムーズに話せるようになってくると、自信がついてきて人前でも余裕で話せるようになる。


そして大事なのは、


③意外と周りは気にしてない

これを読んでいるあなたが、それはないだろ、と思うかもしれないが、そんなもんだ。
そんなもんなのだ。

①②を繰り返していると、自分でも
「そんな時代があったな」くらいに落ち着いた。

今では毎日、電話が30件くらい受発信があり、今の会社で営業成績もトップクラスまで駆け上り、上位をキープしている。

でも、名刺交換の時に名前が出ないなんてこともあるし、電話営業を自分からかけたのに要件を上手く話せないことなんて今だにある。今日もあった。笑 
お客さんに失礼だよね。

でも、大事なのは、吃音症に屈さず、向き合って克服してやるんだ!という強い気持ち。

ハンディキャップとして受け入れて、それだけが人生ではないし、とポジティブに捉えるのだ。


吃音症の克服だけが要因ではないが、吃音症の人は少なくとも、言葉を話すことに意識が強い。だからこそ、話すプロになればいいと思っている。話せないパターンがわかる大人はそうそういない。普通は話せるから。

でも吃音症になっている時は、本当に話せないのよ。辛い。辛かった。
頭の回転が早いから、口が追いつかないという言葉に昔救われた。

直近だと小倉智昭アナウンサーが亡くなったが、吃音症を克服した、で有名な人だった。
訃報を聞いて涙が出たが、吃音症を抱えていた人が、民放のアナウンサーだなんて信じられない。本当にすごい。とてつもない努力の上に、地上波で喋れるんだなと思う。

人生一度きりだから、吃音症に悩む人もどうか生きる道を諦めないで、前を向いて欲しい。
あなたが一生懸命話した言葉を聞いてくれる人は必ずいる。


最後まで読んでくれた方、ありがとう。

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