「天才」ハラスメントはやめてほしい。人に分かりやすいラベリングをして消費するということ。
ITeens LabやEXA KIDSを運営していると、取材依頼やメディアへの出演相談が来ることがあります。
広く取り上げて頂けるのはとても嬉しい反面、どうしても違和感があるなあと思うことも。その一つが「天才」という言葉の使い方についてです。
よくあるじゃないですか。「夢を追いかける“天才”少年」とか、「小学生“天才”ハッカーの軌跡」とか。テレビの取材とか、広告代理店のキャンペーンで「夢を追う子供たちをテーマにしたキャンペーンやるんですけど、そういう子います!?」って直球で聞かれることもたまにあるんですが、そういうものにはなるべく乗らないようにしています。
たしかにこの手の言葉ってものすごくキャッチーだし、使いたくなる気持ちもめちゃくちゃ分かります。でも、信頼関係がベースになっていない中での「天才」っていう言い方は、本人たちに対してかなり失礼な話だと思うんです。裏にある努力や工夫には目もくれずに、表面だけを飾り立ててしまいかねないというか。
たとえばその子どもが周りの子どもと同じことを1時間やったとして、他の子と比べて圧倒的な成長を出しているならそりゃ「天才」と呼んでもいいのかもしれません。でもたいていの子たちは、実は隠れたストーリーをいくつも積み重ねているんですよね。ものすごい時間と集中力でプロダクトについて考えていたり、何度も失敗を繰り返しながら粘り強く改善を続けていたり、何よりめちゃめちゃ夢中になって楽しんでいたり。
しかも彼らは決して一人ではなくて、周りには成長を見守るご両親や、伴走して一緒に考えてる俺らみたいな教育現場の人間もいる。
そういう文脈や関係性、日々の小さな出来事を目の当たりにしている立場としては、「天才」って言葉はナンセンスを通り越して暴力的ですらあるように聞こえます。繊細な料理を丁寧に作ってテーブルに出したのに、いきなりドバーッ!ってソースぶっかけて「これ美味しいですよねー!ソース味だし!」ってヘラヘラされちゃったときの感覚とかに近い(笑)
「天才」「変態(変人)」「神」・・・・・・こういう言葉って、自分と違う人と出会った時にすごく雑に扱えるラベリングですよね。
簡単に処理が出来ちゃいます。
あるいは、「不登校」「引きこもり」「ADHD」とかもそうかもしれない。僕らとしてはそういうことを目に見える特性とか癖みたいなものとしか考えていないので、過剰反応することはありません。
ぱっと見は天才君でも「このへんはスゲエと思うけど、こっちのほうはポンコツだよね(笑)」とフラットに言えることが“優しさ”や"誠実さ"なんじゃないでしょうか。
「天才」という言葉をすぐに使う人は当人を見ていません。その人の肩書きや偶像をふわっと捉えているだけです。「天才」が欲しいのであってその子が欲しいわけではなく、他の「天才」でも全然いいわけです。
いわば人柱のように「天才」を消費してしまう。
アイドル(偶像)と同じですね。それを楽しむために使う。
それは教育者として子供達を守るために避けたい。
ラベリングせずにちゃんとその子を見てくれ、ということは繰り返し訴えていきたいと思います。
でももちろん「あなたは天才だね」って言っていい時もあると思ってます。たとえば、ご家族や信頼している人や活動を見続けてきた人から子どもたちにその言葉が贈られるとき。
そういうのは、彼らをどんなときでも勇気づける、かけがえのない言葉になりうるとも思っています。
あの人が言ってくれた"天才"という言葉がずっと自分の支えになっている、そんな使い方をしたいものです。
(聞き手・編集:Keiko Ota)