子供たちの精神を守れているか、子供たちの幸せを守れているか?

今回は神さまからの、ちょっと厳しめなメッセージですが、読んで頂けますように。

〈神さまメッセージ〉
遊びなさい。
あなた自身を楽しみなさい。
人生を、その日々を楽しみなさい。
あなたは、楽しむために、生きているのだ。
良い事も悪い事も、楽しみ、生きなさい。
素直に喜び、素直に怒りなさい。
そして子供の様に、次の瞬間には、怒りを忘れて笑いなさい。

あなた方は、子供というものを低く見ている。
未熟で、教育すべきものとして見ている。
大人であることが正しく、そして優れていると。
だが、精神でいえば、子供たちの方が、素晴らしい精神を持っているのだ。
軽やかで、柔軟で、様々なものを取り入れる大きな器を持っており、希望に満ち、常にチャレンジをし、自己を成長させている。
それが、あなた方の手で、大人になる様に教育されると、軽やかさや柔軟さは失われ、希望を失い
全てを怖れ、その精神は閉ざされていくのだ。
あなた方は、それを大人になってくれたと喜ぶのだ。
彼らの精神にとっては、喜ばしいことではないのにだ。

あなた方の教育とは、何であるか?
社会に従順な人を作っているにすぎない。
それが、真の教育であるのか?
だがそれも、あなた方の望んだことである。
あなた方一人一人が、自分たちの精神性と、子供たちの精神性を良く見つめ、考えない限り、あなた方の教育は続くのである。
何が子供たちを育む指針となっているのか、子供たちを委ね、任せるには、ふさわしい保護者が必要である。
親であれば、自身は子供を育て、育むにふさわしい者なのか、常に自身に問い、自身を整えねばならない。

子供を預ける場はどうであるか?
知識さえ得られれば良いのか?
彼らの精神を、健やかに育む場としてふさわしいのか?
何故そこに歪みが生じ、子供たちが苦しむのか?
何故その事に、大人であるあなた方は無力なのか?
あなた方は、諦めているのだ。
大人になったあなた方は、諦める事が、大人として賢い選択だと思い込んでいるのだ。
そうやってあなた方は、子供を犠牲にし、社会のつけを子供たちに押し付けているのだ。

子供たちとは、あなた方の子供であることを忘れてはならない。
今、子を持つ親でなくても、いずれあなたも親になるかもしれないのだ。
その時になって、ようやく気付くのだ。
自身に親としての資質はあるのかと、そして、怖れ慄くのだ。
あるいは、自身を顧みず、無自覚に子供を育てるのだ。

あなた方は、大きな発展と進歩を誇りながら、一番大切な事には、目をふさぐのだ。
何故、あなた方は人の心理を研究していながら、
それが十分に生かされていないのか?
学問という枠に閉じ込め、それを社会に活かそうとしないのか?
あなた方の社会は、お金に還元されない事を嫌う。
苦しく助けを求める者ほど、お金を要求されるのだ。
あなた方の社会には、愛が足りないのだ。
故に、その社会で生きるあなた方も、愛に飢えるのだ。
そしてそれも、あなた方が望んだ結果である。
あなた方がこの社会というものを、あなたの生きる国というものを、よく見つめ考えない限り、
あなた方の社会は続き、あなた方の愛の飢えも続くのだ。


読んで頂きありがとうございました😊
今回のメッセージは、厳しいお話しなので、シェアするのを躊躇いました。
ですが、私の判断で出す出さないを決めてはいけないと思い、書くことにしました。
私も子を持つ親なので、耳が痛いお話しでした。
思い返してみると、親になる前にしておくべき事が沢山あったと思います。
親になって、子育てが始まると怒涛の日々が始まります。
余裕なんて無いし、全部手探りで、休みなく続く疲労に耐える日々です。
もちろん、子供の笑顔や成長に癒されもしますが
いつも、ギリギリの精神状態でした。
他の人は、もっと子育てを楽しんでいる様に見えて、自分がダメなのかなと思って自信をなくしたりして。
私は子供の頃に、母親からの言葉の暴力が酷かったので、頭で分かっていても、子供を責めたいという衝動に襲われて負けてしまい、子供には何度も辛い思いをさせてしまいました。
自分の中に未消化な怒りが残っていること、インナーチャイルドが癒されていない事は、よく分かっていました。
15歳の頃から、心理学の本など読み漁って、頭では分かっているのに、怒りは消えず、鳴りを潜めていただけでした。
私の母は怒りで暴走して止まらない人でしたが、
私は常に怒りと理性の戦いで、母の様に怒りで我を忘れる様な事はなく、いくつか子供を責める言葉を吐いて、すぐに、後悔と罪悪感に苛まされて止まる事が出来ました。

それでも、傷付けてしまった事に変わりがなく、
悩みながら見つけたのが、「あぁ、この子は私の傷を思い出させてくれているのだ」という事。
「必要なのは、怒る事ではなく、この子を(自分)抱きしめることだ」そう気付いたのです。
それからは、怒りが湧いても、そこにいるのは幼い頃の自分で、何も悪くない子供なのだと、ただ抱きしめればいいのだと思える様になりました。
そこまでに時間がかかった事に、申し訳なく思うばかりですが。

子供を育てる時、私たちは、無意識的に自分の子供の頃と繋がるのだと思います。
その子供の頃の傷が疼き、どうにかしてくれと暴れてしまうのです。
それが、子育てに影響してしまいます。
幸せな子供時代を送れた人なら、心配いりませんが、そうでない人が多いと思います。
本当は、そうした傷や心の歪みは、親になる前に
解消できていればいいのですが、大半の人は、そうして親になった時に、幼い頃の傷に対面させられるのです。
その中でも、私の母の様に、それが自分の傷のせいだと気付かないまま、子供を傷付けて、不幸の連鎖を引き継いでしまう人が多いのです。

親子の問題は、多くの書籍がでています。
今では、「愛着障害」「不適切養育による発達性トラウマ」などと言う言葉もあります。
もう十分研究されてきているのに、私たちの社会に落とし込むことが出来ていない気がします。
家庭での虐待が減る事がないのも、生き辛い人が多くいる事も、分かっていながら何故なのか、
助けが必要なところには、何も届いていない気がします。

私たちが幸せに生きるために、何かを変えていくことが大切なのではないかと思います。
少なくとも、良い未来を想像して、その為に何が必要なのかを、考えてみる事は誰にでも出来る事ではないかと思います。

もっと楽しい、幸せな未来を夢見てもいいのではないでしょうか?

長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂きありがとうございます😊
また、読んで頂けると嬉しいです♪
ありがとうございました😊


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