見出し画像

「あなたが愛を求めるのなら…」

愛に傷ついたとしても、いつまでもそこに留まってはならない。
あなたが真の愛を求めるのなら、進まなくてはならない。
進むための、神さまからのメッセージです。


気を引き締めなさい。
気を緩めると、あなたは簡単に引き戻されてしまうのだ。
今は注意して、あなたの内側を見つめ、目を離してはならない。
目を離せば、あなたはすぐに他人に責任転嫁をするだろう。
自分が苦しんだ事、悲しんだ事、寂しかった事、
全てにおいて、他の誰かが原因であり、その誰かの責任であると、自分を正当化し、自分を被害者に仕立て上げるだろう。
あなたはずっと、そうしてきたのだ。
そうして、あなたは自分を悲劇のヒロインにし、
あなた自身を塔の中に閉じ込めたのだ。
あなた以外、誰もいない塔の中で、
あなたは、一人芝居をしているのだ。
閉じ込めている敵など、いないのだ。
あなた方は、常に古い記憶と闘い続けている。
それは幻想であり、幻想ゆえに敵は何倍にも大きくなるのだ。
その敵は、今目の前にいるのか?
すでに消えた敵か?
そもそも敵であったのか?
あなたは、冷静に見つめる必要があるのだ。
あなた方は、怖れと不安の中で、常に身を護ろうと身構えている。
長い緊張に疲弊し、次第に敵味方の区別ができなくなるのだ。
そして、味方にさえ剣を向け、敵に変えてしまうのだ。
愛し守り合う関係さえ、あなた方は敵に変えてしまうのだ。
愛し合うことを望みながら、何故あなた方は、傷つけ合い、苦しむのか。
それは、自身の鎧を脱ぐことが、出来ないからだ。
あなた方は、互いに愛の言葉を交わしながらも、その鎧を脱ごうとはしないのだ。
そして、互いに身につけた鎧に警戒するのだ。
それは、闘いを放棄しないという、意志になってしまうのだ。
それは、あなた方の怖れゆえである。
愛を選ぶのか、怖れを選ぶのか、あなた方はまだ
愛を選べていないのだ。
あなたが愛を求めるのなら、愛に生きると決めるのならば、あなたのその鎧を脱ぎ捨てなさい。
こわばった顔で笑うのは、もうやめなさい。
人の顔色をうかがいながら生きるのは、もうやめなさい。
本当のあなたを隠して、求められる姿を演じるのを、もうやめなさい。
それをやめるのは、怖いだろう。
自分を守る術を捨てるのだから。
しばらくは、傷つく事も多いだろう。
防具なしに、この世で生きるのは、愚かな事に見えるだろう。
だが、知っていて欲しいのだ。
あなた方に必要なのは、守るための鎧ではなく、
あなた自身を人に捧げる愛なのだ。
あなた方を真に守ってくれるのは、この捧げる愛なのだ。
これは、実践した者にしか体感できないものである。
人を真に愛し、自身を捧げるように愛のただ中に入る時、人は与えているのではなく、多くのものを与えられていると識るのだ。
あなたが相手を守っている、という意識は薄れ、もっと大きなものに、あなた自身が守られているということを識るのだ。
それが、愛の真の姿である。
傷つく事を恐れてはならない。
その先にしか、愛は現れてくれないのだ。
痛みを避けて通ろうとすれば、愛には辿り着けないのだ。
それは、誰もが通れる広い門ではない。
その痛みを負う覚悟のある者だけが選ぶ、狭き門なのだ。
あなた方は、どちらの門をくぐるのか、試されているのだ。
その狭き門を行くのなら、着ている鎧を脱ぎなさい。
それを着たまま通れる門ではないのだ。
鎧を脱ぎ、真のあなたを見せなさい。
それは、痩せて、貧弱に見えるかもしれない。
反対に、太り過ぎて、だらしない姿に見えるかもしれない。
だが、どんな姿であれ、自身を恥じてはいけない。
あなたは、自身をさらすことの出来る、勇敢な人なのだ。
それだけで、充分素晴らしいのだ。
胸を張り、自身をさらしなさい。
堂々と自分でありなさい。
ありのままの自分を良しとし、受け入れ、愛おしく抱きしめなさい。
あなたが、そのままのあなたで存在する事が、愛の大前提なのだ。
あなた以外の人になってどうするのだ。
あなたは、あなたでしか生きられないのだ。
あなたのまま、自分を愛し、他者を愛しなさい。
上手く愛せないと、嘆くことはない。
誰もが、愛を学びに来ているのだ。
失敗して、学びなさい。
互いに手を取り合い、未熟さを受け入れ合い、助け合い、成長しなさい。
完璧な愛を求めてはならない。
あなた方は、その肉体の中にいる間は、完璧な愛は持てないのだ。
あなた方は、その肉体を脱いでようやく、完璧な愛を識るのだ。
完璧な愛である魂に戻るのだ。
今は、肉体を持つ人として、愛を学び、ただその愛の成長を求めなさい。
あなたの成長を、私は待っているのだ。
そのために、私はあなた方を助け、見守っているのだ。
今、私は多くの人を使い、あなた方に愛を伝え教えている。
いずれ、誰もが愛について語り合う世界になるのだ。
皆が、怖れを捨て、愛を選ぶ世界がくるのだ。
愛の世界を創ると、人びとが選ぶ時が来るのだ。
その時、あなたもその愛を創る、創造主となるのだ。


私がまだ、離婚の事で気持ちの整理がつかず、何がいけなかったのか、過去にとらわれて、あれこれ考えては、相手への怒りが再燃してしまい、
気持ちが落ち着かなかった頃に、頂いたお言葉。
悲劇のヒロイン、塔の中での一人芝居、いまだにやっていたと気付かされました。
もう、終わった事なのに、まだ苦しい物語の中に
入って続きを描いていたのですね。
私も自分を守る鎧を脱げなかった。
自分じゃない誰かになろうと必死だった。
自分のままで愛されるとは思えなくて、ずっと、
自分を隠して、良い妻でいようとした。
頑張ってたけど、どうしても認めてもらえない。
少しの失敗も、許されない気がして、怖かった。
誰も、ありのままの私になど、興味がない。
そう思っていた。
でも、仮面を被って良い妻でいても、同じ事だった。
誰かにとって、都合の良い私であっただけ。
都合の良い人間でいるために、頑張っていただけ。
それに気付いて失望して、ようやく目が覚めた。
自分を隠して生きても、幸せにはなれない。
自分を苦しめるだけだった。
愛されたかった。
でも私は、愛を知らないまま、愛を求めていた。
愛を求めるのなら、愛を知ることが必要なのだ。
そして、愛を怖れないことが必要なのだ。
上手く愛せなくて、上手く愛されなくて、それで良いのだ、そうやって、また一つ学んだのだ。
私は、また少し愛を知れたのだ。
終わった関係を、感謝して手放そうと思う。
全て私に必要な学びだったのだ。
ありがとう。

ここまで読んで頂きありがとうございます。
また次回も、読んで頂ければ幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!