そして私はXを辞めた
Xは、昔やってたブログとの相性は良かった。ブログは無料で広告付き。Xも無料で広告付き。それぞれ似たような機能でありつつ、Xは短文だしモバイルで外出先から投稿できることもあり、重宝していた。
noteに移って、この関係が崩れた。Xにnoteの有料記事を出したところで先が読めないので離脱する人は恐らく多く、かつ一度離脱したらミュートする人もいるし、相性の悪さを感じた。いくらXにたくさん投稿したってnoteに来る人は少なく、noteはそもそも有料だから人数が限定されるためXに行く人も少なく、このかみ合わなさを1年弱続けて来た。
結果が出ないとモチベーションが薄れる。薄れながらもXには毎日義務感で投稿していたが、結果は「いいね」の数だけ。このいいね、というのは何がいいのか、実際わからないことが多かった。いいねが多いからnoteで記事すればいいかというと、noteの読者とは好みが違った気がしていた。
文章を書くと喜んでいただける方がいらっしゃるな、とはもう気が付いていて、今後、もっと活躍して行きたい。ただし私は一人なので、無尽蔵に色んなことに手を付けていくとエネルギーが枯渇する。一つ一つの記事の質は下がるため、手を広げたものを整理するというのが今年のポイントになった。ブログはクローズしたし、週に一度行っていたSlackの集まりも閉じた。その分、文を書く量を増やしたが、ただ一つ残っていた中途半端な状態だった活動がXだった。
Xが楽しかった時期もあった。おすすめに流れてくる記事が私の関心事とクロスする頃は、知的好奇心が刺激され、記事にも反映された。しかし、どうにもこうにも、同じ話題が何周かしてしまったように思う。またその話か、となる。反応していた人たちも反応しなくなる。そのうちに、ユーザーが変わったのか、Xのメカニズムが変わったのか、おすすめにも関心のない話が並ぶようになってしまった。これは、私の反応が鈍くなっていることを悪い意味でXに学習され、変なポストを並べられたのかもしれないが。何かしても何も起きないし、何かないかを探す時間も無駄となることが多くなった。
Xがとか、Blue Skyがとか、もしくはインスタとか、何でもいいがもうこれは、サービス内容や運営の問題というより、私の中で利用するシーンが終わってしまったのかなと思う。またXには新しい世代が入って来て盛り上がるのか、もしくは残っている人が再度盛り上げるのかはわからないが、少なくとももう、Xに私のエネルギーを使うよりは、こうやって長文を書こう、と思った。
今日は会社から帰宅する通勤時間、やることがないので考えごとをしていたが、むしろこの考えごとをする時間が生まれたのかもしれない。そして、こうやって文を書いている。Xを辞める事すら記事になる。
楽しそうなことに手を出して、それらをうまく使い、日々を盛り上げていくと言う方針のもと、当たり前のようにSNSを使わねばならない、と思い込んでいたが始めた時は軽い気持ちだったはずだ。だから軽い気持ちで辞めても別に何も困らないし、辞めた後の景色もそれはそれで、新鮮である。余った時間は別の何かになるのだろう。
いったんは私の活動をこのnoteに集約する。メンバーシップは今まで通り「頑固に」続けるとして、余った時間、気軽に何か書いていきたい。長い文章を書く、ということに特化してみる。
ここから先は
サポートをお願いいたします。頂いたサポートは、よりよい記事の作成のために積極的に利用します。