今までのやり方が通用しなくなる、私たちはその前夜にいる
話が分かる人たちが話をすることで連携しあい議論を深める、というのは人間らしい素晴らしい行動だが、実際人間が言葉でやっていることと言ったら、対立である。XでもYouTubeでもいいが、まあ、ああでもないこうでもないと言い合っていて、対立の結果何の結論もまとまらず、各自が言い合っているだけ、という非生産的な状況となっている。
議論がまとまらないまま最終的にどうするかというと、「今まで無難にやっていた人たちに任せよう」となってしまう。かなり消極的な選択だけれど、選択をしないよりはいい、という判断である。が、このやり方ももう少しで破綻すると思う。歴史を見る限り、室町幕府だって江戸幕府だって、戦前の政府だってどこかで破綻している。何事も有限である。
どんな勢力が出てくるのかな、と社会を観察していると、一つ共通点があることに気が付いた。ロジカルに会話をし、ロジカルに情報交換をし、何かを定義し行動するような、より仕事に近いスタイルで進めていく流れが最近できつつある。ロジカルは「まじめ」という意味ではなく、かなり大胆な仮説を取り組める強さがあり、検証をしたり、反論に対して感情を入れず分析してみたりと、私が耳をそばだてている限りは面白いことをしている。
ただ、それらの勢力に共通するのは、既存の考え方や慣習に組み入れようとするとものすごく反発することである。今までと同じやり方をやる理由は、今までと同じであること以外に根拠がないので、ロジカルではないのだ。ロジカルではないので、話にならない。この話にならないことに対して、ものすごく明確に反発し、会話が成立しない様子をかえって強調するので、対立構造に見えやすい。
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