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人が集まり続けることの難しさ
noteメンバーシップ、1年間やってみて、今日完走しました。一区切り。
一応のコミュニティーは維持しますが、新規募集は終了です。活動もしばらくは最小限となります。
コミュニティー、これ、やってみるとわかると思いますが、目的性がどうしても必要です。
集まるために集まる、みたいな目的性が成立するか1年試してみました。
でも、集まることは1度、もしくは数度やっていくと、達成されていくんですね。その場に出ることは当初は新鮮でも、数度出ているうちに、日常になってしまう。
日常になると、さてそれは、希少性がなくなっていき、自分の中で価値が減っていくものです。
それが体験できてよかったな、と。どんなに、優れた人たちを集めても、何か目的を作り、それぞれがミッションのようなものを感じ、自発的に活動していくシナリオにしないと、コミュニティーは一定の役割を果たしたら終わらざるを得ないなと、そういう経験ができました。
会社の社長とか偉いと思いますよ。何らかの強い意志でミッションを感じ、それをしかも、他人にお金で依頼し、やりつづけてもらうわけですよね。
自分ではやらずに、他人に目的性を日々生み出していかなきゃいけない。
予算だ決算だと、会社の上の方では年中やってますけど、あれは、それを達成しないといられないぞ、という目的性作りそのものですから。
一方で、何となく私の中では「集まるために集まる」みたいなことって、まだ諦められていないので、一旦集まれたメンバーのコミュニティーは閉じないようにしました。たぶん、一度生まれたものは、存在し続けると、時間が経つにつれて価値を持ち出すものもあるので。
人生、やってみないとわからないことがあります。今回、noteメンバーシップ、ほんとやってみて良かったです。永遠には続けられないのは思い知らされたけど、大事なものを頂いた。そんな気分です。
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