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何かに応募する、というのが苦手で

noteも定期的に、投稿企画があって選ばれたら雑誌に載るとか賞金が出る、などの企画をやっている。文壇は大昔からそういった賞レースが大なり小なりあって、物書きになっている人は作品を作り応募し、プロになっているケースは多い。

じゃあ私も、文を書くのは得意だしやってみるか、と思って挑戦するも、筆が進まない。そういや小学生の時、読書感想文も苦労したものだなという記憶が蘇った。

きっと私は、何かの目的を持って、読み手に沿うように書くのが苦手なんだと思う。外部から何の期待もされず、自分の思うがままああだこうだ書くこと、それだけが得意。そしてそうやって無目的に書いた文がなぜか読まれる。ブログを始めてnoteに移っても、ずっと同じノリで書いているからわかる。

正しく、まっすぐに書こうとするとなぜか、文の面白さが半減しちゃうのがとても面白い。あまり推敲もしないでおしゃべりするように書いた文の方がウケる。ウケようとする文を書くより、自然体で書いた方がウケるから、狙わない方がいい。

ただ、文を書く動機的なところで言うと書くからにはめっちゃウケたいので、何となく矛盾を感じながら書き進める。ウケてくれたらいいなあと本心で思っているけど、書くということについては自然体でなければいけない、という縛りがある。価値のあるものというのは、裏腹なことが多い。例えば原子力発電所とか、これからAI需要で安定的に電力を入手しつつ、地球環境を傷つけないクリーンなエネルギーを、なんて言われるが一方で事故リスクが溜まらなく大きいという裏腹を抱えている。

世の中の成功するものごと、価値あるものとは、そんな裏腹が内包されていて、しかもそれが解決されることなく人間の曖昧さで受容され、何となくなりたってしまう、ということなんだろうと思う。日本の今の政治すら、そうなりつつあるよね。どちらの党が勝つというより、<各党の主張をいいとこどりしてね>という形になりつつある。各党の主張を悪いところどりされる可能性もあるのにね。

まあだから、今後もきっと、応募的なものに少しは関わってみるかもしれないけど、苦手だなあって毎回思わされるし、だからこそあんまり積極的には関わらない。

少なくとも読んでくださる方がいらっしゃる状況で、その方達に届くように毎日毎日、何か書いて行けばどこかで、何かいいことがあるでしょう。苦手なことをわざわざやったところで、うまく行かないことの方がおおいし、うまく行ったってあまりろくなことにもならないし。

できるだけ、夜にも気楽に書いて行こう、と思ってる。

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