当たり前が終わる3月
こんにちは、無理してキャラ崩壊したいオタク、あやかです。
3月23日。
推し供給タイムのひとつ、いのひからじらー
今日も今日とで賑やかで素敵な時間だった。
でも、実質今回でラストである。
厳密には来週もあるのだが、スケジュールの都合のため録音放送。
生放送でのらじらーはもう終わった…。
全国放送なのもあって、初めて聴いたJUMPのラジオ。
ラジオ自体は父が車の中でよく流していた。
だけど、映像もないのに何が楽しいの?
なんて思ってた。
そのイメージを壊してくれたのが、他でもない、いのひからじらーだった。
最後なのはらじらーだけではない。
今年の3月はどんどん終わっていく。
うるじゃんも終わる。
解体キングダムも終わる。
いたジャンも終わる。
終わる。終わる。終わる。終わる。終わる……
どんどん終わっていく。
少しづつ、終わりに近づいていく。
終わりが近づくにつれ、怖くなってきた。
4月から、私はどう過ごせばいいのだろうか。
月曜はうるじゃん聴いて_
火曜は帰ってから録画したヒルナンデス_
水曜はJUMPチャンネルとよにの、たまに解体キングダム_
木曜は録画したいたジャンとYOUYAKAI_
土曜はらじらーにベイジャン、TVerでいたジャン_
日曜はスク革とよにの_
そしてたまに放課後GAMING LIFE_
推し中心すぎないかだって?
いいだろ?
ちゃんと節度を持って推してるし。
毎週の楽しみが一度にたくさん消えようとしているのだ。
これからどうなるのか不安になる。
なんなら、JUMPチャンネルの五十音順更新もマ行に入りそうだし。
五十音順更新しきった後どうなるんだろう…?
らじらーやうるじゃんは長年やってきたんだよ。
大人気なんだよ。
暗いままでも仕方ない。
SNSは人の目に付くし、あんまり嫌な話題は出しても辛いだけ。
なんて理由で考えないようにしてるけど、どうしてもあの問題が頭をよぎる。
なんて思ってても、なにかが変わるわけじゃない。
自分に出来ることといえば、終わりの覚悟を決めておきながら終了後にロスるようなアニメとかでよく見る行為をしちゃうんだろうなと想像する程度。
あと、これまで頑張ってくださった番組スタッフに感謝を捧げることぐらいである。
いつか忘れていくのかもしれない。
いつまでも引きづっていられない。
このもうすぐ訪れる喪失感に対する不安が当たり前となって消えていくのも時間の問題だ。
でも、こんなに大好きな時間があったことを少しでもなにかに残したい。
この不安も理不尽に対する怒りと悲しみもこのまま消えるのは釈然としない。
そんな感情でこのnoteを書き殴っています。
書き殴って、この感情を整理すれば、これからどうしたらいいのか見えてくるかもと思ったから。
何も見えてこないけど。
推しは推せる時に推せ。
当たり前は当たり前じゃない。
そんなことはオタクになって何度か学んだはずなのに。
結局、書いてもこの思いは軽くならない。
だけどいつか、この記事を見返してる時には、JUMPの新たなお仕事(供給)があることを願いたい。
JUMPは実力あるし、社会からの圧に負けず、何回でも花を咲かせてくれたらいいな。
なんて、思うだけならいいでしょ?