授業はたのしいだけでいい! ―第1回「タイトルコール!」
みなさん,はじめまして! 群馬で小学校の教師をしている峯岸と申します。出身は群馬県ですが,東京の大学に進学したので,そこでそのまま教師になり,「東京・昭島たのしい教師入門サークル」で仮説実験授業に出会いました。
どうやって出会うことができたのか,とか,現在はどうしているのか,などについては,この連載(全6回)のドラマに期待していただきたいと思いますが,最初に,その「昭島サークル」で見た衝撃資料のお話をします。
それは,ぼくが仮説実験授業を知って2年目くらいの時のことだったと思います。『日本の教育者100人の言葉』というようなタイトルの本の紹介で,「これに板倉聖宣さんの言葉が載っているでしょうか?」という内容の肥沼孝治さんが書かれた資料でした。
それは,教育者の言葉がひとり1つずつ紹介してある本の紹介で,各人1ページ程度で解説も書いてある形の本でした。実は,ちゃんと板倉さんの名言も載っていたのですが,「たくさんの名言がある板倉さんが,1つ選ぶ言葉って何だろう?」って思いながら,資料をめくってみると,「えーー!?」って驚きました。
そこには,「あることを自問自答する言葉」が載っていたのですが,みなさんは,板倉さんのどんな言葉が,それに選ばれていたと思いますか? 予想してみてください。今回の最後に,それを紹介したいと思います。
●学校が苦手だった幼年時代
ぼくの小さい頃の話をします。保育園での生活をことのほかイヤがり,ぼくの保育園での記憶の大半は,先生にだっこされながら泣いているときのことです。
年長で初めて幼稚園に入園し,それをきっかけに「泣かない」を決めたものの,参観日で母親が帰ってしまうと,タオルで顔をふくマネでごまかしながら泣いていたような子どもでした。
小学校入学からは泣かなくなったものの,小学校2年生の冬に不登校傾向になり,数週間,家に引きこもった経験があります。別に,「みんなからいじめられたから」とか,「先生がイヤだったから」などの理由があったわけではありません。なんとなく,学校という雰囲気が合わなかったのかもしれません。そして,家でみるNHK教育テレビが,とても好きでした。
「何もしないより,何か勉強になることでもしたら?」と母親に言われて,家でやっていたのが,でっかい模造紙に,自分が楽しめるような「すごろく」を作るという遊び。なんだか,チョーさんになったような気持ちがして,こういうのは大好きでした。
しかしながら,それが完成すると,それを見た母親が「すごいじゃない!」って言って,ぼくの担任の先生のところに持って行ってしまったのです(!)。
もしそれを先生がクラスで紹介してしまって,それを見た同級生に何を言われるのか…と,不安になったぼくは,それを阻止するために,また学校に行くようになりました(笑)。
学校に行く動機というのは,子どもによって様々なんだよな,と,その時の記憶がぼくに教えてくれています。
ぼくの小学校での各学年の思い出を挙げると以下のような感じです。
うーん,本当にひとつもいい思い出がない小学校生活です。「あれ,どっかで聞いた話だな?」って思われた方は,ぼくの昔話の「道徳プラン」の授業を,見たり聞いたりやったりしたことがある方なのかもしれません。
そう,そのときの少年が,大人になったのが今のぼくです。こんなに楽しくない学校生活を送っていたぼくが,どうしてそんな学校現場に戻ってきて,教師という仕事を続けたりしているのでしょう。
もしかすると,その時のぼくが,今の自分に叫んでいるのかもしれません。「もっともっと,たのしい学校にしてほしい!」って。目の前にいる子どもたちの目が,あの頃の自分の目に重なります。
●ぼくが大切にしている板倉さんの言葉
では,最初のお話に戻ります。ぼくが衝撃を受けた板倉さんの自問自答の名言。それは「授業はたのしいだけでいいのか?」という問いで始まっていたのです。
「え?なんて答えるのかな?」って思いました。たのしいだけでは,なんとなくダメな気がします。授業に収集がつかなくなっちゃうような気もするし,内容が身につかないイメージがあったりもするし。
ところが板倉さんは,とてもキッパリと,これを言い切って「名言」としていたのです。
その時のぼくは,この言葉に対して,ぜんぜん納得ができなかったのですが,とっても感動して,嬉しくなったのを覚えています。
「そうなのか。たのしいだけでいいのか!」と。
どうしてこんなにキッパリ言い切れるんだろう。でも,とっても魅力を感じて,「もしかすると,そういう道もあるのかな?」って思いました。
まだ仮説実験授業をやったことがなかった自分の背中を,そっと押してくれたのは,そして,いまこうしてたのしく教師を続けていられるぼくを,支え続けていてくれているのは,この言葉なのかもしれません。
この連載のタイトルには,その時のぼくの気持ちや,いまのぼくの気持ちが込められています。この言葉が「本当にそうかもしれない」って思えるまでには,それから十年以上もかかることになるのですが,少しずつ「そうか,そうだよな~」って腑に落ちていく出来事を書いていきたいと思っています。
たくさんの人に読んでもらって,それを追体験してくれるといいなぁと思っています。全6回の連載ですが,どうぞよろしくお願いします!
※これは,『たのしい授業』という雑誌の「手書きのページ」に,2021年6月号~11月号までの半年間連載されたものです。「手書きの原稿」をごらんになりたい方は,ご購入いただけるとありがたいです!
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