絶望は避けられなくても、絶望をシェアすることは希望になる。シーラボと輪っか夏祭りに参加してオレンジがやっていることって、なにかと「災害対策」だったのかもしれない、なんて思った話。
シーラボと輪っか夏祭りに参加して
オレンジがやっていることって、なにかと「災害対策」だったのかもしれない、なんて思った話。
8月最初の土曜日
午前はシーラボ、午後は輪っか夏祭り
シーラボは過去最大規模の参加者。80人とか。
皆で集合写真を撮った後に、それぞれの子どもや家族が自分たちの思うがままに、お喋りしたり、食べものを食べたり、もう一回海に行ったり・・みんなニコニコ。という姿を見ていて
「あぁ、なんか、あたりまえになったんだなぁ、、」としみじみ思いました。
医療的ケア児を自宅で?地域で?もう人生すべての覚悟を決めてやる!みたいな時代から、地域でみんなで大笑いしながら(もちろん困りごともいろいろあるんですが)暮らしていく時代になったんだなぁ、と。
輪っか夏祭りは、
軒先で50人くらいが参加するようなイベントかと思ってたら
でっかい櫓に音響設備、6時間。屋台にキッチンカーに大抽選会。
公式?発表で1000名もの参加者とか。
災害がなければ良かった、と誰もが、僕だって思うけれど。
災害があったから、勝山に引っ越してきて、勝山の人たちの優しさやサポートを、輪島の人たちの強さが引き出して、つながってつながって。
子どもたちが笑って走り回って、大人たちも歌ったり踊ったり。
お祭りや、歌や踊りは、ただただ楽しいからやるもんじゃないんだな。
苦しいから、辛いから、でも繋がったから、やるのかもしれない。そして、だからこそ、ただただ楽しい。
どんな辛い時でも人は笑顔になれる力がある、「どんなときでも、命は輝く。」とは、暮らしの保健室・マギーズ東京創始者の秋山正子さんがプロフェッショナルで言っていた言葉。
医療的ケア児が家族になる。
それは、災害かも知れない。想定もしていない、大変な事態に巻き込まれる。
自分たちだけではもうどうしようもないんじゃないかというくらい行き詰まった時、すこしだけ「つながる」ことにエネルギーを注ぐと、出会えますよ。ケアラボです、どうも。って
伴走しますよ。困りごとは解決しないけれど、不安も払拭されないけれど。
一緒に困って、一緒に不安になりますよ。一緒に迷いましょう、困ったね。一緒だね、って。
一人で転ぶと悲しいだけだけど、二人三脚で転んだら、ちょっと笑えるでしょう。
一人で抱えると振り返ったら苦しいことばかりだけど、みんなで臨んだチャレンジは大失敗したって良い想い出さ。
急に末期がんになる。
それは、個人的には大災害かもしれない。想定していなかった、大変だ。
そんなときに伴走する在宅医療だって、
在宅医療をやめられないのは、そのつながりが、出会う“患者”なんて呼ばれちゃう状況の人たちの計り知れない強さや優しさが
僕たちを成長させ続けてくれるから。
想定していない不幸なことが起きた時に
衝動的にもそれを支える動きから、「伴に在る(共に生きる)」に進化した時に、笑顔と楽しさにつながる。
その瞬間に感じる絶望は少ない方が良いから、仕組みや社会実装をしていきたいとオレンジは頑張り続けますが、
ゴールは絶望のない社会ではない。
絶望は避けられなくても、絶望をシェアすることは希望になる。