過去問 公認心理師試験第6回 午前 一般問題 問61

みなさん、こんにちは。

公認心理師受験生Kidです。

さて、掲題の通り、問61です。

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問61
24歳の女性A、会社員。仕事や日常生活に支障が出るのではないかと心配した友人に連れられて、公認心理師Bのカウンセリングルームを訪れた。Aは、「気がついたら知らない場所にいて、普段着ないような派手な服を着ていて、戸惑うことがあり、ときには、大人から叱られている子どもの泣き声が聞こえてくることもある。自分の行動についての記憶がないので動揺するけど、生活にはそれほど支障はない」と言う。アルコールや他の物質乱用はない。
 DSM-5に基づくAの病態の理解として、最も適切なものを1つ選べ。

① 統合失調症

② 双極Ⅰ型障害

③ 強迫症/強迫性障害

④ 境界性パーソナリティ障害

⑤ 解離性同一症/解離性同一性障害
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正解、 ⑤です
まずは本選択肢である解離性同一性障害の診断基準を示していきます

。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜A.2つまたはそれ以上の、他とはっきりと区別されるパーソナリティ状態によって特徴づけられた同一性の破綻で、文化によっては憑依体験と記述されうる。同一性の破綻とは、自己感覚や意思作用感の明らかな不連続を意味し、感情、行動、意欲、記憶、知覚、認知、および/または感覚運動機能の変容を伴う。これらの徴候や症状は他の人により観察される場合もあれば、本人から報告される場合もある。

B.日々の出来事、重要な個人的情報、および/または心的外傷的な出来事の想起についての空白の繰り返しであり、それらは通常の物忘れでは説明がつかない。

C.その症状は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。

D.その障害は、広く受け入れられた文化的または宗教的な慣習の正常な部分とは言えない。
注:子どもの場合、その症状は想像上の遊び友達または他の空想的遊びとしてうまく説明されるものではない。

E.その症状は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)や他の医学的疾患(例:複雑部分発作)の生理学的作用によるものではない。。解離性同一症とは、かつて多重人格障害と呼ばれた神経症で、子ども時代に適応能力を遥かに超えた激しい苦痛や体験(児童虐待の場合が多い)による心的外傷(トラウマ)などによって一人の人間の中に全く別の人格(自我同一性)が複数存在するようになることを指します。

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解離とは、記憶・知覚・意識といった通常は連続してもつべき精神機能が途切れている状態で、軽いものでは読書にふけっていて他人からの呼びかけに気付かないことなどが当てはまります。

この解離が、非常に大きな苦痛に見舞われたときに起ることがあり、実際に痛みを感じなくなったり、苦痛を受けた記憶そのものが無くなることがあります。

これは、苦痛によって精神が壊れてしまわないように防御するために、痛みの知覚や記憶を自我から切り離すことを無意識に行っていると考えられています。

解離性同一性症はこの解離が継続して起こることによると考えられています。

長い期間にわたり激しい苦痛を受けたり、何度も衝撃的な体験をすると、その度に解離が起こり、苦痛を引き受ける別の自我が形成されてしまい、その間の記憶や意識をその別の自我が引き受けて、もとの自我には引き継がれず、それぞれの自我が独立した記憶をもつようになることが発生の原因と考えられています。

他人から見ると、外見は同じ人であるのに、まったく連続しない別の人格がその時々で現れます。

性格や口調、筆跡までもが異なりますので、性格の多面性とは別のものであることに注意する必要があります。

解離自体は太古の時代から人間に備わっている防衛反応の一つですが、これが頻発すること(頻発せざるを得ない状況)によって、不穏感情の切り離しの頻度が多くなってしまい、多くの人が耐えられるような不快な状況であっても解離という防衛反応が生じてしまうなど日常生活上の問題が出てきます。

ですが、当人にとっては「不快な感情を切り離している」ので、そうした日常生活上の支障に「気がついてしまう」ということは、切り離した不快な感情に目を向けることになってしまいますから、記憶を失っていたり、奇妙な状況におかれているにも関わらず「それほど困ったり、混乱することはない」という事実と反応の間に乖離が生じます。

これは解離性障害全般の特徴のようなものであり、本事例においても派手な服を着て知らない場所に居たり、記憶がないにも関わらず「生活にはそれほど支障はない」という言葉になっているのです。

また、不穏な体験を解離で対処するのは、ある程度なら問題ないのですが、一定以上を超えると自身の内に解離させた体験群やそれに伴う感情が溜まっていきます。

これはそういう人たちに接してきた私自身の仮説に過ぎませんが、人間には「不穏なものも含めて自分であると受け容れたい(受け容れてほしい)」という欲求があるような気がしていて、自我の安定のために解離させた体験群やそれに伴う感情を無意識領域に追いやったとしても、やはり「そういう感情も自分である」という突き上げがあるような気がします。

ですから、何かしらの形で解離したものが表に出てくるということになりますが、その際、解離させた体験・感情に即した姿で現れるように思います。

例えば、性的な暴力を受けた体験群が解離しているのであれば、「その体験が起こることが自然な文脈の姿」となります。

極端な薄着をしたり、派手な格好をするなどして「こんな私なら、そんな風に扱われても仕方ないよね」と自我が納得できる形での表出になるということです。

さて、診断基準に明確な記述はありませんが、「ときには、大人から叱られている子どもの泣き声が聞こえてくることもある」をどう理解するかも大切です。

こうした幻聴っぽい反応は「解離した自分自身の声」と見なすことができなくはありませんね。

自分の内においておくと苦しいものを解離させ、「外」にあるものと見なすことで安定を得ようとするために起こるものであり、幻聴のように見えますが、統合失調症のそれとは本質的に異なるものです。

ただ、聴取している支援者側にはこれらの違いがわかりにくいとされています。

見分けポイントの一つですが、解離は本質としては生体の防御反応です。

あくまでも本質は自分を守ってくれるものなので、解離に係わる体験を語っている本人に「何となく安心した感じ」があり、それが語る内容と本人の危機感とのズレとして認識されます(本事例の場合、子どもの泣き声が聞こえると語るけど、それに対してそれほど混乱した様子は示さない)。

こちらは明確な診断基準に規定はされていないものの、過去のトラウマ体験がそのような形で表に出るという意味では知っておいて損はない特徴であると言えます。

上記を総合すれば、本事例の見立てとして第一選択とすべきなのは解離性同一性障害になります。

「記憶がない」という状況ではてんかんの可能性も考える必要もありますが、その他の情報も踏まえれば、第一選択が解離性同一性障害であることは変わりありません。

以上より、⑤が適切と考えられます。

引用URL:https://public-psychologist.systems/10-精神疾患とその治療/公認心理師%E3%80%802023-61/


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